第二十話 王たちの目論見
「――事実のようだな」
朧気な明かりの照らす薄暗闇の中。年齢にそぐわない厳粛さを己のものとした、深紅の瞳を持つ少女の声が響く。
「夜月東、レイル・G・ガウス、エアリー・バーネット……」
「……」
「三人の《逸れ者》が魔導協会に滞在している。動機については、言うまでもないだろうが」
調査の報告を受けた魔王によって口にされた名前はかつて、自分と共に世界の破滅を阻止し、《救世の英雄》と呼ばれた戦友たち。記憶の中で色あせない名前を耳にして――。
「――だから言ったではありませんか」
微かな郷愁の感触を覚えていた永仙の意識に、刺々しさで武装した鈴の音のような声が割り込んでくる。――賢王。
「あの機を逃した以上、状況が悪くなることは目に見えていました」
「……」
「器の破壊も果たせず、干渉のために近づくことすらままならない。亀の子のように閉じ籠った相手を前にして、どう目的を果たそうというのです?」
「……問題はない」
轟々たる非難の掃射を受けて、永仙は暫し閉じていた口を開く。賢王の指摘に対する反駁。
「多少の段取りを変える必要はあるだろうが、それ以外は予定のままクリアできる。大事というにはほど遠い」
「ほう。救世の英雄たちの参戦を前にして、ただの少しも動じないとは」
喜色を込めて声を上げる青年――狂覇者。
「流石は音に名高い元大賢者。名ばかりで及び腰の老人とはわけが違うな」
「吠えたがりの狂犬が何を言いますか。――大きく出たものですね」
叱責した賢王が、永仙に鋭い眼差しを向け直す。
「ここまでの失策を招いておきながら、問題ではない? 前回に私と冥王という鬼札を持ち出しておきながら、何の成果も得られずに出戻る始末」
「……」
「呆れた傲岸さです。――凶王派の王が動くこと、当然と捉えているのではないでしょうね?」
語るその向こうには、ヒトガタを保つ影、《冥王》が闇の中に沈滞している。賢王の瞳に宿る凄烈な義憤。
「私も冥王も、前回足を運んだのはあくまで王派の秩序のため」
「……」
「貴方如きの戯言に惑わされたからではありません。言葉の上では虚偽が無かろうとも、不遜があれば同盟の破棄には充分」
石造りの円卓の下で、賢王の指先が不穏に動く。
「この場においてあなた一人如きを葬ることなど、いとも容易い――」
「――救世の英雄も賢者たちも、問題ではない」
言葉の剣を抜いて切りかかる賢王に向けて、永仙は手札を切る。
「凶王とは本来、それだけの威厳を含んだものであるはずだ。そうでなければ、私が此処にいる意味はない」
「ッ何を傲慢な……!」
「――饒舌だな」
賢王が更に怒りの色を濃くする。場に生み出されかけた熱を、静かな声が切り裂いた。
「高説は結構だが。この場が我らの合議である以上、お前の語る持論に意義はない」
「……ああ」
「重要なのはその行動。お前という人間が、この場で何を示すのかだ。――障害が増えた以上、予定の人数では不足が出る」
魔王。濃紫の髪を携える深紅の瞳が、真意を見せない深みで永仙を見る。
「何を言おうとそれは変わらない。覆す算段はついているのか?」
「四賢者は、常に全員が本山に駐在しているわけではない」
魔王の要求に対し、永仙は用意していた回答を口にする。
「支部の視察や、主要な案件の対処で一人か二人は外に出向いている。対処すべき実際の人数は、七人からさらに減る」
「っだとしても――!」
「それはつまり、俺も駆り出される必要が出てきたということか」
湧き出る喜悦に狂覇者が目を光らせる。今から己の味わう戦いのビジョンを思い巡らせているかの如く、岩からつくられた玉座の腕置きを削り取るように爪先で叩き。
「一線を退いたとはいえ、何れも音に聞こえた技能者たち。面白い戦いになりそうだ」
「――黙りなさい。この狂犬を連れて行けば、どんな混乱を招くか分かりません」
忌々し気に舌を打ち捨てた賢王が、魔王と冥王に訴えかける。
「元より私としては、全員が乗ることには反対の立場。つまらぬ形で王派の威厳を失えば――」
「戦いに加わる場合、俺とこいつとの間では、すでに話ができている」
顎を引いた狂覇者の両眼が、百獣の頂点たる威風で永仙を見据える。
「下手を打つことがなければ、今後により苛烈な闘いを味わえるとのお前の言。――嘘はないな?」
「無論だ」
一瞬の間も置くことなく永仙が頷く。
「この先にはさらに熾烈な戦いが待ち受けている。お前が選択を誤らない限り、必ずや望む死闘が訪れるだろう」
「素晴らしいな」
「……口先で丸め込まれていますね」
抑えきれない高揚に破顔する狂覇者の対面で、苦渋を口に塗りたくられているかの如き渋顔で、蔑視を送る賢王。
「覇王の号を継ごうともあろう者が、大言壮語を謳う他人の言に踊らされるとは。王派の異端児たる狂覇者の名も、飼い犬のように地に落ちたものです」
「――違うな」
敢えて逆鱗を逆なでる言い回しで怒りを引き出そうとした口調に対し――狂覇者は、意外なほど平静な目つきで賢王に抗議を突き付ける。
「この男の語る未来は確かに垂涎ものだが、決め手となるのは俺自身の感覚」
「……!」
「覇者たる俺の勘が、戦いの訪れを予感している。それが何よりの道標だ」
「……」
「バカバカしい――ッ」
「――いいだろう」
黙する冥王に、吐き捨てる賢王。机に座す者たちの様相を目に、魔王が終結を宣言した。
「提示したお前の案を受け入れよう、元大賢者」
「魔王――っ」
「どの道、今の時点で器の件を処理しなければ、先の構図に乱れが生じることになる。――重ねて告げておく」
賢王の抗議を抑えた上で、永仙を捉えるのは、血よりも赤い深紅の虹彩。
「王派の表の統括者として、お前に与える機会はこれが最後だ」
「――」
「お前がどれだけの思い入れを持とうとも、確実な対処のためには器を砕けば済むだけの話」
冷徹な眼光には、外面の言動に惑わされず真実を見抜く叡知が備わっている。
「その気になれば容易に退けることができるのにもかかわらず、私も賢王も、ここまでお前の酔狂に乗って動いている。その温情は理解しているな?」
「――分かっている」
「ならばいい」
少女が卓に座す一同を睥睨する。
「決行は問題となる戦力のうち、二名以上が外に出たタイミング」
「――」
「方針が決まれば迅速に動くのが是というものだろう。平穏欲しさに一線を離れた養育者たちに、王の格と言うものを思い直してもらおうか」




