第二十一話 開幕
――小父さんたちとの修行の開始から、六週間が経った。
「――おらおらッ‼ どうしたどうしたぁッ‼」
「ッ――‼」
繰り出される木刀での猛攻を、刃の無い黒色の刀身で俺は受け凌いでいる。午後の修業の中核となる隙の見極めの訓練。
「守ってばっかじゃ仕留め役にゃならねえぜ!」
「ッ‼」
「動きの切れ目を見切って、きっちり打ち込まねえとよ! いつまでも敵に好き勝手させることになっちまう!」
途切れることのない怒涛の連撃に、ギリギリ致命的な直撃を避ける形で動ける姿勢を保つ。何万回となく痛烈な打撃の洗礼を受けてきたお陰で、このところはどうにか小父さんの太刀筋が見えるようになってきた。
隙らしきものも何となく見えるように思うことはあるのだが、小父さんの鋭い闘気と防御に意識を割かれる中で、到底反撃のタイミングを掴めずにいる。歯を食い縛りながら耐える最中――!
――ッ。
不意に。一心不乱に見続けている小父さんの動作のある一点に向けて、全身の感覚が引き寄せられる。絶え間ない攻撃の流れ。
とめどない流水の如く映るその連綿の中に、僅かな淀みを見つけられたような。全身に訴えかけてくる感覚に、導かれるままに身体を動かし――ッ‼
「――‼」
「おっ――!」
その淀みへ自分を潜り込ませるように地を蹴って、骨身にまで染み付いた素振りの動きで、終月を抜き放つッ‼ 眉を上げた小父さんの表情。
先に躱されて僅かに大振りになった木刀は俺の突進に追い付けず、視界の端で動きを止めたままでいる。やった――ッッ‼
「――ぐッッ‼⁉」
「――油断したな」
歓喜の湧き上がった刹那に、刀身の向かっていた胴体が消えるように沈み込んだかと思うと、踏み込んだ右脚に強烈な衝撃を受けた俺の身体が強かに側面から床へと打ち付けられる。……ッ足払い。
「的確に隙をつけたとしても、実力のある連中ってのは大概、そこをカバーする手段を持ち合わせてる」
「……ッ……!」
「見えた隙自体が罠で、誘い込んだうえで変化してくることもある。最後の瞬間、相手の身体にぶち当てて振り抜けるまで、一寸たりとも気を緩めちゃならねえ。最後の最後で集中力を切らしちまったのはいただけねえが……」
木刀の動きばかりに意識を取られて、咄嗟のカウンターに対応しきれなかった。蒸気の混じる荒い呼吸で息を整える俺を見下ろしながら、木刀を床に立てている小父さんが、晴れやかな表情で破顔した。
「――よくやったな」
「……!」
「今の隙に一撃を合わせられたのは、確実な進歩だぜ。不意打ちを食らったあとにも、しっかり刀を握れるようになってるしな」
「ふんぎゅあ――ッ⁉」
達成感が胸に湧いてくる。上がるリゲルの悲鳴。
エアリーさんの怪腕に吹き飛ばされたスーツの肉体が、天井近くまで凄まじい勢いで打ち上げられている。数秒後に地面に激突する惨状が思い浮かんだところで――ッ!
「――せいッッ‼‼」
「おや」
風圧に歪んでいたブルーの眼が見開かれたかと思うと、気迫を漲らせたリゲルが空中にて反転する。拡げた両手足で着地の勢いを分散させ、そのまま衝撃を逃がすように前転し――‼
「――ッどんなもんだぜっ‼」
「……!」
「これはこれは」
二本の指でⅤサインを描いて立ち上がった。五体無事で息をするリゲルを、ほほえまし気な面持ちで見つめるエアリーさん。
「打撃の瞬間にもしやと思っていましたが、あの時点で攻撃の流しに半分ほど成功していましたね」
「……!」
「私の攻撃の呼吸を読んで、半分は食らった上で威力を流して見せた。ここまで早く対応できるようになるとは、素晴らしいことです」
「いや~、それほどでもねえっすけどね?」
手放しに称賛しているようなエアリーさんの頷きに、リゲルが、ニヤリと笑んでファイティングポーズを取る。
「これまで何度もポンポン飛ばされてきたお陰で、大分散らしの感覚ってのが掴めてきた感じっすよ」
「――」
「今ので実際の感じも分かりましたし。こっからは、もうちょいまともにやれそうっす」
「ええ。良かったです」
闘気を上らせつつ活発なステップを踏むリゲルの前で――エアリーさんが、天使のような純真な笑顔を見せる。固めた拳に鉄筋のような青筋を浮かばせて。
「何度も飛ばされた上でこの動きなら、初めの頃より随分頑丈になったようなので」
「――ッ」
「それなりのレベルの敵と戦っても簡単に壊れることはないでしょうから。ようやく加減を緩めて振れますね」
「えっ、ちょ――ッ‼⁉」
「……ビショップをC5へ」
光の速さの剛拳にリゲルが吹き飛ばされていく隣で、ジェインとレイルさんが地面に座り込んでいる。――チェス。
「ふむ、そう来たか」
「……」
「読みが鋭い。着実な成長具合だね」
「……レイルさんから受けた記憶術を元に、自分なりの暗記法を作ってみました」
八×八のマス目に囲まれた、レイルさんの私物であるという金属製の盤上では、修練上の独自ルールと罰ゲームを追加された著名なボードゲームが展開されている。始めのうちは敗北ばかりだったようだが――。
「効果と持続時間は劣りますが、その分安全性に長けています。これを使うことで、独学でも効率をさらに上げられるようになりました」
「なるほど。流石の学習能力だ」
ここ数日あたりは、どうにか食らいつくことができるようになってきたらしい。レイルさんが優雅な微笑を浮かべる。
「一か月以上付き合ってきたが、現象を分析して把握するジェイン君の能力と、噛み砕いて自分の物にする貪欲さには、目を見張らされるものがある」
「――」
「これだけ学ぶことに長けた人間は、うちの部下たちの中にも思い当たらない。殴ることしか考えていない、エアリーのような生粋の狂戦士とは、全くもって似つかないね」
「ちょっとー? 聞こえてますよー? この腹黒サド野郎」
「ふんぎゅわらばッッ‼⁉」
「――よーし。じゃあ、もう一本行くわよ」
睨み付けるエアリーさんに二度三度とリゲルが打ち上げられる中で、腰を落とした構えを保っているフィア。立慧さんが手を叩いて合図を出すと同時――。
「――【内丹法・行気】」
「――ッ【上守流・対物障壁】!」
「一、二、三――」
高めた気を纏って放たれる立慧さんの連撃に対し、走りながら障壁を展開している。当たればただでは済まない強烈な拳と蹴りの威力を、攻撃の予兆を見ながら受け凌ぎ、
「――はい、そこまで」
「ッ!」
「全弾防御成功ね。――やるじゃない」
止めきれない攻撃については、障壁で時間を稼いで距離を取って回避する。息を微かに切らしつつも、ブレのない挙動で最後まで走り切ったフィアを、立慧さんが感心する面持ちで見つめた。
「体力もそこそこついてきたし。動きながらの魔術の発動も、大分こなれて来たわね」
「はい……っ!」
「あの神父の鍛錬で、障壁自体の耐久も随分伸びてるしよ。――っんじゃ、お疲れの嬢ちゃんの身体を、秘伝のマッサージ法でほぐしてやるとするか」
「――【火行炮拳】ッ‼」
「うおっ⁉ おいおい‼ 冗談だよ! ただのストレッチだっての‼」
「っ信用ならない挙動をやめなさいよね。ちゃんと見張ってるから。ゆっくりストレッチをしてくれて大丈夫よ?」
「は、はい――っ」
本気の拳を寸止めしてけん制する立慧さんの横で、息を静かに吐いたフィアが身体をほぐし始める。……若干一名プラスになっているのか怪しい人もいるが……。
「こっちも負けてらんねえな」
「……‼」
「さっきの感触を忘れねえためにも。もう一本、追加で行っとくか」
「ッ、はい……‼」
それ以外はすべて、順調に進んでいる。笑みながら出された小父さんの台詞に、流れ落ちる汗を拭って頷いた。
「……?」
一階に建設されたエントランスホール。
高さ一㎞を超える上層まで続く、本山を貫く巨大な空間の最下部にあって、その場所の管理担当者である女性は首を傾げている。本山と外部とを繋ぐ道である【門】。
各地に設置された支部などの拠点や、密かに設けられた入口の集結する、事実上の正門とも言っていいフロアだが、当然何の警備もなしに放置されているというわけではない。転移法や龍脈に関する知識と技法を学んだ専門の協会員たち。
ゲートの整備を任された魔術師たちが、戦闘を主とする協会員たちと共に合計六人のチームを組んで常時交代制で管理している。現在のチームは四十分ほど前に交代を果たしたばかり。
管理と言っても、ゲートに対する軽微のメンテナンスは定期的に行われており、組み込まれた術式が自動的に異変を修正するようにもなっている。協会の養成機関である魔導院を優秀な成績で卒業し、この任を務めるようになって早五年の経つ女性も、着任から一度も不備が起きたところを目にしたことがなかった。
先輩たちの話によれば五年どころか、ここ百年以上の間に外部者によるゲートを利用した侵入の成功例は皆無であり、仕掛けられた妨害や工作も全てが失敗か未遂に終わっているという。ゲート自体の防御機能もさることながら……。
いついかなる時分でも本山を包み込んでいる【大結界】、世界でも有数の龍脈地と接続され、魔導協会の創始者らによって原型が構築されたという、強大強固な守護結界が、ゲートを通じて本山に入ろうとする者にも睨みを利かせているところが大きい。協会員として魔力を登録された魔術師や――。
大賢者や四賢者、支部長などの一定以上の権限を持つ者によって付与される【通行許可】を持つ人間でなければ、何人たりとも到着前に弾かれることになるのであって。転移法による空間跳躍の中途での強制離脱。
大結界によって実際にそのような対処が行われた場合、内部の人間がどうなるのかを女性は知らない。術式の保護が無くなることによって、世界のいずこかに放り出された上で五体が弾け飛ぶ。
どことも分からない異空間に投げ出され、永遠に時空のはざまを漂うことになるなど、末路についての推測はいとまがないが、どれが事実なのかは分かっていない。実際にそれを試すような輩はこの百年間一人も出ていないのだし。
それ以前に挑んだ技能者たちの中でも、誰一人として帰ってきた者はいなかったのだから。少なくとも女性の知る協会史における限り――。
「……ねえ」
この本山におけるゲートと大結界の防備が破られたことなど、一度たりともありはしないのだ。自らの立つ地盤の盤石性を今一度再認しながら。
「どうした?」
「ゲートの様子なんだけど、なんか変じゃない?」
「ん、そうか?」
警備の同僚に掛けた女性の声に応えて、仲間たちが傍らにある法陣の機能を確認する。静謐に湛えられた魔力の揺らめき。
「おかしなところは無いと思うが……」
「検査の術式を一通り走らせましたけど、通常通り機能してるみたいですし。気のせいじゃないですか?」
「そう……かもね」
集まった何人かが簡易な点検を終えて頷く。見つめる女性にも、先ほど覚えた違和感の正体は感じ取れない。……なんだったのだろう?
先ほどのあれは。異変と呼ぶには小さすぎる微細な感覚。
ゲートと大結界を主体とする巨大な術式の絡繰り仕掛けの内部に、ほんの幾つかの砂粒が交じり込んだのを見たような、些細な気に掛かり。感覚を研ぎ澄ませて探っても、同じような感触は戻ってはこない。
「……ごめん。疲れてるのかも」
「警戒するのはいいことさ。――無理もないよ」
先の感覚にしても、他に気を取られることがあれば違和感だとは思っていなかったかもしれない。小さく息を吐いた女性に対し、同じメンテナンスを担当する同僚の魔術師が上を見上げた。
「このところ立て続けに色々起こり過ぎてるからな。トップの離反だの、凶王派の宣戦布告だの」
「……」
「不安になったとしても仕方がない。技能者界は一体、どうなっちまうんだか」
「ま、例え外で何が起きたとしても、この本山がどうにかなることはないだろうがな」
会話の様子を見て年嵩の協会員が参加してくる。整備を主とする女性たちとは違い、戦闘を専門とする警備職。
「協会の千年に渡る歴史の中で、【大結界】が破られたことは一度もない」
「……」
「信仰者たちの槍である『聖戦の義』にしてもそうだが、本部を完全な防衛機能で守護しているからこそ、これだけ長い間歴史の荒波に揉まれて立っていられるんだ。例え凶王派が総出で攻めて来たって、この本山に入り込むことは不可能さ」
「確かにそうだな」
経験に裏打ちされた説得力のある説明に、同僚たちの間から同意の頷きが次々と起こる。……そうだ。
ゲートと【大結界】に守られている限り、本山の中にいる者に危険は襲って来ない。危険が及ぶのはむしろ、別の仕事や用事で本山の外部に出たとき。
相応の結界と戦力で守られているとはいえ、先日の覇王派による襲撃で被害を出した、十五支部の件などがそれを証明している。思考を重ねることで女性が安堵を生み出そうとしていたとき――。
「――っ」
「おっと」
広間に並ぶ法陣の一角が、不意に静かな燐光を放つ。――転移の予兆。
「誰かが来るな。――全員持ち場に戻ろう!」
「了解です!」
業務の正常な進行を妨げないため、チームの各人が慌ただしく各々の持ち場に戻っていく。……よかった。
転移がいつも通りに行われるということは、ゲートが正常に作動している証でもある。同僚の言う通り。
ここ最近の事件を気にし過ぎて、通常の機能の予兆を異変として捉えてしまっていたのかもしれない。発光から十数秒後に転移は完了する。
任務を持つ協会員たちを迎え、今日もまた、いつも通りの一日が過ぎていくのだろう。普段のように降り立つ仲間たちの姿を想像した――。
「――ッ」
女性の目の前に、発光の終わった法陣から、複数人の人影が顕にされる。集団での転移。
それ自体は決して珍しいことではない。一度に人一人しか転送できないのでは移動手段として不都合が過ぎるし、先日第十支部の支部長が外部から四人の青年たちを連れて来たときにも、女性は担当者として様子を目にしていた。大結界の精査をすり抜けた人間が法陣内に降り立っていることは、ゲートが正常に作用していることの何よりの証左であって。
――しかし。
「……ッ⁉」
「……なっ」
今自分たちの前にいるモノは、一体? 全身から感じられる濃密な力。
日頃から目にしているはずの景色が、塗り替えられたかと思うほど暴力的な気配と威圧。五体を震わせる圧倒的な死の直感に、必死に息を繋ぐことしかできないでいる中で……。
「ッ【緊急同機】――‼」
「――」
警備の協会員が魔力を熾す。熾烈な戦いが始まると思った刹那に、女性の意識は、そこで途切れた。
「――反応の鈍いこと」
声もなく倒れ伏した協会員たちの背中を一瞥し。虫の死骸を踏み越えるような足取りで法陣を越え出た侵入者――華美な衣装に相応しい気品のある容姿を持つ賢王が、砕けた氷のような批評を吐いて捨てる。
「惰眠を貪る中で平和ボケしているだろうとは思っていましたが、まさかこれほどまでに脆いとは」
「……」
「本山仕えの魔術師でこの体たらくですか。我ら凶王派と拮抗し、千年来の栄華を誇った魔導協会の歴史も、先が知れるようですね」
「――言ってやるな、賢王」
ヒトガタをした影のまま沈滞している冥王。二者と共に協会員たちを払った青年、獅子の鬣のようなファ―を持つジャケットを纏う狂覇者が、失笑するかの如くに薄く瞑目する。
「本山の人間であるからこそ、この厳重な結界が意図せぬ仕方で崩されるなどとは考えていないのだろう」
「……」
「ただの構成員として見れば落ち度はない。相手が悪かったというだけの話だ」
「半人前が知った顔で何を言いますか。組織の全容とは、そこに所属する人間一人一人の働きによって決まるもの」
艶のある紅の塗られた賢王の爪先が、動かない協会員の首筋を視界のうちで撫で切るように滑らされる。冷ややかな目つきを今一度送って。
「王や賢者がそのうちで最も重い責務を負うのだとしても、各人に為すべきことがあることは変わらない。安寧に安住し、取るべき行動の一つも取れないでいる体たらくには、言いわけなどできないでしょう」
「つくづくもっともな批評だ。協会の元長として、返す言葉もないな」
「……叱責の原因を作った本人が、何を抜け抜けと……」
「……上層から強い力を感じる」
平然と受け入れた永仙の言葉に、呆れたように賢王が息を零す。協会員たちから目を離した狂覇者が、鼻をひくつかせるようにして視線を上げた。
「大物が上にいるな。久々に楽しめそうだ」
「……」
「――今回の目的はそれではない」
喜色を込めた肉食獣の如き破顔に、法陣の中心にいた、冷厳な少女の声が響く。――魔王。
「器の確認だ。――把握は済んだ」
肩まで垂れ下がる濃紫の髪と、幼い外貌に違わない白く柔らかな指先。手元の術式で偽装の有無を確かめていた凶王派の統括者が、紅玉に似た深紅の眼差しを持ち上げる。
「向かう対象は予定の通りで良いだろう。戦力の打ち当ても予定通りでいく」
「やれやれ。前回に続き、また力仕事ですか」
賢王から零される皮肉気な嘆息。
「面倒なことです。腐肉に尻尾を振る愚昧な狂犬と、現役気取りの保護者たちさえいなかったなら、わざわざ足を運ぶ必要もなかったでしょうに」
「王号が賢王とは言え、常に賢しらであるとは限らんようだな」
「……なんですか?」
反応を想定していなかったのか、賢王の整った柳眉が不機嫌に寄せられる。水晶のような光を湛える、瞳の温度を下げて。
「時間に余裕がないと言うのに、この期に及んでまだ噛み付こうとは。蒙昧ぶりもいい加減に――」
「口元が、笑っているぞ」
「――」
思わずと言った風に賢王が自身のおとがいに手を当てる。人形の如き小さな唇の貌を、指先が速やかになぞった。
「……これはまあ」
「……」
「なんとも珍妙な。どうやら、自分でも存外心待ちにしていたようですね」
小さく息を零したのち、吹っ切れたように優雅な笑みを浮かべる賢王。
「記憶に深く刻まれた、因縁の相手との再会を」
「縁があるのは幸いだ」
どことなく気力の満ちたような横顔に、魔王が静かに応じる言葉を口にする。目の前に開いている通路の先へ、阻むもののない一歩を踏み出した。
「退屈を嘆くこともなくなる。ゆるりと出向くとするか」
――執務室。
「――ッ‼」
目を向けていた資料を手のひらから取り落とし、腰かけていた椅子を倒しかねないほどの勢いで立ち上がりながら、虚空に視線を置いた秋光は今一度己の感覚を確かめる。……ッ間違いない。
「これは……ッ!」
否定することのできない感知の訴え。四賢者の座を担うほど磨かれた秋光の探知能力が今、明晰な悪夢の訪れを告げている。即座に巡らせる対応の内容。
「――っ秋光だ」
「はい。こちら、十七番部署です」
手順を踏まえて念話にて接続したのは、本山の危機管理を司る部署。事態の掴めていないような担当者に、間を置くことなく言い渡す。
「ゲートホールに複数の敵性反応が出現した」
「――ッ⁉」
「緊急勧告を発令。本山全ての職員に避難区域への退避指示を出し、修練区画を切り離せ」
「え? で、ですが――ッ」
「全ての説明は後回しだ。ッ急げ‼」
「はっ、はいッ!」
いつにない秋光の剣幕に、弾かれるように念話が途切れる。階下で動き出している気配を感じながら――。
「――【麒麟】」
「――」
友となる俊足の霊獣を秋光は召喚する。魔力と霊気を漲らせる、強壮な神使の背に跨ると。
「――ッ!」
執務室の扉を蹴破る勢いで開け放ち、飛ぶような速度で通路を駆け抜けていく。執務室のある上層から本山の端となる修練区画までは、どう足掻いても四分は掛かる。
感知した敵性者の反応は四人。察知されないよう押し殺されているとはいえ、何れも四賢者クラスの力を秘めていることは間違いない。特にその中でも覚えのある魔力の気配は――!
――九鬼、永仙。
離反した魔導協会の元大賢者が、少なくとも三人の凶王を伴って侵入している。……《冥王》を感知することはできない。
先日の襲撃の際のリアの報告から、感知に優れた元大賢者の腕をもってしても捕捉できない、特殊な技能者だということは把握している。最悪の場合、《帝王》を除く凶王全てが入り込んでいるという事態もあり得。
いずれの場合にしろ、侵入者たちが修練区画へと動き出しているのは明らかだ。本山に匿われている蔭水黄泉示たち四人の命と身柄。
それと同時に、本山内部の破壊工作も視野に入れておく必要がある。本山には今、秋光の他にリアと東たちがいる。
レイガスとバーティンは所用で本山を出ており、その他に凶王クラスと相対できるような戦力はいない。協会の未来を担う賢者見習いである、零と郭の二人が外に出ていたのは僥倖だが――。
支部長や準幹部級クラスでさえ歯が立たないことは、治療棟にいる上守支部長と、補佐官である葵の現状が証明している。模擬戦を経て確かめた感触では、東たちとて楽観視のできる状況ではない。
「済まない、急いでくれ――ッ‼」
「――!」
接触までの敵味方の動きが勝負。胸のうちに湧き上がる惨劇の実現を防ぐため、風を切る麒麟の力走を受けながら、秋光は全力で本山の中を駆け走る――ッ‼




