第六話 メルヘンチック狂騒曲
「……で」
立慧さんの案内で店内に足を踏み入れた俺たち。居並ぶ集団の最前列で、気に入らなさげな表情を隠そうともしない郭が、眉毛をひくつかせている。
「なんなんですか? ここは」
「何って。服屋よ、服屋」
詰問するような厳しい口調での問いかけに、呆れ顔の立慧さんが答えを返す。字面だけを見ればもっともと思える回答だが。
「もしかして服屋も知らないの? その齢で、師匠に自分の着るものまで買ってもらってるなんて言わないでしょうね」
「……師匠は僕の私的な装いには口出ししませんし、着るものは普段、協会関連の販路で調達しています」
今この場で問題となっているのは、そのことではない。怒りを抑えた声で郭が呟く。
「賢者見習いたるもの、プライベートであっても情報の秘匿に注意する必要がありますから。ここが洋服店であることなど、見れば分かる」
「……」
「迷う人間などいない当たり前の結論です。僕が訊きたいのは――ッ」
ギリリと音がしそうな勢いで、奥歯が噛み締められた。
「――っよりにもよって、どうしてこんな店を選んだのかということだ‼」
「なによ。可愛いじゃない」
怒髪天を衝くその抗議を、平然とした立慧さんの態度が受け流していく。――俺たちが訪れているのは、大きな吹き抜けのフロアを持つ、一戸建ての洋服店。
洒落た店構えに大きな両開きの扉がついている、そこまでは普通だが、品ぞろえが何とかいうか、俺たちが普段通っている店からは幾分以上にかけ離れている。明るい照明の照らし出す一階のスペースは、左右でざっくり男物と女物のスペースに分けられており。
「すげえなこりゃ……」
「おとぎの国か何かに迷い込んだみたいだな」
「――『エインセル』は、メルヘンチックな雰囲気が売りのブランドだからな」
左手にはふわふわしたフリルのふんだんに付いたガーリッシュなワンピース、王宮の舞踏会に出るのかと思えるようなゴージャスなドレスや、ラメや人口石のついた輝く長手袋が並んでいる。右手の側にはびしりと決まったタキシードに、エレガントなモーニング。
小物としてシルクハットやステッキまで、中々気合いの入ったラインナップが充実している。……普段着にできそうな洋服が一つもない。
「普段の仕事や生活で着るよりも、休日に思いっきり空気を変えて楽しみたいって人間に人気がある」
「なるほど……」
「どこか非日常的で、幻想的な雰囲気にも浸れるからな。向こうの客なんかも、いかにもそれっぽい感じだろ?」
細かく装飾の行き届いた生地を広げて見ている俺たちの隣から、先輩の示した先で、どっしりした太めの男性客が華麗な貴族風の装いへと変身している。凝った鬘と付け髭を揺らして堂々と扉を出ていく足取りには、姿と共に中世から抜け出てきたような時代がかった貫禄が備わったようにも感じられて。
「普段の憂さや疲れを忘れて、ロマン溢れる装いでリフレッシュする」
「――」
「今日という日を真剣に楽しみ、明日への活力を入れられる。このブランドを好む客同士での、交流会みたいなものもあるらしい」
「――ってことよ」
先輩による解説のあとで、立慧さんが胸の前で軽く腕組みをしてみせる。
「話を聞いてるとあんたは、普段から修行や鍛錬ばっかりのぎちぎちの生活をしてるみたいだし。折角の休日だから、これを機に息抜きのし方を教えてあげようと思って」
「――っ!」
「溜まってる疲れや緊張をほぐして、頭を柔らかくするためにね。こんな弄り甲斐のある――……先達としていい手解きをしてあげられるチャンスなんて、滅多にないでしょうから」
努めてにこやかを装ってはいるものの、滲み出る魂胆が隠し切れていない。先の論争の意趣返しをしようという気迫に満ちた微笑みに捉えられた郭は、逃げ場のないことを確認するように一度だけ唇を震わせて。
「……ッ断固として抗議します」
「……」
「僕は賢者見習いで、貴女は支部長です。立場にそぐわない対応をすれば、のちのちどうなるか――っ」
「いいわよ、別に」
追い詰められた猟犬のような必死さで抗弁する郭の肩を、伸びた立慧さんの右手があっさり捕まえる。
「あとにはどうせ文句なんて言えなくなるもの。ここの洋服を着て、綺麗におめかししてるあんたの写真を見たら、レイガス様はなんて言うでしょうね~?」
「――ッ‼」
「秘匿された賢者見習いのプロマイドとして、協会の皆に無料でバラまいてもいいかもしれないわね。――一般の洋服店なんだから、魔術を使うのはナシでしょ」
――えげつない。
さっきの田中さんのときより酷い。流れるような脅迫とロジックで抵抗を封じられた郭が、為すすべなく引きずられていく。……筋力では立慧さんの方に分がある。
「安心しなさいよ。あんたも素材は悪くないんだし、きっと似合うでしょうから」
「……私も同行するか」
一方的な蹂躙の悲劇を想像してしまう中で、同様の危険を予感したように、先輩が二人を追って進み出た。
「立慧だけだと悪ノリが過ぎそうだし。流石に賢者見習いを怒らせれば、あとで上からどんな報復があるか分からないからな」
「……そうですね」
「頼んます」
「……」
頷くリゲルと俺の手前で、フィアは周囲の衣装に気を取られているようだ。好奇の煌めきを湛えて辺りを見回す翡翠色の眼差しに――。
「……気になるのか?」
「えっ? ……えっと……」
「興味があるなら、一緒に見てきてもいいんじゃないか?」
躊躇うフィアの背中を押すように言葉を選ぶ。折角の何もない外出の日だ。
「俺たちじゃあの中には入れないし。一緒に選んだほうが、郭や立慧さんもも少しは気がまぎれるかもしれない」
「そうですね……」
目の前で勃発している対立があるとはいえ、楽しめるなら楽しんだ方がいいだろう。俺の言葉に頷きを見せたフィアが、
「ありがとうございます。――っ先輩、私も、その――」
「――っやれやれ」
紛糾している先輩たちの方に走っていく。白銀の髪の毛を靡かせる小柄な姿と入れ替わりに、気だるそうな様子の田中さんが俺たちに近づいて来た。
「休日に時間まで使って服を買いに来るとか。女どもの考えることはよく分かんねえよなぁ」
「はぁ」
「美味いもんでも食って、グータラしてられりゃそれでいいってのに。服なんざ、ここ十年間で一度も買ったことなんてねえぜ」
「それは……」
「ズボラすぎじゃあねえっすか? 俺も普段はスーツ一択っすけど――」
俺は日本では東小父さんと一緒に洋服を選んでいたが、なるべく模様やロゴなどが入らず、目立たない暗色系のTシャツなどを好んで着ていた。古着を中心に一部は手作りもしているというジェインも加わって、男同士での普段着についての話が盛り上がりを見せること暫く。
「――お待たせ」
「――っ」
試着室に入ってから十五分ほどが経ったところで、ブースの中から立慧さんが姿を現す。どことなく肌ツヤの増したような晴れやかな表情の後方。
「……ッッ……‼‼」
「……おお」
「なんというか……」
容赦なく引かれたカーテンの後ろに、強制的にめかし込んだ姿を露にされた、郭が立っている。メルヘンチックなフリルが層を成す、膝にぎりぎりかかる程度に丈の短い、淡い空色をしたジャンパースカートを両手で掴み、
可愛らしさの目立つ華やかなブラウスをトップスに、足元は水色と緑のボーダーの入れられたニーソックスと、艶のある黒の厚底ブーツ。髪型まで手を入れられたようで、シンプルな一つ結びだったはずの黒髪は、リボン付きのシュシュを使ったツインテールとして纏め直されている。……魔法少女か何か。
「……」
「案外似合うわよねー。ホントはもっと短くてフリフリのにしようと思ったんだけど、千景に止められちゃった」
「流石にマズイラインがあるからな……」
ステッキを持っていないのが不思議なくらいだ。……これ幸いと郭を弄り倒そうとする立慧さんと、最低限度の良識を守ろうとする先輩の、これが限界点だったのだろう。
郭自身の抵抗もあいまって、三人の間で相当の応酬があったことは想像に難くない。疲れた顔を隠そうともしない小さな背丈の、どこかくたびれたような気のするポニーテールが揺れるその隣で――。
「――」
「……どう……ですかね?」
新たな装いをした、フィアが佇んでいる。慣れない格好に、幾分恥じらいを見せるように頬を染めて。
「自分で気になるものを選んで、……先輩にも軽く、見立ててもらったんですけど」
「……似合ってる」
素直な感想を、本心から口にする。……本当に似合っている。
「奇麗だし、フィアの印象とよくマッチしてる」
「カタストの方はなんというか、流石だな」
全体的にややガーリッシュやメルヘンが強すぎる印象のするこの店の衣装だが、フィア自身のセンスで選ばれているからか、まったく違和感のある感じがしない。俺たちの会話を耳にした先輩が、改めてフィアの装いを目に頷いてくる。
「こういった服装はどうしても着る人間を選ぶところがあるが、容姿や雰囲気ともばっちり決まってる。妖精か何かじゃないかと思うくらい嵌ってるな」
「そんな……」
「ん~、俺としちゃあ、もうちょい色っぽい方がそそるけどよ。谷間とかヒップのラインとかを、もうちょいこう出してくれるとありがてえな!」
「そういう趣旨ではないと思いますが……」
「あー。――っ郭の方も、大丈夫だって。自信持てよ」
「そうよねー、ホントに似合ってるわ。折角だから、そのまま包んでもらっちゃったら?」
「……っ死んでください……ッ……!」
リゲルの執り成しにも反応を示さない。披露からずっとスカートを握り締めている郭の指先が、内側で氾濫する感情を抑えきれないように震え出す。……そろそろマズいんじゃないか?
「賢者見習いたる僕が、こんな醜態を……‼」
「……」
「……そうです。目撃者を全て消してしまえば、証拠は何一つ残らない……」
「あー、郭? そろそろ着替えるか? もう充分堪能しただろうし――」
「――まだでしょ」
ブツブツとこの場にいる全員の殺害計画を練り始めた一触即発の状態の郭を、やんわりと退場させようとする先輩の仕草に、立慧さんが待ったをかける。残酷な喜びをたたえた晴れやかな笑顔のまま。
「まだ一着着たばかりだってのに。こんなところで音を上げるなんて、賢者見習いっていうのは随分軟弱な立場なのね」
「――!」
「まさか支部長にやり込められてるわけでもないでしょうし。初めてでこれだけ似合ってるんだから、終わらせるのは勿体ないわよねーっ?」
「……そうだな」
邂逅から積み重ねられてきたやり取りの数々で、相当鬱憤が溜まっているらしい。自制心の振り切れてしまっている立慧さんの態度に、諦めたような素振りで先輩が頷いた。
「カタストの方が自然な雰囲気ではあるが、郭も決して似合ってないわけじゃない」
「……ッ!」
「初めてでこれなら才能のある方かもな。――立慧も、今日はいつものを着なくていいのか?」
「そうねー。今日は流石にやめとくわ」
――っ⁉
「自分で着るより、郭のをプロデュースする方が千倍楽しいし……って」
「――」
「ハッ⁉」
思わずといった調子で滑り出たその言葉に、立慧さん自身を含む場の空気が硬直する。……遅れてから発言の意味に気付いたのか。
「……あー、えっと」
「……立慧さん?」
「その、違うのよ? 千景の言うようにいつもじゃなくて、たま~に興味本位で顔を出すことがあるってだけで……」
「ふ、ふふふふふ――っ」
動きを止めた立慧さんが、一斉に向けられる視線を浴びて、どうにか誤魔化そうとするが、その取り繕いには流石に無理がある。――ッ郭。
「――ッこれはいいことを聞きました」
「――」
「范支部長は意外と可愛いもの好きだったんですね? 武闘派で頼りがいのある人間と聞いていましたが」
壊れたラジオのような拍子の外れた笑い声をあげた郭が、死中に生きる術を見出したかのように、ギラリとした眼光を覗かせる。試験で追い詰められたときにも一瞬垣間見せていたような――‼
「威勢のいいことを言う割に、プライベートは随分と少女趣味的」
「……くっ!」
「協会の人間にばらされたなら、さぞかし盛大な驚きをもって迎えられることでしょう。支部の人間たちから、失望の視線で見られてしまうかもしれませんねぇ?」
「ッちょっと、千景――っ⁉」
「いやまあ、流石に少しやり過ぎか……? と思ってな」
あとのない必死の人間の放つ、幽鬼のようなオーラだ。立慧さんに揺さぶられてがくがくとポニーテールを前後に揺らしている先輩が、間延びした声で説明している。
「郭が師匠命令で来てるのは確かだが、同じ協会の一員である以上、下手な形で確執が残るのは望ましくない」
「……!」
「互いに弱みを握ることになれば、立場としてはイーブンだ。一番丸く収まる形だと思ったんだが――」
「英断です、上守支部長。――協会の人間にバラされたくないのなら、選択肢は一つです」
何層にも重なったフリルのスカートを揺らしつつ、ニーソにツインテール姿の郭が、飾り布の溢れた胸元で腕組みをしながら凄惨な笑みで凄んでいる。
「ここまでの辱めに耐えたのだから、当然、貴女にも同様の衣装を着てもらいます」
「なっ――!」
「当然、次は僕のチョイスで。嫌とは言いませんよね?」
「……!」
「――それくらいなら大丈夫だろ」
唇を噛みしめる立慧さんに向けて、先輩が援護か追い打ちかわからないような声を飛ばす。気のせいかもしれないが……。
「立慧はこの店の常連だしな。ギャラリーにしても本山や支部の人間じゃなく、蔭水たちに見られるだけなら問題はない」
「……いや、っでも……」
「――逃げるんですか?」
いつの間にかこの状況を一番楽しんでいないだろうか? ――突き付けられた一言。
「あれほど強引にこちらを引きずり込んでおきながら。自分が守勢に回るとなれば、随分としおらしいものだ」
「……‼」
「従順にミルクを与えられている子猫のようですね。似合わない拳など振るっていずに、尻尾を丸めて、友人の支部長の後ろにでも隠れていればいいのでは?」
「……ッいいわ」
途切れることのない挑発の連打に――迷いを浮かべていた立慧さんの瞳が、炎を灯したように据わった眼光を顕わにした。
「やってやろうじゃない、その勝負」
「……!」
「今日が初めてのあんたと違って、こちとら毎月の休日を使って、趣味で着に来てんのよ? そんなんで参ると思ってもらっちゃ困るわ――!」
「素晴らしい意気込みですね。――三本勝負と行きましょう」
互いに互いの攻撃で逃げ道を無くして、変なテンションになっているらしい。不退転のオーラを纏って不敵に口の端を上げた郭が、目の前に三本の指をつき立てる。
「修養派の支部長如きにイーブンで終わらせたとあっては、賢者見習いの名が廃ります。互いに相手に着せる衣服を選び、どちらの恰好がより滑稽だったか」
「……⁉」
「ここにいる全員に決めてもらいましょう。初めの借りとして、まずは此方から行かせてもらいますよ」
「ッいいわ。――返り討ちにしてあげる」
「あの……」
闘志を燃やす支部長と賢者見習い。高まるボルテージの熱気に、完全に取り残される形になった俺たちの間から……。
「……付き合わなきゃダメなやつかぁ? こいつはよ」
諦めたように疑問を口にする、田中さんのぼやきが耳に届いた。




