第十五話 暗躍する者
「ふー……っ」
星明かりも見えない巨大な岩窟の内部。
「――進展の方はどうだい?」
地面からせり出た岩に腰を下ろしている人物の背中に向けて、歩いてきた男は声を掛ける。人の好さを伝えてくるような、黒縁の丸眼鏡。
「捜索の方は任せきりにしてしまっているけれど。なにか手掛かりがあったかな」
「――駄目だな」
手入れのされていない、疎らな髭の生えた四十台ほどの顔つきの中心から、温厚そうな黒の瞳がレンズを通して相手を見つめている。肩まで手を挙げた鎧がこすれ合う金属の音を響かせると同時、兜に遮られたものではない、野性味に溢れた青年の声が響き渡った。
「元は迫害を受けてた連中だか何だか知らねえが、意外と上手く隠れてやがる」
「――」
「幾つか臭いそうな場所にも出向いてみたが、気配がねえ。今回も収穫はなしだ」
「そうか。――君たちに探してもらっているのは、この時代では最高峰の力を持つ技能者たちだからね」
首を振る鎧の人物に対し、眼鏡の男性は特に気分を害した様子を見せない。今一度要件を確認するように頷いて、
「簡単に見つからなくても無理はない。期日までに達成してくれさえすれば、慌ててかかる必要はないよ」
「ハッ。――まあ、見つけちまえば一瞬で終わりだろ」
平静に要望を告げた男に対し、青年の口角が釣り上がる。血気を込めた荒々しい野生の凄みを含んだ声が、明瞭な嘲りを含んだものへと変化した。
「捜索の途中で何度か目にしたが、この時代の連中なんざどいつもこいつも小物しかいねえ。例の三大組織とやらも、あいつらに引っ掻き回されて警戒してるってのに、俺らの動きに気付けねえ時点でお粗末なもんだ」
「――それはまた妙な話ですね」
耳慣れない人物の声が会話に交じる。魅惑的な中東風の踊り子の衣装を纏った、艶のある女性。
「今日の捜索では、そのお粗末な相手の一人に見付かったばっかりだったと思うんですが」
「おい、《死神》――っ」
「三大組織のメンバーと接触したのかい?」
「……あー、まあそうだ」
意気軒昂な男の語りを、吐息交じりに窘めるように口にされた台詞。意外そうに尋ねた眼鏡の男性に対し、青年が極まり悪そうに舌を打つ。
「大した問題じゃなかったぜ? 他に気付かれた様子はなかったし、気付いた連中は全員綺麗に土の下だ」
「……ソウ」
男の台詞に応じるようにして、女性の傍らの暗がりから静かな声が挙げられる。どことなく幼さの残っている、背の低い少女のシルエット。
「ヒトリ、フタリ、サンニン。タクサンコロシタ」
「……随分と大勢だね」
闇の中に沈む姿からは、軍服と軍帽を身に着けた旧時代の軍人のような出で立ちが僅かに浮き上がっている。指を折り数える少女の仕草を目に、物憂げな溜め息を吐いた中年が、鎧姿の男に目を向けた。
「事前に言っていた通り、決行の日までは、なるべく目立つような振る舞いは避けて欲しい。気付かれた以上は仕方なかったかもしれないが――」
「まあ、元はと言えば、ガイゲの余計な行動のせいで見つかったんですけどね」
「っ、おい!」
「……何をしたんだい?」
裏切りに狼狽を見せる鎧の男。穏やかな微笑で問い詰める眼鏡の奥の瞳に、分の悪そうに視線を泳がせ。
「……連中が余りにぼんくらなもんだからよ」
「……」
「ローブを脱いで、ちょいとちょっかいを掛けてみただけだったんだぜ? 気付かれねえ程度に気配は殺してたんだが、手元の道具を見てた何人かが急に焦り出しやがって――」
「――なるほどね」
悪戯が思わぬ失策を招いたような男の釈明に、丸眼鏡の男から示されたのは、微かな苦笑い。
「君からしても意外な遭遇だったわけだ。気持ちは理解できる」
「――」
「技能者界で伝説と呼ばれるほどの力を持つ君たちなら、地道な捜索作業はさぞかし退屈だろうからね。ただ……」
一文字にまで下げられる口角。
「――果たしてそれは、本当に必要な行動だったのかな?」
「……ッ‼」
――純粋な真剣さ。
笑みを消してなお、穏やかな表情のまま。目だけに真面目さを覗かせる中年の仕草によって、固体になった空気に押し込められたかのように場の一同が沈黙している。殺気や闘気を一切感じさせない、
「……」
「……っ悪かった」
ただ純然たる問いかけ自体の重みに、艶麗な女性も、無邪気な少女も、底知れぬ圧迫感を覚えているように口をつぐんでいる。主犯として重圧を一手に受けていた鎧の男が、観念したように、掠れる声で言葉を口にした。
「大事の前の仕込みに、悪ふざけが過ぎた。あんたの意向に応えるなら、あの場は何もせずに立ち去るべきだった」
「……組織の人員を甘く見ないでほしい」
降参というようにガントレットの両手を挙げてみせた男に、小さく息を零した男が、洞窟の床に軽い反響音を響かせて歩き始める。
「戦力的には脅威でない相手だとしても、今の彼らは凶王派側の動きで警戒心が増している状態だ。準備が成立するまでに気付かれれば、こちらも想定外の動きを取らざるを得なくなるかもしれない」
「……ああ」
「水面下で事を進めることができなければ、三大組織を始めとした勢力が大々的に動き出す。そうなれば僕の望まない事態を招くことは、以前の話で理解してもらえていると思う」
円を描くように小さく一周して立ち戻る。使い古されたレンズの奥の黒い瞳を、今一度青年の方へ差し向けて。
「君たちの力量に比べて、退屈な仕事を任せていることについては済まなく思っている」
「――」
「ただ、実力的にも立場的にも、この仕事を任せられるのは君たちしかいない。全てが無事終わりを迎えられるまでは、慎重に行動するよう頼みたいんだ」
「構わねえよ。元よりその要望を聞いた上で、あんたの頼みに応じたわけだしな」
岩から腰を上げた騎士風の男が、恭しげに頭を下げてみせる。野性味のある風貌からは似つかわしくない、不器用な努力の込められた丁寧さで。
「今回みてえな悪ふざけは二度としねえ。高邁な騎士道とやらに、誓ってもいいぜ」
「そう言ってくれると助かる。――君たちを見付けたのは、どんな相手だったんだい?」
「――見た目は普通の一般人って感じでしたね」
二者の間の空気の緩みを受けて――沈黙のうちに控えていた艶やかな女性が、小さな顎に手入れの行き届いた指先をしなやかに当ててみせる。
「特別な力の動きは感じませんでしたし。ある程度系統だった訓練を受けていることは、身のこなしや、揃いの制服を着ているところから分かりましたけど」
「……マックロ、ヘイタイミタイ……」
「銃とかいう玩具を振り回すしかできねえ奴らさ」
戦闘の様子を思い起こしたのか、気に入らなさげな口調で青年が言い捨てる。
「刃物にしろ、火器にしろ。あんなお粗末な代物じゃ、有事の備えができてるとは言えねえのにな」
「――執行機関の執行者か」
浮かび上がった全体像に、頷く眼鏡の男。
「彼らは組織としての歴史は浅いが、技能者と渡り合うための様々な技術や兵装を開発してきている。気配を殺した君が気づかれたのも、最新式の探知装置のような物があったのかもしれないね」
「けっ。感覚すら道具に頼らなきゃならねえとか、人間も惰弱になったもんだぜ」
「鎧を着てる人に言われたくないと思いますけどねー」
「?」
「混ぜっ返すなっての。――場所は絞り込めてきてる」
小首を傾げる軍帽の少女に嘆息した、鎧の男が眼鏡の男と視線を合わせる。今一度真剣さを言葉に込めて。
「今回の成果はなかったが、この調子ならあんたの言う期日までには間に合うはずだ。あんたの期待を裏切ることはしない」
「信頼している。任せるよ」
「ガイゲ」
会話の着陸を見て取ってか、傍観していた少女が黒々とした鎧の肘当てを掴む。手には力を込めないまま、軍帽をずらした灰色の髪の下から、男を見上げるようにして。
「ボウケンノオハナシ、キキタイ」
「またかよ。昨日も寝る前に、三時間くらい話してやっただろ?」
「キキタイ……」
「分かった分かった。話してやるから、んな恨みがましく睨んでくんなっての」
「……ガイゲって、ヤマトちゃんには優しいですよね」
無表情の抗議を続ける少女の粘りに根負けした鎧の男を目に、砂漠の香りのする異国情緒を纏う腕輪と首飾りを揺らす女性が、不満を隠し損ねたように拗ねた流し目を贈る。
「私に対してはあんなに冷たいですのに。同じ仲間同士で、どうしてそんなに態度が違うんですか?」
「冷たくも優しくもしてねえよ。人間ごとへの適切な態度ってのを弁えてるだけだ」
背中に乗ろうとしがみついてくる少女と格闘していた鎧の男が、片腕を抱えるのに落ち着いたらしい相手の様子を見て息を吐く。
「相手によって適切な対応ってのは違ってくる。伝説の名を背負うとはいえ、世間知らずなガキんちょと、俗世に塗れた死神サマを一緒にするわけにはいかねえからな」
「なるほど。つまり好みのタイプの私に対しては緊張してしまって、つい乱暴な言葉遣いになってしまうと」
「どっからその結論を引っ張って来たんだよ。――ああ、そうだ」
少女たちと共に壁際に歩いていこうとした途中――重たい金属の肩当てを揺らしながら、鎧の男が振り返る。縮れた短い金髪の下から、抜け目のない青い目の眼光を覗かせて。
「このところ出てて話を聞けてなかったが。本筋の方は上手くいってんのか?」
「――」
「俺らの方が上首尾だろうと、本命がコケちゃ話にならねえ。あんな寄せ集めの連中で、最後までやり切れるのかは疑問だがな」
「――大丈夫だよ」
皮肉とも取れるような男の質問に、中年の男は落ち着いた表情で答えてくる。声に込められた感情。
「最後の一人の契約との馴染みも終わって、大方の準備は済んでいるし。今はその日に備えて、全員が最後の磨きをかけているところなんだ」
「……」
「君たちからすれば頼りなく映るのかもしれないが、彼らも優秀な技能者たちだよ。覚悟と決意に、己自身を懸けて臨んでいる」
「――ま、いいがな」
重さを覗かせる男の言葉に、くすんだ黒色の肩当てを竦めながら男が返す。
「あんたがいいならそれでいい。悔いのないようにしとけよってことだ」
「――」
「俺らは精々過去の死人で、この舞台の主役じゃあない。どれだけ筋書きが掻き回されようと、最後にこの場所に立ってるのは、あんたなんだろうからな」
「……心に留めておくよ」
背を向けて肩手を挙げた男と、連れ添う二人が洞窟をあとにする。壁際に向かった気配が、一瞬の発光ののちに消え去り――。
「……さて」
その様子を軽く手を振って見送った男は、自身が身を置く岩窟の中央へと視線を戻す。闇の中で鈍く光を湛えている、一つ一つが濃密な魔力で描かれた青白い光の線。
「用意の方も、いよいよ大詰めだ」
細く精細な鎖を編み込まれて組み合わされた複雑怪奇な文言と図像とが、数千万を超える術式の重ねられた一個の巨大な法陣を形作っている。一際太い実線で囲われた内部に男が足を踏み入れると同時、底なしの大海の如き力を秘める円の全体が、まるで己の意志を持つかのように大きく脈動した。
「ガイゲたちの忠告を無下にしないためにも、彼らに不備を怒られないためにも。気合を入れて仕上げるとしようかな」




