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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第六章 運命の日
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第一話 雲晴れた空

 ――朝。

「……」

 何をするでもなく、布団の中で俺は目を開ける。深緑色の石材でできた重厚な天井。

 見慣れた自室の景色を脳内で再認しながら、掛け布団を外して身体を起こす。覚醒していく頭の中に、ここ数日の事態が浮かんできて――。

 ――あのあと。

 三千(みち)(かぜ)さんの指示で俺たち四人は治癒棟へ移動したために目にはしなかったが、あとの立慧(リーフイ)さんからの話によれば、秋光(あきみつ)さんを始めとした四賢者を中心として、協会員による本山内の大調査が行われたらしい。

 一つ目の対象は、凶王たちによってもたらされた破壊の影響。永仙(えいせん)と秋光さんとの激戦が繰り広げられていた中央ホールは言うまでもなく、小父さんたちやリアさんたちが戦った二か所の区画も無残なありさまだったらしいが、どちらも建物自体の崩壊には及んでいないため、それほど間を置かずに修復できるとのことだった。

 ゲートのあるメインホールから修練場に至るまでの、凶王たちが通過した通路にも悪意のある仕掛けの痕跡は見つからず、丸一日が経ったところで、本山それ自体の調査は異常なしということで締め括られた。……二つ目に問題となったのは、大賢者時代の永仙が抜け道を施していたという【大結界】と【ゲート】についての調査。

 本山を守護する守りの要でありながら、致命的と言える仕掛けが施されていたのを看破できなかった事実に対し、支部、本山を問わず担当の協会員たちには厳しい見直しの措置が下ったようだ。永仙と凶王を招き入れるに至った当該箇所の修復と機能の確認は、レイガスと秋光さんの監督の元、当該部署の魔術師たちが必死になって終わらせたらしいと、田中(たなか)さんが話してくれていた。

 そして最後に――。

「……」

 九鬼(くき)永仙(えいせん)から直接接触を受けた、俺たちに対する調査だ。治癒棟で傷と疲労を万全に回復されたあと、俺、リゲル、ジェイン、フィアの四人はそれぞれ、精神や肉体に異常がないかの精密な検査と、戦闘の経緯や永仙の様子に対する口頭での質問を受けた。

 精神や肉体面への検査はその方面に造詣が深いというレイガスが担当し、口頭での質問は中立的な立場ということでリアさんが担当したのだが、どちらについても、目ぼしい結果は得られなかった。俺たち四人の身に特別な異変はなく……。

 リアさんからの質問に対しても、体験したことをそのままに語りはしたものの、永仙や凶王たちの襲撃の目的について新しい情報はなかったらしい。丸一日がかりとなった検査が終わって――。

「――ふぅ」

 昨日の夜、ようやく自室に帰って来られたというわけだ。慌ただしかったここ二日間の思い出に、息を吐く。……疲れた。

「……」

 だが、これでひと段落が付いたとも言える。安堵で空白になった思考の隙間に、忘れられないイメージが思い起こされてくる。……永仙との戦い。

 これまでに凶王派を通じて何度も俺たちの命を狙い、目の前で俺たちを殺すと宣言までしておきながら、結局永仙はそうしなかった。俺たち全員を死ぬような目に合わせ、瀬戸際まで追い込んできたのは事実だが……。

 前回の外出に続いて何度もあったはずのチャンスを見逃し、最後の方など、まるで俺たちの成長を望んでいるような素振りを見せていた。……わからない。

 ――九鬼永仙(あの男)は結局、何がしたかったのだろう? 親友であるはずの秋光さんと袂を分かち、組織方との戦争を目論んでいるとされておきながら、協会の本山に侵入したうえで、誰一人死人を出さなかった。

【大結界】と【ゲート】に仕込んだ罠という、一度限りの切り札を使ってきたにもかかわらず、行動の影響がまるで見合っていないように感じられる。手掛かりの見付からない思考の中――。

 壁際の時計を目に、今が八時半を過ぎていることに気付く。……もうこんな時間か。

「……起きるか」

 今日はフィアたちも遅起きだろうが、朝食はいつも通りに用意がされているはずだ。決着のつかない脳裏の考えを打ち切って、俺は、けだるげな身体をベッドから降ろしにかかった……。





「……」

 ――習慣通りに目が覚めての七時過ぎ。

 対凶王、永仙への戦力として協会に迎えられた《救世の英雄》――()(げつ)(あずま)たち三名は、無人となるサロンの一角にたむろしていた。朝食にはまだ早い。

 ここのところの戦闘や検査での疲れが残っていることからして、黄泉示(よみじ)たちが起きてくるにもまだ時間がかかるだろうことから、ひとまず邪魔の入らないだろうこの場に足を向けることにしたのだ。眠気覚ましも兼ねた、濃いブラックのコーヒーを(すす)り――。

「……」

「……なんっか嫌な感じがすんだよなぁ」

 渋みの強い紅茶を口にするレイルとエアリーの前で、東が呟きを零す。アラビア風の宮殿と月の描かれた洒落た装飾のカップは、滞在するひと月で使い慣れてはきたものの、未だにどこか自分には似つかわしくないような感覚がぬぐえない。

「永仙にしろ凶王にしろ、理由もなく、んな大規模な行動を起こしてくる連中じゃねえ」

「……」

「絶対何か理由があるはずなんだが、そいつがまるで見えて来ねえ。気持ち悪いと思わねえか? お前らも」

「思わない、と言いたいところではありますが……」

 東と同じような仕草でカップを置いたエアリーが、言葉の行く先を途切れさせる。初見の者には想像もできない剛力の秘められている両腕が、麻の聖職衣を纏った胸元で、今はしっかりと組み合わされている。

「現役時の永仙を知っていると、とてもそういう風には思えませんね」

「……」

「組織側との均衡を崩すと知りながら、これだけのことを仕掛けて来たからには、必ず何か相応の事情があるのでしょう。それも相当に切迫したような……」

「特別な立場の王である《帝王》を除く、四人の王全員が動いているわけだからね」

 鋼線のような黒髪を撫で付けたレイルもまた、二人の思案に乗るようにして、髭のない顎筋を指で撫でさすっている。手にした白磁のカップから、ダージリンの茶葉の持つ混じりけのない香りを立ち昇らせて。

「並大抵の理由ではそうはならない。統括者役である《魔王》が号令をかけたとしても、その指示に本当に理があると考えなかったなら、他の王たちは動かないだろう」

「リアの婆さんの話によりゃ、魔王もどっちかってと自分らの腹のうちを見定めに来たって感じだったみたいだしよ」

 ソファーの背もたれに両腕と体重を預けた東が、天井画と共に頭上を彩るシャンデリアを見上げると、鼻から大きく息を吐き出した。――そう。

 永仙と凶王派の見据えてるものが何なのかという問題が、今の東たちの意識には暗雲のようにのしかかっていた。これまでの情報から想定されていた目的。

「協会を始めとした組織側とドンパチやろうって雰囲気には見えねえ。もし真面目に戦争でもやろうとしてるんなら、あんな絶好機を逃すはずがねえからな」

「永仙と凶王派の同盟も、そもそも組織方との衝突を見据えてのものではなかった、ということでしょうか」

「同盟に対する反発への抵抗くらいは意識してのことだったかもしれないがね。どちらにせよ、自分たちにとって最大の問題であるはずの三大組織を、今の凶王派と永仙は見ていない」

 状況証拠と素性から確かだと思われていた推測は、今では、まるで用をなさない旧時代の遺物に変わってしまっている。技能者界を二分する勢力の全面衝突という危機が去り、協会への襲撃で死者が一人も出なかったとはいえ。

「それ以外の何かに照準を合わせて動いている。リゲル君たちへの干渉が、それに関係しているとは思いたくないが……」

「……手持ちの情報じゃ、否定の材料も作れない」

「永仙と凶王派という大難が去ったようだとはいえ、先行きが分からないなら、備えだけでもしておくべき……ですか」

 それで全てが無事に収まったと言うことはできないのだ。示し合わせたように三人が物憂げな息を吐く。訪れる未来の暗端を予感しながら、各自の飲み物を口へ運んだとき。

「――おっと」

「……鳴っていますよ」

 唐突に鳴り始める近未来的なメロディ。軽快なテクノポップのサウンドを響かせる端末をスーツの内ポケットから取り出したレイルを、掲げているカップ越しに東とエアリーが見つめやる。

「――ああ、私だ」

「……」

「掛けてくれるなと言っておいたじゃないか。言いつけを破ってまで、どうしたんだい?」

 端末を片手に話す姿勢は一見にこやかだが、知る者が見れば感じられる冷ややかな威圧のオーラが滲み出ている。電話口の向こうで話している相手の言い分を、ふんふんと頷きながら聞いたのち。

「――まあ、その辺りの動きは想定内だろうね」

「――」

「五大ファミリーと言うとはいえ、最も力のあるうちのファミリーは、他からすれば目障りな商売敵だ。会合にトップが出てこないとなれば、ジッロネモもいい口実ができたと思うだろう」

「――‼」

「ああ、いや、その辺りはもう少し上手くしてくれると思っていたんだがね。他の四つに手を組まれるようなことがあると、流石に好ましいとは言えない」

 どうやら相手は電話口の向こうで盛大な抗議を申し立てているらしい。東たちの耳にも微かに聞こえてくるほどの声量を間近に受けながら、レイルはまるでにこやかさを変えないまま話し続ける。

「アルバーノは風向きが見えているだろうし、エゴール辺りも簡単には手を組まないだろうが、万が一があるといささか面倒だ」

「――」

「情報操作で攪乱しつつ、話が纏まるのをできるだけ引き延ばしてくれたまえ。――帰るときはこちらから連絡する」

「……」

「――さて、何の話だったかな?」

「いやいやいや」

 なおも何かを言いかけている相手を無視して、レイルが一方的に通話を切る。何事もなかったかのように会話を再開しようとするレイルの態度に、東は抗議の意を込めて思い切り手を振ってみせる。――流石にそれでは突っ込みどころが多すぎる。

「絶対んな調子で流せる話じゃなかっただろ。他のファミリーが集結とか言ってたしよ」

「仮にも組織の長だと言うのに、どうやってあんなに早く来られたのかと思っていましたが。――さては貴方、部下に全部丸投げしてきましたね?」

「信頼している腹心に、後顧の憂いを託してきただけさ。不手際でほんの少しばかり、ことが大きくなってしまっているようだがね」

 二人からの追求の眼差しを受けたレイルが、微かに口の端を緩めてみせる。微塵の動揺も見せない仕草で端末をしまい込むと、紅茶の香りを楽しむように白磁のカップを鼻腔へと近づけた。

「これ以上はどうにもならないと泣き言を零していた。まあ、電話をかけてくる余裕があるようなら、まだしばらくの間は大丈夫だろう」

「……貴重な部下を心労で潰さねえためにも、早く帰ってやった方がいいんじゃねえか?」

「そうですよ。――っおや」

 深い思いやりをもって頷いたエアリーの腰元から、荘厳なレクイエムの音階が流れ始める。古びた二つ折りの携帯を取り出した神父の指先が、慣れた手つきで通話のボタンを押し込む。

「はい。――え?」

「……」

「まあまあ。それは大変ですね」

 会話の様子を見守る二人の前で、話し相手の言葉に大仰なリアクションを取ったのち、茶葉の入ったポットを軽く揺らして、冷めかけていたカップに新しい紅茶を注ぎ直す。

「教会の維持と業務はしっかりこなしてもらわないと。本意でないとはいえ、こちらも約束を果たせなくなってしまうことにもなり兼ねません」

「――ッ」

「子どもたちの生活についても当然、不手際などがあっては困りますから。心の籠った真摯な対応を心がけてください。――用事の方はもう少しかかります」

 崩されない天使のような微笑みのまま――電話の向こうの相手にとって非情な宣告となるだろう一言を、あっさりと口にした。

「事態が落ち着いたら帰国しますので、そのときまた改めてお話ししましょう。――では」

「……なんつってたんだ?」

「留守中の子どもたちのお世話を頼んでおいた人からなのですが。慣れない孤児院での仕事に、大分振り回されているようでしてね」

 東の問いかけに、携帯をポケットへと戻したエアリーが、やれやれと言う素振りで首を振る。瞳の間に寄せたしわではっきりと不満の色を示し、

「任せられる程度には仕込んできたつもりでしたが、案外軟弱でしたね。子どもたちも皆パワーがありますし、最近の頼りない信徒にしては、よく頑張ったと言える方なのかもしれませんけど」

「ちょい待て? 誰に頼んだって?」

「聖戦の義の信徒ですが? 何かに付けてつき纏われて面倒でしたし、見返りはきちんと提示した上での話ですから。それくらいはこなしてもらわないと困ります」

「……可哀そうなその信徒のためにも、早く戻ってやった方がいいだろうね」

 一瞬にして事態を了解したレイルと東が、目を見合わせて沈痛な表情で頷きあう。こと身内や仲間と判断した人間に当たる小数の例外的場合を除いて、エアリーの辞書に遠慮や手心という文字はない。

「経験の浅い人間だと、予期せぬトラブルが起きるかもしれない。信徒の身はともかくとして、子どもたちに何かあれば心配だろう?」

「そうですね。流石に子どもたちに何かがあるのは困りますし……」

「組織を他人任せにしてるテメエが言えることでもねえんだけどな……」

「帰ったらまた部下たちの鍛え直しかな? 秋光に、帰宅の旨を伝えないといけないね」

 どういう約束を交わしてきたのかは知らないが、何かしらの利益を見込んでいた相手の思惑はまず間違いなく反故にされることだろう。哀れな犠牲者たちのことを頭の片隅に浮かべた東の目前で、レイルが残っていた紅茶を一息に飲み干した。

「リゲル君たちの件についても、話をしておかなければいけないし。エアリーも来るかい?」

「そうですね。話をするなら、早い方がいいでしょう」

「――ちょっと待て」

 すでに空になっていたコーヒーの器を置いて、東は立ち上がろうとしていた二人を呼び止める。

「俺も行く。いったん日本に戻らなきゃならねえからな」

「おやおや」

「あれだけ子どもに対して過保護だった人が。どういう風の吹き回しですか?」

「引っ張るんじゃねっての。――今後のためだよ」

 わざとらしい二人の反応に舌を打って、東は軽く説明の文句を口にする。

「あの生意気な若造――狂覇者との戦いでも分かったが、今の俺らの体たらくじゃ、あのレベルの戦闘がありゃ後れを取ることは避けられねえ」

「――」

「今からやって全部を戻せるわけでもねえが、最低限やれることはやっとくべきだと思ってな。だりぃ話じゃあるが」

「そういえば、君のあの得物は実家に返還していたんだったね」

 レイルが思い出したと言うように頷いて見せる。――東の現役時に扱っていた刀は本来、日本最高の退魔機関の一員であった彼の生家、夜月家に帰属するもの。

「本来の戦闘様式を発揮するため、それを貸してくれと頼みに行くわけか。気楽そうな話で羨ましい」

「事情を知ってる癖によく言うぜ。――お前らの方はどうすんだよ?」

「正面から要望を伝えるしかないでしょうね」

 技能者界の一線を退くにあたって、十年前の東は、かつて家から無断で持ち出したそれらの宝刀を己の祖父に返還している。率直な東の問いかけに、エアリーが難し気に眉根をしかめる。

「組織の事情がら、面倒な交渉にはなりそうですが。背に腹は代えられません」

「多少の譲歩は必要になるだろうね。立場の弱いのはこちらであることを踏まえると、そう高望みもできない」

「組織勤めの連中は大変だねぇ。因縁の相手に天井から蜘蛛みてえにぶら下げられてた優男と、ぺらっぺらの影に手も足も出なかったゴリラじゃしょうがねえか」

「最底辺の使い手に追い回されていた人間が言うことでもありませんね。聖宝具が戻り次第、真っ先に叩き台にしてあげましょうか」

「銃の感触を試すのと、特殊弾の試し撃ちも必要だからね。率先して的役に申し出てくれるとは、引退しているだけあって実に謙虚だ」

「言ってろ。現役時の得物さえ手にすりゃあ、テメエらみてえなへちまは(なます)に刻んでやるよ」

 笑顔のまま殺気をぶつけ合いながら東たちは歩いていく。優美な装飾を備えるサロンの扉が、殺伐とした喧々諤々を向こうにして、静かに独りでに閉じられた。




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