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彼方を見る者たちへ  作者: 二立三析
第五章 試されるもの
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第二十五話 穿つ力


 

 ――目を開ける。

 巨大な何かの胃袋に囚われたかのような感覚。(つぶ)っていた(まぶた)をこじ開けた俺の視界に――。

「……⁉」

 予想だにしていなかった、異様な光景が浮かび上がった。――魔導(まどう)協会(きょうかい)

 目に映るのは、先ほどまでいた修練場の景色。壁の色も天井の高さも、何一つ変わらない――。

 何もかもが元通りとなる景色のうちで、小父さんたちの姿だけが消えている。俺たちに襲い掛かってきた影たちも。

「どうなってんだ、こりゃ……?」

「……っまさか……!」

 着いてくれていた立慧(リーフイ)さんたちの姿も、見渡す視界の中のどこにも見当たらない。右往左往する俺たちの間から、ジェインだけが、何かしらの確信を得ているように息を呑んだ。

「『異位(いい)相閉(そうへい)()空間(くうかん)領域(りょういき)』……?」

「――?」

「い……えっと」

「なんだよ、そりゃ?」

「……僕らがいた位相とは異なる位相に、術者自身の力で新しい空間を開く術式だ」

 俺たちの無理解を見て解説に移ったジェインが、まだ信じられないと言うように辺りを見回しながら眼鏡を上げ直す。

「極めて複雑かつ精密な術式の構築と、途方もつかない膨大な魔力量が必要になる代わり、術者にとって都合のいい領域を展開することができる」

「……!」

「誰を中に招き入れるかも、入れないかも自由だ。つまりここは……」

「……あの野郎の作った根城(ねじろ)ってことか」

 緊張のこもった声で現状を把握したリゲルが、警戒を高めた眼付きで改めて周囲を睨みつける。足元に広がる大理石の石床を、革の運動靴で強く踏みつけて。

「魔力で作ってるってのに、本物と一切変わらねえ。薄気味悪い空間だぜ」

「……外から無理に入ることはできないのか?」

「空間を構築している術理によるが、外部からこじ開けられるかは分からない」

 俺の出した質問に対し、ジェインが厳しい表情のまま推測を述べる。見えない綻びを懸命に探すように視線を動かして。

九鬼(くき)永仙(えいせん)――元大賢者のものとなれば猶更だ。内側からできるかどうかも――」

「――博識だな」

 不意に。

「その(とし)での正確な分析。レイル辺りの仕込みか?」

「――ッ」

「ふた月にも満たない間の修練で、それだけの知識を引き出せるとは」

 それまで誰の気配も感じていなかった修練場の一角から、一つの人影が現れる。――っ永仙。

「驚嘆に値する」

「……!」

「時間が許せば、さぞかし優秀な技能者になれただろう。殺すのが惜しいほどだな」

 九鬼、永仙だ。以前に邂逅したのと変わらない、威風と威厳を纏った姿が、緩みのない峻厳な服装で、悠然とした力の波動と共に俺たちへ近づいてくる。張り詰めていた緊張が一気に高まり――‼

「――っ待ってください!」

「――ッ‼」

 互いの構えを取った俺たちが、嫌でも一触即発の事態を想像していた最中に。声を上げたフィアが、ローファーの靴底を踏み鳴らす足取りで、前へ出ていた。――っ。

「――っカタストさん」

「ッフィア!」

「……ごめんなさい」

 警戒を呼び掛けるジェインとリゲルに対し――分かっているようなフィアは、それでも退くことをしないでいる。微かに震える脚で前を見つめ。

「でも、やっぱり。……始めから、諦めることだけはしたくないんです」

「……!」

「……っ考えていたんです」

 障壁も展開していない。無防備な姿勢で自分の身を(さら)したフィアが、緊張の色を浮かべたまま永仙と視線を合わせにいく。……っそうだ。

「ずっと。以前貴方と会ったときに、話した中身のことを」

〝……永仙……さんに、ついてなんですけど〟

 鍛錬のあと、四人で食事をする中で、フィアはそのことについて話し出していた。永仙の動機。

〝もし仮に、私たちと遭遇したとして……〟

〝――〟

〝戦う前に。……話しに行くことは、できないでしょうか?〟

〝……はぁ?〟

〝それは――〟

 無茶だと思うような提案に、リゲルもジェインも始めは難色を示していた。……そう。

「貴方が道に迷っている人だと言うのは、嘘でした」

「……」

「無害なお爺さんを演じて、警戒を解くために近づいてきたことも分かっています。だけど――」

〝永仙? ああー、立派な奴だったぜ?〟

 永仙がどういう人物であるのかについては、俺も疑問に思うところがあった。秋光(あきみつ)さんたち協会を裏切った大罪人であり、俺たちの命を狙い、技能者界に戦争の混沌をも(もたら)そうとしている元凶。

〝……!〟

〝人格者の秋光と似てて、ただそれより、もうちょいデカい視点を持ってるって感じだったな〟

〝協会の指導者でありながら、他の二組織や小さな組織も含めての、技能者界全体を見ているような発言が多かったね〟

 だが、その反面、千景(ちかげ)先輩の話によれば、秋光さんたちと共に穏健派の路線を成立させ、三大組織と凶王(きょうおう)派との共存を目指そうとしていた人物でもあったという。思い起こされる小父さんたちとの会話。

〝自分の行動が世界に何を齎すか。常に世界の在り様と、その行く末を見ているような人間だった〟

〝正直に言ってしまえば、今でも裏切りということ自体が余り信じられませんね〟

 エアリーさんの、どことなく寂しげな表情が蘇ってくる。白銀の髪を揺らして、小さく息を吸ったフィアが――。

「あの人とペンダントの話だけは、本当だったんじゃないんですか?」

「……」

 覚悟を込めた翡翠(ひすい)色の眼差しで、一心に相手を見つめた。……無言。

「……あの人との話が本当なら、私には、貴方が重要なわけもなくこんなことをしてるとは思えません」

「……」

(あずま)さんたちもそう言ってました。秋光さんたちの敵になって、私たちを襲っているのにも、何か事情があるんだとしたら」

「……」

「難しいとしても、きっと――っ」

「……果敢だな」

 一縷(いちる)の望みに懸けて手を繋ごうとしたフィアの試みを、静かな永仙の反応がかき消す。起こり得る感情の機微を、刻まれた(しわ)のうちに押し込めたような相貌。

「自分を騙し、仲間共々殺そうとした相手を前にして、なお安易な拒絶を選ぶまいとするか」

「っ」

「懸命ゆえに愚かしい。――真実とは、人の手の届かぬもつれ合いのうちにあるものだ」

 声に含まれた微かな冷笑と、突き放す堅固な眼光がフィアの身を打ち据える。

「例えお前の目にしたものが事実だったとしても。互いが互いの事情を理解しようとも、その時点で止められない対立もある」

「……!」

「例えお前が何を望み、どれだけの対話を願おうとも、私は私自身の意志に基づいて、お前たちを殺す。誰の邪魔も入らない、この【世界】の中で」

「っ……」

「……フィア」

 続けられる言葉を失った――危険な立ち位置にいるフィアを、庇うように前に出る。……話をするつもりはない。

 相手の側はどうあっても、俺たちを殺すつもりでいることで。……今この状況下では、逃げることは意味をなさない。

 目の前にいる永仙はすでに、俺たちを双眸に捉えてしまっている。背を向ければ後ろから撃ち抜かれるだけ。

 外からこの空間を破る手立てがあるかは分からず、凶王たちが押し寄せてきている以上、小父さんたちの援護や応援も望めない。無謀な戦いのために鍛えてきたのではないとしても……。

「……やるしかねえな」

「……ああ」

 俺たちに残された選択肢は最早、戦うことしかないのだ。……襲いかかる脅威から勝利をもぎ取る。

 戦って生き残る。決意と覚悟を込めた緊張の中で――。

 ――俺たちと永仙の戦いが、幕を開けた。


 ――


「――」

 前衛後衛の大別に基づき前に出る。並び立つのはリゲル。

 背後にはジェインと、その更に少し後ろにフィア。まずは自分たちにとっての理想の形を作ること。

「……構えを整えての待ちの一手か」

 万全と言える用意を整えた上で、相手の出方を見極めるところからだ。……前回の邂逅では、ジェインとリゲルと俺の三人が同時に攻撃を仕掛けたにもかかわらず、永仙は難なくそれを(さば)いてみせていた。

〝なんにでも言えることだが、自分から攻撃に移る瞬間ってのは、防御がおざなりになってるときでもある〟

 圧倒的な力量差のある相手に対し、自分たちから動きを見せるのは格好の隙を与えるだけにしかならない。【時の加速】による行動速度の倍化がある以上、俺たちにも出方を見てから行動に移れる猶予はある。

〝フェイクやあえて誘うって手もあるが、持ち手の豊富な格上相手にそいつは裏目になりやすい。自分たちの底を見極められないよう、まずは相手の側から仕掛けに来させることだな〟

 相手の持ち手を分析し、その中で取り得る最善の選択肢を見つけ出すことこそが、俺たちに残された僅かな勝機の穴を穿(うが)つ鍵なのだ。いざとなれば飛び掛かることもできる間合いから、油断なく構えを保つ俺たちの前で――ッ。

「前回よりは賢明だな」

「――」

「孤立した状況下にあってもたじろがないとは。東たちの指導が行き届いていると見える」

 俺たちの対応を見て取った、永仙が(ふところ)から何かを取り出す。――長細い長方形をした一枚の薄い紙。

「【火行(かぎょう)()】――」

 立慧さんとの修行の際にも見せられたような、符術に用いられる魔道具、『霊符(れいふ)』だ。墨で崩し文字の書かれたそれを手に一語を呟いた永仙が、力の入らない所作で軽く札を放り投げてくる。緩慢な速度で俺たちへと飛来する――。

「――(かわ)せッ‼」

「――ッ‼」

 瞬間に飛ばされる声。ジェインの指示に反射的に左右に跳んだ俺たちの眼前で、宙を飛ぶ紙切れが一瞬にして凄まじい紅蓮を纏う。――っ炎。

「ッ‼」

「はっ! いきなりやってくれるぜ‼」

 人数人を軽く飲み込み、灰すら残さずに焼き尽くすかと思うほどの大火が、(しおり)ほどしかない一枚の紙片から生み出されている。――ッ永仙の符術。

 人間を炭化させる威力を僅かの力みもなく発してみせる、これが大賢者の技量ということなのか。炎に包まれる床を回避して降り立った俺たちの視界の先で、永仙が更に三枚の符を取り出すのが映り込む。――ッマズイ。

 あれだけの威力を連発され続ければ躱すのにも限界がある。空間を埋め尽くす苛烈な属性の数々に、為す術なく蹂躙される自らの姿を想像し――ッ!

「寄れッッ‼‼ 二人ともッ‼」

「――」

 飛び込んできた指示に突き動かされるようにして、リゲルと共に左右の方角から永仙へと疾走した‼ ――ッそうだ。

 あれだけ大威力の攻撃であるのなら、自らも被害を受ける至近で着弾させることは避けたいはず。距離を置いていて勝機はない。

 この局面ではまず、あれだけの術法を放てる自由を無くすのが第一。どれだけの危険が伴うとしても――‼

「ッ‼」

 近接戦に持ち込むのが唯一の可能性なのだ。全身の筋肉を躍動させ、ジグザグの軌道で距離を詰めに行く俺たちの真横を、放たれた炎撃が掠めていく。――あと数歩。

 一撃でももらえば血肉が沸騰する熱気の間を踏み込み、吸った熱い息と共に地を蹴って加速する。繰り出される火炎の連弾を凌ぎ切って――‼

「シイッ‼‼」

「――!」

 永仙の間合いへと到達した‼ 切り込もうとする俺のフェイントを受けつつ為されたリゲルのジャブ。瞬く閃光の速度で打ち出された黒革の拳の連打を、永仙は右手のひらと甲を使って力の向きを真横へ打ち逸らすことで無力化する。――ッそうだ。

「チッ――!」

「――【水行(すいぎょう)符】」

「うおっ⁉」

「ッ‼」

 九鬼永仙は驚異的な技量を持つ魔術師だが、決してそれだけの技能者でもない。反撃に繰り出された中段の拳撃をリゲルが避けた隙に、地面に打ち込まれた霊符から、多量の水流が溢れだす。魔術と共に肉体技法をも高レベルで磨き上げ――!

「くッ――‼」

「【木行(もくぎょう)符】――」

 単独で前衛後衛をこなしている万能型(オールラウンダー)。周囲の炎を鎮火し、氾濫する激流に足を取られまいと飛び退いた俺たちに、(ねがう)たれた符から生誕した木々が凄まじい勢いで成長し、鋭い急角の樹幹で俺たちを貫こうと襲ってくる。――ッ速いッ‼

「ッ――‼」

「【中級障壁】‼」

「ッ【重力――三倍】ッ‼」

 植物とは思えないほど柔軟で機敏な動きを見せてくる凶器。豪風を伴って迫り来る大木の槍を終月(しゅうげつ)で受け逸らし、フィアの障壁が進軍を食い止める最中に発動した、リゲルの重力魔術が襲い来る生木(なまき)の大群を()し折っていく。自重の増加に耐え切れず、かしずくように水中に沈没していく樹木たち……!

「――見事だな」

「……!」

「この短期間でこれほどの連携をこなせるまでになっているとは。前回とはまるで別人だ」

 水面と枝葉が泡立つ混乱を作り出す景色の中で、中心に立つ永仙は、まるで平静な面持ちを保ったまま俺たちに品評を向けてくる。……っ隙が無い。

真摯(しんし)な鍛錬の跡が(うかが)える。惜しむらくは、今日ここでそれが途絶えるということか」

 離れれば術法、近づけば肉体技法。硬い守りと対応力を持ち、一瞬でも気を抜いたなら、次の瞬間には命を奪われているだろうことも容易に想像が付けられる。高いレベルでの攻守の両立。

「【土行(どぎょう)符】」

「――【時の加速・二倍速】‼」

 一蹴された前回には見ることのできなかった、これが永仙の本領なのか。地面から伸びてくる幾つもの土の腕を、加速を受けた俺たちが躱し――ッ!

 ――だが(・・)

「――ッ‼」

 ――いける。確信して地を蹴り出す。永仙は確かに遥か格上の技能者だ。

 だが、戦っている俺たちの側も、一蹴されてしまうことはない。永仙自身が認めているように、前回と比べて俺たちの力は確かに通用している。

 永仙が本気になればすぐさま蹴散らされるのかもしれないが、あくまで俺たちを格下と判断しているせいか、今の永仙の攻撃にはなりふり構わず生命(いのち)を取りにくるような苛烈さは見られない。こちらの挙動に対して的確に対処の手を打ちながらも――。

 常に一定の余裕を保持し、安全圏を保ちながら俺たちの手のうちを見定めようとしている素振りだ。――俺たちの成長が引き出した警戒。

「――‼」

 相手がこちらの出方を窺う態度を保っているのなら、付け入る隙はある。思い起こすのは(かく)との外出試験。

 自分たちより格上が相手であったとしても、相手が全力を出していなければ当然その差は縮まる。様子見の時間を作られているからこそ――!

「――【上守(かみもり)流・対術障壁】‼」

「【重力二倍】! 【三倍】ッ‼」

 その間に勝機を見出せるかどうかが、鍵となるのだ。攻勢を印象づけた立ち回りで永仙の攻撃を引き付けていたリゲル。フィアの障壁で迫る火炎への回避の猶予を得たスーツの姿が、襲い来る岩の塊を地面に張り付けつつ、再度永仙の間合いの内側に侵入する。――ッここだ。

「――ッ‼」

「【時の加速・二倍速】‼」

 一瞬の勝機。全身で感じた隙に向けて飛びだした俺を、意図を察したジェインの魔術が援護してくれる。――強襲。

「ウオラアッッ‼‼」

「――」

 疾走する圧を受けて俺へと一瞬だけ目を向けざるを得なくなった永仙が、重力魔術の足止めと共に繰り出されたリゲルの拳を、流し損ねる。応手の失着に生まれた僅かな淀みへ向けて、すかさず叩き込まれた拳――‼

「――ッ‼」

 顔面を打ち貫く豪速のストレートを、身を屈めた永仙が脱力したような動きで腕もろとも絡め取る。――ッ合気(あいき)

「ぬおッ‼」

「ッ!」

 相手の重心を崩して俺への盾としようとした永仙だが、寸前で踏み止まったリゲルが転倒を堪えたことで、互いの動きを打ち消し合うような形になる。――ッ【魔力(まりょく)解放(かいほう)】。

 漆黒の蒸気が身体を包み込むと同時、倍速の世界にいた肉体が、更に全ての動きを加速させる。……刀身は左の手のうちに置き。

 固めた左の肩に右を寄せ、全身を小さく畳みながら見据えた隙へ滑り込むようにして接近する。肉迫する俺の構えに眉根を歪めた永仙が懐に手を突き入れるが――。

 ――‼

 もう遅い。染み付いた修練の記憶を辿る肉体が、一息に噛み合わさるレールの上を走るようにして。

 ――【無影(なきかげ)】、【魔力(まりょく)凝縮(ぎょうしゅく)】。

「【()――っ」

「――ッッ‼‼」

 漆黒の一刀が繰り出される。力を発揮しかけていた老人の符術を断ち切り、開いた守りのない胴体へと到達した。





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