第二十七話 全てを懸けて
「……っ」
――永仙との対峙。
先ほどのような分身ではない、本物の九鬼永仙が俺たち全員の目の前にいる。……伝わってくるオーラが違う。
先の戦闘と比較することで、今更ながらに理解が及んでくる。今の永仙の気配はまるで、ヒトガタをした大山そのもの。
俺たちとはかけ離れた力を持った、最高クラスの技能者だ。……それでも立ち向かわなければならない。
俺たちの望む明日は、その先にしかないのだから。今一度奮い立たせた己の心に激を入れて――ッ。
「――ッ行くぞオラァッッ‼‼」
「――【時の加速・二倍速】ッ‼‼」
死力を乗せ切るようなリゲルの咆哮と、血を吐くようなジェインの援護を合図に、気迫を込めて床を蹴り出した。――っリゲルとジェインは永仙の攻撃で重傷を負っている。
現状では二人とも気力と意志の力で動くことはできているようだが、この怪物を相手にどれだけ持たせられるかは分からない。――時間との勝負。
「【上守流・上級対術障壁】――‼」
防御に全力を注ぐフィアも、治癒に手を回せるだけの余裕はない。これが最後の機会――‼
「――ッ‼」
この攻撃で永仙を倒せなければ、俺たちが生きて明日を見ることはできないのだ。――ッ考えろ。
どうすれば永仙を倒すことができる? 霰のように放たれる氷の弾丸を受け凌ぐ、フィアの障壁の後ろを走りながら思慮を巡らせる。力量も経験も遥か格上。
互いをよく知る小父さんたちでさえ、戦闘は避けろと言う相手に、どうやって立ち向かえば。倍速の加速を得て死ぬ気で回転させる思考の中――‼
「――【重力――四倍】ッ‼‼」
手負いとは思えないほどの猛速で肉体を駆動させたリゲルが、重力魔術にて永仙の行動範囲を制限し、飛び退いた老人に拳と捌きを交わしながら間合いの内側へと入る。……なんだ?
この窮地で目を見張るスタミナと技の冴えだが、違和感がある。なぜ永仙は今、霊符を使わなかった?
いや、接近する俺たちを迎撃しようとしたときからそうだ。永仙の発言と実際に感じられる圧力からすれば、先の魔術戦など比較にならないほどの攻勢が俺たちを待っていたはず。
近付く余地もなく蹂躙されていておかしくはなかったが、今の永仙はむしろ、先ほどより符術を使わなくなっているように感じられる。術の数と間隔もそうだが、威力を見ても精々先の『形代符』による分身と同程度しかないような。
一体――。
〝『太陽符』はその均衡を一時的に崩し、陽の気へと傾ける霊符〟
「――」
〝魔術的な能力が減退する代わりに、筋力や反射神経を始めとした肉体機能は著しく向上する〟
――ッそうか。
先の永仙の言葉が耳に木霊する。永仙が使っていた術法は、魔術的な能力と引き換えに肉体の力を高める符術。
エアリーさんによって鍛え上げられたリゲルの反応を凌駕し、【時の加速】の優位さえ無意味にする強化の効率は凄まじいものだったが、それはつまり、魔術的な要素に用いられるはずの全ての気を肉体側へ傾けていたからこそのものでもあった。符の効力が無くなったとしても――!
すぐには元に戻らない。見出した血路に従って全力で身を投じる。今が千載一遇の好機。
逃せば二度とは望めない、俺たちにとって唯一の勝機なのだ。全員掛けかつ倍速の【時の加速】が持つのは三分だけ。
形代との戦いでも使っている今、すでに残りの合計は半分にも満たないはず。その間に――!
「――っ!」
勝負を決めなければ。リゲルの拳と併せて振り払う刀身に、防御を嫌った永仙が背後へ大きく跳び下がる。反撃に向けて後ろ足に力を溜めた瞬間。
「【時の遅延】――‼」
「――っ!」
「【二分の一倍速】ッ‼‼」
叫びと共に。永仙の動き全てが、スローモーションのフィルムに掛けられたように引き延ばされる。っ郭との模擬戦で見せた手法。
――あのときもそうだった。
駆け走りながら思う。一度目の仕掛けでレジストを受けたのち、二度目の干渉でジェインは隙を作ってみせていた。レイルさんとの修練を見てきたからこそ分かる。
常に相手の手腕を分析し、学び続けているジェインなら。永仙が例えどれほどの怪物であろうとも――‼
「むっ――」
魔術的な能力の減衰している今ならば、必ず。奪い取った数瞬の時間。
「……ッ‼」
「――ウオラァッッ‼」
迎えた限界に声もなくジェインの干渉が中断される。相手方の意表をついて生み出したその隙に、過たずリゲルが飛び込んでいる。これ以上ないと思えるタイミングで繰り出された――!
黒革の拳と賢者の返礼とが、刹那の時間のうちで交錯した。――瞠目。
「……へっ」
「……⁉」
リゲルの渾身のストレートを打ち負かし、スーツの腹部に打ち込まれている永仙の拳。瀬戸際で競り負けた衝撃に絶望が湧きかけた直後に、開かれたグローブの指五本が、己に刺さる老人の前腕を掴み取る。――っなに。
「……ッエアリーさんに言われたぜ」
「……!」
「どれだけ流しや回避の技術を上げようが、格上相手なら攻撃を食らっちまうことはある。だから……ッ‼」
「【中級治癒】――‼」
上げた唇から一筋の血を流し。一撃を対価に永仙を捕らえたリゲルが、万力の如き握力で右腕を握り潰しにかかる。間髪入れずに掛けられたフィアの治癒を受けて。
「そのときに重要になんのは、血反吐を吐きながら鍛え抜いてきた根性だってよ」
「――‼」
無詠唱。覚悟を込めてリゲルの発動させた重力魔術が、数倍の重しとなって二人の両肩に圧し掛かった。無言のまま全身を鋼のように締め上げて対抗する永仙と――ッ‼
「……!」
「ぬ……ッ、ぐ――ッ‼」
奥歯を食い縛って力を込め続けるスーツの姿の間から、骨と筋肉の軋む異音が響き始める。彫像のように動きを封じられた二人。
「――ッッ‼‼」
無防備なその背中に向けて、体勢を整えた俺が一気に距離を詰め寄るッ‼ ――ッいける。
今いる位置は永仙から完全なる死角。身動きも取れない老人の体躯に、全力で一刀を――ッ‼
「ッ⁉」
抜き放とうとしたその刹那。死に体だと思われた永仙の身体から、突如として突風が沸き起こる。――ッなんだ⁉
「うぐッ⁉」
「ッ、リゲル‼」
台風を凝縮したかと思うほど爆発的な暴風。集中の途切れた一瞬の隙に掴みを利用して投げ飛ばされたリゲルが、抜刀をキャンセルした俺の足元を滑りながら床に叩き伏せられる。霊符の暴発――ッ⁉
「――魔術もなしに四対一では骨が折れる」
術法の制御が上手くいかない状況下で、懐にあった霊符を無理矢理発動させたのか。薄く苦笑して拘束を抜け出した永仙が方向を変える。
「――⁉」
「動きの鈍い人間から、一人一人片付けていくことにするか――」
「――カタストさん‼」
頭を押さえながら放たれたジェインの叫びと、差し向けられた永仙の眼光に、標的になったフィアが身を竦めさせる。――しまった。
「【時の――‼ ぐッ‼」
「――ッ‼」
前衛の俺たちが崩れたことにより、狙いが後衛に切り替わった。踏み込んだ俺の視線の先で、獲物を狙う獅子の如く地を蹴った永仙が疾走する。逃げようとしたフィアへと猛追し――‼
「【中級障壁】――ッ! ッあっ⁉」
「させ――るかァッッ‼‼」
魔力の盾を躱して無防備な首筋を掴み掛けていた右腕を、身体ごと終月を割り入れるようにして打ち払った‼ 急激な方向転換の勢いを殺さずに繰り出した体当て――‼
「――ッ」
意表を突いたはずの強襲だが、永仙は動じず生きていた左腕を半身ごとぶつけるようにして力の向きを逸らしてくる。脇腹を襲う衝撃にたたらを踏みながら、フィアの前に踏み留まった俺。
距離を広げ直した永仙と対峙し、互いに睨み合う形を作る。……心臓が張り裂けるほど躍動する。
「……っ大丈夫か?」
「っ、は、はい。なんとか――」
咄嗟の迎撃だっただろうにもかかわらず、体重の乗った重い鈍痛がじわじわと内臓へ滲み出してきている。……永仙は俺たちの陣形の中心。
「……っ黄泉示さん」
「ッ大丈夫だ。っ……!」
「……っ。チッ……!」
右腕を押さえながら立ち上がったリゲル、レジストの後遺症から立ち直ったジェインと俺たちとで、期せずして三方から囲む形になっている。構えた黒刀の先を見据えつつ……。
「……俺たちは、必ず生きて帰る」
「……!」
「永仙を倒して。必ず、全員で」
「……っああ」
言葉にした決意に、痛みに目を眇めるジェインが頷く。罅割れた眼鏡を指で押し上げ。
「おうよ」
細かく痙攣する両腕で無理矢理拳を作ったリゲルが、口の端を上げた構えから挑むように闘気を立ち昇らせる。――全員の限界が近い。
「っ……!」
背後に立つフィアの息は荒く、魔力と精神の疲労でいつ倒れ込んでもおかしくないほどだ。残りの体力から言っても、勝負を仕掛けられるのはこれが最後。
最後に一度だけ大きく息を吸って――。
「――ッ‼」
――【魔力解放】。
「【時の加速・二倍速】――ッ‼‼」
揺らめく魔力の強化とジェインの叫びを糧に、目の前の永仙に向けて、渾身の勢いで飛び出した。――策を練る余力は俺たちにはない。
まともにぶつかれば死へ飛び込むのも同じことだが、リゲルとジェインの奮戦で永仙は右腕を負傷している。これまででも最大級の優位を得ている以上、
「――っ」
この機会に懸けるだけだ。攻撃の中心が俺だと見てとった永仙が――ッ。
「【重力二分の一倍】ッ‼」
「――ッ‼」
流水の如き運足でリゲルの方へ向かおうとした瞬間、狙いを読んでいたリゲルの一手によって、制動し損ねた永仙の肉体が空中へと躍り出る。――ここッ‼
どれだけ優れた武術の腕前を持とうとも、空中なら身動きを取ることはできない。一秒にも満たない着地までの時間に向けて、全霊を込めて踏み込んだ!
「――⁉」
そのとき。窮地に陥ったはずの相手の口元が、微かに吊り上がるのが映り込む。――ッ罠?
「――ッ‼」
誘い込まれた。気付いた直後に懐から取り出された四枚の霊符が、永仙の指先から瞬速の一動作で投げ放たれる。倍速の時間の中でも止まれない勢いに乗った俺の目前――ッ。
「【六合青龍】――」
解放された符たちから、建物を崩壊させるほどの雷撃と暴風が目の前に広がった。ッ――!
――……ッ駄目なのか?
あの日の光景が、疑問の浮かんだ心に蘇る。……俺は何もできなかった。
優しかった母は死に、強く尊敬していた父もあとを追ってしまった。信じていた全てを失ったときのように……。
また――。
……っ。
――いや。
「――ッッ‼」
――やるんだ。踏み込まなくてはならない。
今ここでやらなければ、何もかもが無意味になる。リゲルやジェインの奮闘も。
フィアの努力も、俺たちが共に過ごしてきたあの時間も。今ここで歯を食い縛らなければ、全ての意義が消えてしまう。
あのときと今とはもう違う。……仲間と生きていく明日を切り開くため。
背後に立つフィアたちの存在を頼りに――‼
「――【上守流対魔障壁・三重展開】ッッ‼」
人体を塵芥と成して滅ぼす、苛烈な煉獄の中に飛び込んだ‼ 全霊をもって俺を守ろうとするフィアの障壁。
「……ッ‼」
迫りくる嵐の猛撃を受け止めた魔力の盾が、限界を超える暴威に震えるようにして破砕する。凝縮した無音の時のうちに、フィアの必死に術式を保持する息遣いが聞こえてくる。弾け、貼り直し、砕け散り。
「――ッッ‼」
耐えることのできない苦痛に呼吸が途切れた瞬間。最後の一枚を貫通した荒れ狂う風の刃が、俺の右肩を正面から切り抜いた。……衝撃。
熱く、滑りのある感触が傷口を覆っていく。景色を流れていく緋色――ッ。
傷口を捉えた永仙の虹彩が、勝利の確信に収縮する。――ッ息を呑む声の届いたそのとき。
「ッッ――‼‼」
――【魔力凝縮】。
落ち行く緋色を超えて一歩を踏み込む。瀬戸際で発動させていた隠し玉。
高密度に収束された暗黒の魔力が、直撃を受けた肉体の損傷を和らげ、俺の傷を致命傷ではなくしてくれている。湧き上がる激痛に歯を食いしばり――ッ‼
地面に降り立っていた永仙。符術の発動の隙を消し、迎撃の姿勢を整えた大賢者の目前に到達した。……一撃。
俺と永仙の姿勢は奇しくも、互いに一撃を放てる構えを取って/になっている。俺の側は【無影】を。
静かに腰を落とし、両脚で大地に根を張るような永仙の側は、全ての体重と技量を乗せた練達の拳を。……ッ駄目だ。
小父さんとの修練で磨かれた感覚。死地における可能性を掴む者としての本能が、土壇場で冷徹な結論を導き出す。永仙の拳の威力は、リゲルの渾身の一撃と競り合ってなお打ち勝つだけのもの。
得物の差がある分、速度は俺の【無影】が勝るはずだが、本来なら相手方に反撃の機を与えないための居合術である以上、重さではどうしても劣ってしまっている。正面からぶつかり合えば――ッ‼
「……ッ」
……そうだ。
限界まで酸素を費やし尽くした頭のうちに、余りに単純な考えが浮かんでくる。単独で足りないのであれば、組み合わせてしまえばいい。
蔭水流における最速の居合術である【無影】に、雷を操る男との戦いで模倣した、最剛の一刀である【絶花】。
全ての自重を乗せ切って成立するあの威力を――ッ‼
「――フゥッッ‼‼」
ッこの一閃に‼‼ 骨身に染み付いた技の型から、残心の構えだけを無理矢理外し取る。
反撃も打ち終わりも考えずに、文字通り身体ごと全てを叩き付けることだけに意を括りつける。己の身を擲つような暴力に――‼
抑えの中でも肉体から立ち昇っていた魔力の漏出が、一瞬だけ完全に止まったようになり。――肉体の感覚が更に深く研ぎ澄まされる。
僥倖に湧いたのは刹那の理解。これまでの【魔力解放】の限界を超えた、己のうちに湧く全ての魔力を強化に振り向けて――‼‼
「――ッッ‼‼」
全身を噛み合わせた渾身の一動作で、一刀を抜き打ち放つッッ‼‼ 迎え撃つ永仙の拳。
鍛え抜かれた古豪の拳頭と刃の無い黒刀が間合いの中心で激突し、伝わる衝撃に全身が毛を逆立てられる。――ッ重いッ‼⁉
「――ッアアッッ‼‼」
全ての体重と気迫をぶつけたにもかかわらず、一瞬でも気を抜けば吹き飛ばされる確信がある。……ッ振り絞る。
自らに残された力の、最後の一滴まで。明滅する敗北のイメージに背を焼かれるようにして――‼
「――ッ‼」
「――!」
譲らず力を込めた俺と永仙の一撃が、互いの威力を割り爆ぜるようにして弾きあった‼ ッ――‼
――ッまだだ。
まだ、止まっては。肉体の至近に留まり、駆動を支えてくれていた暗黒の魔力が、凝縮の反動で急速に発散へと移り出す。まだ終われない。
見据える俺の視線の先で、永仙はまだ立っている。痺れの残る手足を意志でねじ伏せ、しゃにむに前に進もうとした矢先!
「……ッ⁉」
全く唐突に。限界を迎えていた俺の身体が、膝元から崩れ落ちる。――ッしまった。
致命的な隙を晒してしまった。直後に訪れる冷徹な反撃の未来図に、無駄だと悟りつつも全身を固め上げ――ッ‼
「……っ⁉」
「――いい一撃だった」
だが。先に体勢を立て直していたはずの永仙はなぜか、互いの攻撃を弾いた場所から動いていない。……なに?
「粗く、無謀な試みではあったが、確かな鍛錬と気概の息吹を見た」
「……!」
「先へと繋がる見事な結実だ。だが――」
立ち止まったままの相手から、精悍な面の中にある瞳が俺を見つめてくる。驚愕に足を止めている俺の目の前で――。
「――⁉」
「その刀と技では、これは防げまい」
素早く背後へと飛び下がった永仙が、指先で呪を組みながら四枚の霊符を頭上へと投げ放つ。――刹那に。
「ッ‼⁉」
「これは――ッ⁉」
「――相異なる符を組み合わせての【連携符術】」
眼前に展開した光景に言葉を失う。――広すぎる。
力を解放した霊符たちが露にしたのは、辺りが歪むほどの熱を持った燃え盛る炎のリング。ただただ巨大に凝縮された炎の塊たちが、
「木行符と太陽符の効果を受けて増大された炎の威力は、最高位の対軍魔術に匹敵する」
「……!」
見上げる天井一杯に、輪となって広がっている。――っ駄目だ。
「終わりだ」
回避を考えるまでもなく、ただ単純に避けられる場所がない。規模は、試験で郭が披露した暴発気味の複合魔術の数十倍以上。
上空から俺たちを見下ろすのは、空間を埋め尽くす仮借なき炎の洗礼。降り注いでくる夥しい数の灼熱を――。
「……っ」
打つ手の無くなった絶望的な面持ちで、俺は見つめていた。




