第十四話 保護者たちの思い
「――やれやれ」
深夜十二時を回る夜半。
「今後の方針について相談でもすんのかと思えば、いきなり現役の四賢者とバトルたぁな」
L字型のソファーの対面に置かれた、上品なウッドのセンターローテーブル。彫刻や置時計が似合うだろう、優雅なアンティーク調の家具の上には今、香気を放つ蠱惑の液体を湛えたビンたちが並べられている。……『貴州茅台酒』。
「その後の手続きやら誓約書やらも面倒だったし。組織も苦労させてくれるぜ」
『Barolo Riserva Monfortino』『夢雀』など、言語と中身の色合いを異にする種々のラベル。ソファー横のワゴンに積まれた料理の大皿は空にされ、多種多様なボトルに囲まれた天板の上で、つまみの最終防衛線と化した6Pチーズと煎り落花生が、気品ある四角い陶器皿のふちで慎まし気に肩を寄せ合っている。――そう。
〝――来たか〟
黄泉示たちの指導のあと。范立慧に導かれた東たちを待っていたのは、揃い立つ秋光たち四賢者の姿だった。協会の中でも格式ある大広間。
〝これはまた……〟
〝錚々たるメンバーじゃねえの〟
〝修行疲れがあるところ悪いが、来てもらった用件を説明する〟
歴史と伝統を表す東西混合の装飾の施された中心に居並んだ最高位の技能者たちに、東たちといえども壮観さを覚えずにはいられない。率先して話し出していた秋光。
〝《逸れ者》――中立勢力でありながら協会に滞在しているお前たちは、凶王派と九鬼永仙の同盟に対する友軍勢力として扱われることで体面を得ている。ここまではいいな?〟
〝――おうよ〟
〝二組織にもその旨で釈明をしたところ、受け入れと同時に要望があった。救世の英雄たちの現在の力量を把握し、組織間で共有したいと〟
秋光の瞳が細められる。
〝今後行われる共闘のためとなれば、協会側にそれを拒絶する理由はない〟
〝……〟
〝双方の多忙を考慮し、最も簡易な三対三形式での測定を行わせてもらう。――協会からはレイガスとバーティン〟
〝よろしくお願いしますぞ‼〟
〝それと、レイガスの弟子である郭詠愛賢者見習いが相手をする。若いが実力のほどは確かな魔術師だ〟
〝――郭詠愛と申します〟
品のある黒のブラウスに身を包んだ中性的な女性が、東たちに向けてそつのない一礼を披露する。
〝力量の至らぬ身ではありますが、お相手を務めさせていただくことになりました。どうぞ、お手柔らかに〟
〝これはまた利発なお嬢さんだね〟
非礼の無いよう厳粛に礼節を守っての挨拶に、にこやかに応答したレイル。
〝秋光が見繕ったのであれば、此方としても不安に思う道理はない。丁重に相手をさせてもらうよ〟
〝――下手な真似はするなよ〟
白髪の老人――レイガスが鋭い眼光を飛ばしてくる。
〝《執行処刑者》。分別なく力のみを欲して、貴様のような人間に権限を与える執行機関と此処は違う〟
〝――〟
〝いかなるとき、いかなる場所でも我らが目を光らせている。貴様の子息がこちら側にいることを忘れるな〟
〝……頑迷さは相変わらずのようだね、ご老人〟
〝いやはや、まさか、かの《救世の英雄》殿たちと手を交えられるとは!〟
剣呑な視線を飛ばし合う二人を置いて、バーティンが東とエアリーに諸手を大きく広げて歓迎の姿勢を取る。髭の生えた顔を綻ばせ。
〝感謝感激あられの極み! 不肖の身なれどもこのバーティン、全力を持ってお相手させていただくことを約束しましょうぞ!〟
〝そりゃ有り難いんだが……〟
〝……貴方の趣味なんですか? その娘の服装は〟
〝おお! 流石は救世の英雄殿! 良いところに目をつけられますな!〟
〝――はしゃぐんじゃないよ〟
表情一つ変えずに付き従うメイド服の少女を、得意げにバーティンが示そうとしたところで、老女の一括が響き渡る。
〝こいつは組織方の要望なんだ。業務が詰まってるし、早いとこ終わらせるのが互いのためってもんさね〟
〝――へいへい〟
〝あんたらも元技能者なら、力の測り方ってもんは分かってるはずだ。隠し立てはなし〟
ぼやきながら得物を構えた東たちに応じて、レイガスたちの気配もそれまでの歓談とは幾分趣を異にする。三者三様に注がれる油断のない視線。
〝仕切り直しもなしだ。一回の模擬戦闘で、蹴りをつけてもらおうか〟
「――中々豪勢な歓迎会だったね」
戦闘の顛末を思い起こしてか、赤ワインの入ったグラスを静かに目の前に掲げるレイル。
「四賢者二人もさることながら。あの賢者見習いくんの力量も中々だった」
「最近の若手はどうなのかと思っていましたが、協会が期待をかけるのが分かるほど磨きあげられていましたね。――仕方のないことでしょう」
不満げに鼻を鳴らした東に、エアリーがピーナッツを摘まみながら執り成しを送る。
「私たちは引退して十年以上のブランクがありますし。協会側からしても、実際どの程度の戦力であるのかは確かめておく必要があります」
「当然だね」
「いざというときに見込み違いがあれば困りますし。現役の幹部たちの力量を見せることで、こちらの無茶を抑えるという意図もあるのでしょうね」
「――分かってるよ、んなことは」
酒気を帯びた呼気を吐いて。
「でもよ~、筆頭になってるあの秋光の友人だぜ? そんなに信用ねえかね~? 俺たちゃ」
「誰が何を言っているんだ、というレベルの発言だね」
「現役時の貴方を知る者なら、どんな理由があれ、まず間違いなく組織の内部に入れようなどとは思わないでしょう」
「けっ。お前らに比べりゃマシだと思うんだがなー」
不満の残っている口振りで東が目の前の二人を見遣る。改めてその素性を思い起こすようなに目を細め。
「俺はただ単純に、相手が誰だろうと気に食わねえ奴には片っ端から喧嘩売ってただけだったし。組織で手に負えねえ暴れ馬扱いされてたお前と、組織を脅して情報取ってた奴からすりゃ、大分純朴だろ」
「組織と凶王派に喧嘩を売りかけて、危うく戦争になり掛けた男が何を言いますか」
「んなことあったっけか? しっかしまぁ――」
惚けて流した東が、酒杯の中身を一息に呷る。
「あれだな。大分鈍っちまってんな、流石によ」
「まあ、仕方のないことではあるね」
先の四賢者たちとの戦闘を経て実感したこと。物寂し気に呟く東に、レイルが同意する仕草でワイングラスを揺らす。
「十年間死線と無縁の生活を送っていた影響は軽くない。――それでも結果に差が生まれたのは、日頃の研鑽を怠らなかったか否かの違いというところかな」
「元法執行機関の人間のくせして、今は裏社会でドンパチやってる野郎に言われるとムカつくな……」
「私と東は本来の得物もありませんし。引退後は至極真っ当な生活を送っていますから」
得意げにほほ笑んだレイルに対し、二人が物言いたげな態度を示す。澄ました顔つきをするエアリー。
「争いごとは遥か昔。マフィアの頭領とは違います」
「おやおや。つい二ヶ月ほど前にアルバーノファミリーと悶着を起こしていた人間とは、思えない言い草だね」
「っマジかよ……」
「些細な行き違いがあっただけです。――分かって言ってますよね?」
大げさに身体を引いて見せた東に対し、軽く首を振ったエアリーが息を吐く。
「ジェインたちの前でもそうでしたが。余り人の評判を貶めるようなことを言っていると、少しの全力でぶん殴りますよ?」
「戦闘前に頭数を減らしてどうすんだよ。――にしても、相変わらず蟒蛇だよなぁ」
空になった酒ビンを脇に置いた、東が改めてテーブルを眺めやる。各々の前に置かれたビンの数。
「ワインを五本にウォッカが四本。濁酒と焼酎にビールまで空けて顔色が変わらねえとか、聖職者の肩書を返上した方がいいんじゃねえか?」
「神の愛というのは、多少の飲酒程度で損なわれるものではないんですよ。昔よりは弱くなりましたけどね」
その中でもぶっちぎりのトップを走っている女性神父が、ワゴンの上から新しい日本酒のボトルを目の前に置いた。
「飲むの自体、数年ぶりになりますし。子どもたちの相手をしていると、酔いに浸っているような時間もありませんから」
「あのエアリーが、今では孤児院の院長か」
どこか愛おしそうにそのことを語ったエアリーに、レイルが口の端を微かに緩ませる。
「話を聞いたときには、直ぐにでも暴力沙汰を起こして潰れるだろうと思っていたものだが。聖職者の痩せ我慢とはいえ、よく続いているものだ」
「貴方もよく大人しく組織の長などをしていられますね。いつの間にか結婚までしていて」
エアリーが、軽くない驚きを滲ませた目つきを送る。
「そんなに行儀が良くなるとは思いもしませんでした。相手の方は私たちも知りませんが、ちゃんと互いの事情を分かった上での婚約なのでしょうね」
「お互い相手の素性を明かさないという条件付きさ。五年以上前に夫婦関係は解消して、それ以来もう会ってもいない」
「どんだけドライな結婚だよ。ま、んな危険人物が相手じゃしょうがねえか」
頭の後ろに両手を遣った東が、体重を預けたソファーの背もたれを大きく音を立ててきしませる。
「俺だってまだ独り身なんだからよ。あーあ、どっかにいい相手がいねえかなぁ」
「結婚願望があったんですか? あなた」
「おうよ! 胸がデカくてかわいくて、ついでに料理上手で資産家なんかだと最高だな!」
「最低の俗欲ですね」
「そういうエアリーも独り身だね」
絶対零度の視線を差し向けるエアリーに、マドラーでカクテルを作っていたレイルが話を振る。
「協会と孤児院を経営していくのなら、パートナーがいた方が何かと便利だとは思うが」
「私は特にそういう願望はないですし。子どもたちのためを思えば、一人でも辛いと思ったことは無いですよ」
「願望以前にまず、相手が見つからねえんじゃねえか」
おどけ調子で口を挟む東。
「メイスをぶん回して、万象を粉砕するような破壊神じゃよ。流石に人間には合わせられる奴がいねえ――」
「――遺言はそれだけですか?」
「酒瓶で殴ると足がつくから、殺るなら素手の方がいいと忠告しておこう」
満面の笑顔で殺意の波動を放つエアリーに、レイルが軽い調子でアドバイスを贈る。手のうちのグラスを回した東が――、
「しっかし、まあ……」
「まだ何か戯言が?」
「違えよ。なんつうか……」
それまでの会話とは少し違った、神妙な雰囲気を覗かせた。杯の中に浮かぶ灯りを見つめ直して。
「あのくらいの年頃の子どもってのは、見ねえうちに成長するもんだと思ってよ……」
「「……」」
しみじみと言われた台詞に二人が顔を見合わせる。軽く視線で合意を交わすようにして。
「当たり前ですね」
「当たり前だろう」
「――うぐッ⁉」
「勿体ぶった顔つきをして、何を言うのかと思えば」
全身を硬直させた東。エアリーが、やれやれと言うように首を振る。
「そんな初歩の初歩を今更言い出すとは。この十年、何をしていたのか疑問ですね」
「うっせえよお前ら! 人が感慨に浸ってんだから、そこは素直に頷いとくところだろうが!」
「保護者として、余りに当たり前のことを言うものだからね」
溜め息を吐くレイル。
「つい呆れてしまった。子どもが変わるのは当たり前のことさ」
「っ」
「彼らは年を経たものたちよりもずっと若い。色々なことが決められていないし、自分を物語る過程の最中でもある」
「へーへー、悪うござんした。どうせ俺は、保護者としてお前らより未熟ですよ~、だ」
「貴方がやっても可愛くありませんから」
「だが変わりやすいということは、それだけ不安定なことでもある」
レイルの指摘に、東の耳がピクリと動く。
「世界を歩いていくための、足場が固まっていないわけだからね。ふとした拍子で踏み外してしまうこともありがちだ」
「子どもたちや青年は、世界に投げ込まれて間もないですから。自分で手掛かりにできる何かを見付けられるまで、それを手助けするのが先達の役目です」
「……」
酒杯を口へ運んでいた手が止まる。黙考した様子の東に、
「――早目に言ってあげた方がいいと思いますよ」
エアリーが言葉を掛ける。どことなく優し気な目を向けて、
「彼の件。気付いているんでしょう?」
「……まあな」
「不都合な状況だと分かって長引かせるのは、何よりまず当人のためにもならない」
頷いた東に対し、レイルが続く。
「早い方が別の道に進みやすくなる。言い辛いことでも進んで口にするのが、世界を先に歩いている者の義務だよ」
「分かってるよ」
二人の助言に息を吐いた東が、グラスのうちの氷をからりと揺らす。
「ただ……」
「?」
「……あれは、あいつの拠り所にもなってるもんだからな」
物思いと共に、深く吐かれた溜め息。
「経緯からして愛着もあるだろうし、父親の思い出とも深く結びついてる。下手にこっちから指摘すると、また昔の傷を突いちまうんじゃねえかと……」
「――過保護ですね」
「過保護だな」
「揃ってハモってんじゃねえよ⁉」
重ねて同じ意見を口にした二名を前にして、机に叩き付けられたグラスから芳醇な飛沫が前後に飛び散る。
「茶化すんじゃねえよ、テメエらは! 人が真剣に話してんのによ――っ!」
「君が考えているほど、黄泉示くんは弱くはないと思うよ」
舌打ちして座り直した東に対し、指を組んだレイルが身を乗り出す。
「あれから十年の時間が経って、黄泉示くんも自分なりの道を歩き始めている」
「……ッ」
「どんな傷も、いつかは時間によって消失する。かさぶたが途中で剥がれたとしても、下の傷口自体は小さくなっているものさ」
「負担を投げっぱなしにしていいわけではありませんが、信じないことには、新しい可能性は生まれて来ません」
エアリーが口にするのは、実感の込められた言葉。
「相手の傷口に触れることになってしまうとしても、話さなければ、相手に別の傷を与えてしまうこともあります。伝え方はしっかり考える必要がありますがね」
「私はリゲル君を信頼しているからね。ギャングの群れの中に放り込むのも、ごろつきどもとの喧嘩を放置するのも、お構いなしさ」
「貴方はもう少し子どもを気遣った方がいいと思いますが……」
言葉を遮られて軽くへの字に曲げた眉を、再び丸みを描くまでに押し上げて。
「まあ、なんにせよ、決めるのは貴方です」
「――」
「私たちはあくまで野次馬。手の届く距離から、貴方の決断を眺めているだけですから」
「……ったくよ」
どっかりと背もたれに体重を預けた東が、二人に不快感のない舌打ちを送る。
「二人して下手な芝居打ちやがって、この大根役者どもが」
「……」
「修行の時から気にしてんのが見えてんだよ。初めからこの話に持ってくつもりだったろ」
「さてね」
「さあ、どうでしょうかね」
ジト目で見つめる東に返されるのは、隠すつもりのない惚け方。
「自称最強がヘタレているようだったので。普段は強がりな人間がしょぼくれていると、思わず背中を叩きたくなってしまうものです」
「手のかかる友人を持つと苦労するね、まったく」
「お互い様だろ、そいつはよ」
ったく、と小さくぼやき。
「……ありがとうな」
「えっ? 今なんて言いました?」
「齢のせいか、最近はめっきり言葉が聞き取りづらくなってしまってね。もう一度、大きな声で、はっきり言い直してくれると助かるんだが」
「わざとらし過ぎるし、録音しようとしてんじゃねえよテメエはよ……!」
「まあ、東をからかうのはこれくらいにして――」
耳に手を当てていたエアリーが姿勢を戻し、取り出していたレコーダーをレイルが懐に仕舞い入れる。上質なオーダーメイドの生地に包まれた、長い脚を組み直し。
「実際問題、厄介な相手が敵に回ったものだね」
「……そうですね」
「元魔導協会の大賢者とは。リゲルくん絡みでなければ正直、敵対したくない相手ではある」
「んだよ。始める前からもう泣き言か?」
「単純な事実さ。――永仙の力量は、現役の頃から私たちの中でも頭一つ抜きん出ていた」
淡々としたレイルの指摘が場に沈黙を齎す。かつてそれぞれが三大組織の幹部級の実力を持つと言われ、
各々が畏怖と尊敬から生まれた二つ名を持ち、技能者界の高名を恣にしたその東たちからしても、九鬼永仙という技能者は明確な高みにある人物だった。かつて共に肩を並べて戦った間柄だからこそ……。
「ブランクと環境で差のついた今となっては、どれだけの力をつけているか分からない。こちらが相手の技法に知識があるとはいえ……」
「相手も私たちを知っているわけですからね。今回の入山を聞いて、相応の用意を整えてくるでしょう」
その脅威がより鮮明な絵図となって描けるものであり。エアリーの手にしたグラスの中で、砕かれたロックアイスがカラリと音を立てる。重さの増した空気が沈滞する中――。
「――ま、今の時点で四の五の言ってみても仕方がねえ」
「――」
「とらぬ狸の何とやらだしな。思うところがあろうと、俺らのやることはシンプルだろ」
大仰に肩を竦めてみせた東が、場の空気を弛緩させる。琥珀色の液体の入ったグラスを、剣を置く己の目線の高さに掲げあげ。
「凶王だろうが永仙だろうが変わらねえ。他人の子どもに手を出そうとするんなら――」
「……そうですね」
「全力でぶちのめしてやるだけだぜ。――命を張ってな」




