第十二話 蘇る世界
……
…
「いよーしっ!」
「……」
「今日の鍛錬はここまで。全員、よく頑張ったな!」
……。
……視界が霞む。
脳裏に響いてくる誰かの声。確かに自分の耳で聞いているはずなのに、妙に現実感がない。目に映る試合場の輪郭が……。
「……聞こえてないんじゃないですか?」
「え。マジで?」
「二人とも随分無茶をさせていたからね。相手はまだ学生だというのに、手心が分からないというか」
「貴方がそれを言いますか……」
「回復が先か。任せたぜ、エアリー」
「――まったく」
やけに遠く感じる。分厚い磨りガラス越しに世界を眺めているような感覚に揺蕩っている視界の端で、微かな光が瞬いた気がした。
――瞬間。
「――ッ⁉」
「お、起きたか?」
スイッチを切り替えられたのかと思うほど唐突に、全ての感覚に鮮やかさが蘇ってくる。――ッ熱。
身体中に熱した泥を詰め込まれたような、凄まじい困憊の不快感に呼吸が止まりかける。……ッそうだ。
俺たちは今、あの地獄のような訓練から舞い戻ってきたところだったのだ。これまでの修練とはわけが違う……っ……。
「うっ、ぐっ……‼⁉」
「あら。もう起き上がれるんですか」
「子どもの頃から鍛えてきているからね」
中途で一度や二度、三途の川を渡りかけたと言っても過言ではない体験。ずたぼろになったスーツの生地と共に襤褸雑巾のように転がっていた姿勢から、無意識のうちに身体を起こそうとするリゲルを見て、レイルさんがしたり顔を披露している。
「私の影響で、昔から多種多様な荒事に巻き込まれているし。ジェイン君は優秀な学び手ではあるが、元執行者の目線から言うと、もう少し頑丈さが欲しいところだね」
「貴方のマインドコントロールに着いていけるだけの力があれば充分でしょう。銃やナイフを振り回す人間とは違って、ジェインは繊細な子ですから」
「ノスフェラトゥ、血流魔術、概念特性……――はっ⁉」
終わりの合図からずっと狂気の世界に陥っていたジェインが、正気に戻ったように我を取り戻す。頭のどこかにくらつきが残るのか、痛むようにこめかみを右指で押さえ。
「……ここは……っ」
「……」
「……〝覚えたまえ〟という命令が脳からひたすらに聞こえてきて。必死で文章を辿っている途中に、意識が途切れたところまでは覚えているが……」
――怖っ。
「う、う……?」
「――」
「……生きてんのか? 俺は」
「お、目が覚めた」
「避けても避けても人型のバケモン神父が迫ってきて。わけの分からねえ力で、天地が何度も逆転……っ」
「誰が化け物ですか」
「よしよし。――初日にしちゃあ上々だな」
記憶術ではなく、完全に洗脳に近い何かだ。半死半生でトラウマを植え付けられているような死屍累々の俺たちを目にして、満足げに頷いてる小父さん。……これが上々……?
「半日で一応通しの訓練には耐えたわけだが、そのまま解散じゃ明日の予定に支障が出る」
「ッ……」
「一晩で元通りとはいかねえからな。エアリーが【秘跡】を使って、お前らの体力を回復させた」
訊く余力は残っていないが、本来ならどういう想定をしていたのか、かなり気になる。……エアリーさんが?
「疲労と痛みが引いて、動けるようにはなってんだろ。全快じゃねえが――」
「おおよそ八割程度というところでしょうか」
聖職者然とした、見る者の心を和ませるような表情で微笑むエアリーさん。……さきほどまでの人間災害振りを見ていると信じ難い。
「貴方たちの自然な回復量も考慮に入れてありますから。しっかり夕飯を食べて、夜更かししないで眠れば、多少疲労が残る程度で済むはずです」
「それは……」
「ありがたい話っすけど……」
だが、実際動けてはいるので、ジョークというわけではないだろう。現に暴力の被害に遭っていた当人が、地面に膝をついたまま、感謝すべきか判断しかねているような口調で訊く。
「っどうせ魔術で回復させんなら、完全に治しちまった方が得じゃねえんすか?」
「貴方たちの友人が復帰次第、この役割は彼女に譲ります」
――フィアのこと。
「治癒魔術の上達には、理論や知識の獲得も当然ですが、実践を行うのが一番の近道です」
「――」
「聞くところによると、彼女の魔術の腕前はまだまだ初心者。どう頑張っても完全に疲労を取り去ることはできないでしょうから、私もそれに合わせた回復量にしているというわけです」
疲労の中で説明を噛み締める。……なるほど。
「技能で完全に疲れを取り除いてしまうと、自然治癒力の向上を阻害することにもなってしまいますしね。余り望ましいことではありません」
「エアリーは元聖戦の義の幹部を務めた技能者で、治癒や守りの【秘跡】をマスターしてる」
この場の鍛錬だけではなく、先まで見据えての措置だったということか。――聖戦の義。
「信徒としての技能だけじゃなく、秋光らとの交流があったことで、魔術の技術にも知識がある。嬢ちゃんの指導役にはぴったりだと思うぜ?」
「自分で破壊した物や人を治していくうちに身に着いた技術、というのが恐ろしいところだがね」
「ッマジかよ……ッ」
「悪質な嘘を言うのはやめてくれません?」
とても嘘には聞こえない。闘気を纏う微笑みで警告するエアリーさん。肉食獣と紛うばかりの圧力に、俺たちが口を閉じたところで――。
「ただ……」
「?」
「やってて分かったが。このままじゃやっぱ、問題なんだよなぁ」
後頭部を掻いた小父さんが、今更にそんなことを言い出す。――っなに。
「ぶっちゃけ俺らの中には、魔術の専門家はいねえからな」
「――ッ」
「グラサンの重力魔術に、眼鏡が持ってる概念魔術。お前の【魔力解放】ってのは、蔭水家の人間だけが使える固有技法だ」
ふぅむと軽く呟き、
「どれもレアな技能だけに、まともに見れる奴は限られる。詳しい人間がいねえことには――」
「――まったく」
話の最中に、唐突な足音が響いた。活気に満ちた声。
「相変わらず無茶やってるわね」
「――」
「不器用の癖に危険なところにばっか突っ込んでって。見ちゃいられないわ」
「君は――」
「っ立慧さん?」
「――あたしもこいつらの指導に参加する」
背後から風を切るような気っ風で現れたのは、以前に修行をつけてもらっていた、魔導協会の支部長、立慧さん。馴染みの動き易いミディアムボブの髪を揺らし、片手のひらを上向けて小父さんたちに宣言する。
「基本的な訓練の方針については貴方たちに任せるけど、こいつの固有技法については私が面倒を見る」
「……!」
「二人の魔術の指導についても、適当な人員を見繕ってくるわ。それでどう?」
「そりゃ――」
「いいのかよ?」
願ってもない話だが。リゲルより先に尋ね返した小父さん。
「前回の外出じゃ、凶王と睨み合いになって大分苦労したんだろ?」
「……!」
「組織の人間なら色々と仕事もあんだろうし、凶王らから逃げられるくらいに鍛えようってんなら、教える側も相当根を詰めなきゃならねえ。俺らのファンだからって、無理はしなくていいんだぜ」
「それはあんまり関係ないんだけど。――一応、担当役を任されてるからね」
両腕を組んだ立慧さんが、確固たる意志の光を覗かせる。
「救世の英雄で協力的とは言え、外の人間が色々やってるのを放置するわけにもいかないし。請け負った仕事は、最後までやらせてもらうわ」
「こちらとしては願ってもない申し出だね」
微笑みながら頷くレイルさん。……確かにありがたい。
魔導協会の支部長であり、肉体技法にも造詣のある立慧さんなら、俺たち三人全ての技法にアドバイスができる。これ以上なく適切な人員であることは確かで。
「足りない手を求めていた者として、喜んで歓迎するよ」
「……っ立慧さん」
だが。……立慧さんは以前に、凶王を相手にするような無茶はさせられないと言っていた。
「どうして……」
「あの娘に会ってきた」
支部長としての業務を優先させるはずでもあったが、それがどうして、突然俺たちの指導についてくれる気になったのだろうか。――ッフィアに?
「あんたたちと並んで戦うために、まだ頑張るって言ってたわ」
「……!」
「ああいう真っ直ぐな気持ちを、無駄に終わらせたくない。救世の英雄たちが指導につくんなら、あんたたちにもまだ目が出てくるだろうし」
強い眼差しが俺たちを正面から受け止める。
「後進が自分たちから苦境に立ち向かおうとしてるのを、黙って見過ごしてるわけにもいかないでしょ。あんたたちの覚悟が続くまで、私も付き合ってあげる」
「っ立慧さん……」
「――ありがとうございます」
「良いわよ、別に。ほら、さっさと立ちなさいよ」
差し出されたしなやかな手を借りて立ち上がる。地面を踏みしめた瞬間、負荷に震えた脚が崩れ落ちそうになるが……!
「……ッ!」
「ふぅ~……っ」
「ホントに汗だくね。食事の前に着替えてきなさい」
気合を入れればなんとか立てそうだ。よろけながらも全員が立ち上がった俺たちに、立慧さんが腰に手を当てる。
「そのままじゃ冷えて身体に悪いし。夕飯はいつもの場所で準備されてるから」
「? 立慧さんは来ないんですか?」
「生憎ね。私はこのあと、用事があるの」
軽く肩を竦めた立慧さんが、俺たちの隣にいる人たちの方へ視線を移す。
「救世の英雄たちを呼んでくるっていう用事が。それもあって来たんだけどね」
「小父さんたちを――?」
「おう。支部長さんの言った通り、このあと秋光らにお呼ばれしててな」
「無理を言って置いてもらっている身なので、何かと忙しいんですよ」
「私たちが戦力に加わるとなると、事前に相談しておかなくてはならないことも多いからね」
揃って頷く小父さんたち。……秋光さんたちとの話し合い。
「力があると言っても、私たちはあくまで部外者だ。共有する情報や連携の仕方などについては、しっかりと取り決めをしておく必要がある」
「戦闘を行う場合の条件なんかもあるでしょうからね」
「ってなわけだ」
組織と組織外の実力者同士で、色々と事前に調整しなければならないことがあるということか。木刀を肩にした小父さんが、俺たちを目に気力に溢れた笑みを見せた。
「今日の修業はこれで終了。明日に疲れを残さないよう、たらふく食って、しっかり休んどけよ」
「つ……っ」
夕飯後。
「……っ大丈夫か?」
「おうよ。……ッ流石にあちこち痛みやがるな」
顔をしかめたリゲルが、スーツに包まれた腕や肩の筋肉を揉むようにしてチェックしている。……手足が重い。
「回復で一度は平気かと思ったが、またぶり返して来やがった」
「……そうだな」
「腕も足もガッタガタ。飯を食うのも一苦労だぜ」
「……とてつもない訓練だったな」
今日一日だけで、ここ数か月に匹敵するほど肉体を使い込んだ気がする。負荷によって破壊された筋肉は熱を帯び……。
少しでも力を込めると、身体の奥底からじわりと嫌な汗が浸み出してくる感触がする。ぎこちなく身体を前に運ぶリゲルの隣で、眉間にしわを寄せているジェイン。
「……頭が痛むのか?」
「ああ……。今日覚えた知識が引き出されるたびにな」
口に入れた料理を無理矢理噛み砕いて嚥下するような食事中にも、ときおり何かを思い出すように顔をしかめていたが。断続する痛みに、不安が拭い去れないような表情でジェインが語る。
「脳神経に負担がかかったのか、キリで頭の奥を刺されるような痛みがちょくちょく走る。明日には消えてくれるといいが……」
「……っ」
「何されてたんだよ、一体」
「頭骨を押すことによる脳への直接的な刺激と、……暗示による記憶法だろう」
しかめ面をして訊いたリゲルに、考えるのも嫌だと言うように溜め息を吐いてみせる。……肉体を酷使したことによる疲労を抱えている俺たちとは、また異なるタイプの後遺症。
「人間が何かを記憶する場合、痛みや苦痛を伴えばより強く刻み込まれるという実験の結果がある。……精神面でそれを応用した暗記術だと思うが、はっきりとは分からない」
「ロボットみたいな無表情で、ひたすらページを捲ってたな……」
「初めと最後以外の記憶がなく、いつのまにか知識が植えこまれている。マインドコントロールにも使えそうな技法だが……」
「……親父ならやっててもおかしくねえな」
それ以上の詮索は危険だと同時に直感した、俺たちの会話が途切れる。一拍の沈黙を置いて。
「……神父の訓練も相当だったがな」
「……!」
「僕が見たのは始めの方だけだったが。ずっとあんな調子で殴り飛ばされていたのか?」
「――マジで死ぬかと思ったぜ」
迫りくる暴君の恐怖を思い起こしたのか、いつになく真剣な表情をしたリゲルが、オールバックの蟀谷に冷や汗を浮かばせる。疲労で重たいはずの両腕を、それでもジェスチャーのためにぎこちなく動かして。
「最初好きにかかって来いっつうからよ。こっちとしても、割と全開で行ったわけよ」
「ああ――」
「緩急つけて回り込むようにステップ踏んで、フェイクを四つくらい仕掛けて。踏み込もうと思った矢先に化け――っ神父が目の前にいて、ガードする暇もなくブッ飛ばされてた」
「……!」
「ものすげえ勢いで天地が何度も回転して、全身滅茶苦茶にぶつけまくってよ。重機と激突したのかと思ったぜ」
自身の体たらくを叱責するように舌打ちを零し、そのとき打ったのだろう首の据わりの感触を、再度確かめる。……リゲルの耐久力と運動能力の高さは、何度も共に戦い、鍛錬してきた俺もよく知っている。
「人間に出せるパワーじゃねえし、スピードも前に戦った殺し屋の爺さんとかがまるで目じゃねえ。なんであんなのが神父してんだよ」
「悪魔を拳で祓えるからかもしれないな……」
「……正直僕もそれは少し思った」
「あんな怪物を前にしちゃ、サタンだって裸足で逃げ出すぜ。こっちも充分にヤバかったが――」
それが全く通用しないとなれば、どれほど圧倒的な暴力だったのかは想像に難くない。上背のあるブルーの瞳が、慮るように俺を見る。
「黄泉示も大丈夫だったのかよ?」
「――」
「頻繁にブッ飛ばされててよく見えなかったが、なんか手足に重りみてえなの付けてたし。修行ってより、新手の拷問みてえじゃなかったか?」
「帰り際に汗で巨大な水たまりができているのに気付いたときには、思わず目を疑った」
「……ああ」
脳裏に浮かび上がってくる苛烈な試練の光景に、視線を俯かせながら頷く。小父さんから要求された素振りの鍛錬は――。
〝――ッ!〟
〝――肩の離しが一瞬遅い〟
二人の想像通り、ただ通り一遍の素振りではなかった。手足に合計十六キロの重りをつけた俺を待っていたのは、本職の眼力による容赦のない緻密な審査。
〝肩、腕、手、指先。爪先、脚、腰と背中は常に連動させる〟
〝ッ……ッ‼〟
〝我武者羅に回数をこなせばいいってもんじゃねえんだ。直してもう一回な〟
わずかでもズレがあれば回数にカウントされない。容赦なくダメ出しをされるたび、疲労で外れそうになっていく集中力のたがを、気力で無理矢理嵌め直していくような苦行。始めの予定では三千回という話だったが……。
「とにかく正しい構えを保つのに必死で……。……最後の方はもう、ほとんど無意識で刀を振ってる状態だった」
「そりゃそうなるぜ」
実際には、その倍以上刀を振るっていた気がする。最後の方には手足の感覚がなくなり、終月をまともに掴めているのかどうかも分からないでいた。大きく頷くリゲル。
「俺もガキの頃からシャドーやサンドバックをよくやってるけどよ。十年近く続けてきて、それでもようやく二、三時間だぜ?」
「それも充分過剰だと思うがな……」
「習慣のない人間に、いきなりその倍近くをやらせるとか。相当根性のある人間じゃなきゃ、潰れちまってもおかしくねえよ」
「だよな……」
三人で揃って溜め息を吐く。自分たちの置かれた境遇を改めて理解した俺たちの間に、重たい沈黙が横たわり……。
「……まあ」
「……」
「……初日はどうにかなった、ってところか」
「……まあな」
唇から零された感想に、大きく息を吐きながら応えてくるリゲル。
「明日を考えるとマジで気が重いけどよ。やってやろうって気概はあるぜ」
「――」
「俺らの方から言い出したことだしな。一方的にブッ飛ばされっぱなしってのも、納得がいかねえ」
俯きがちになっていた視線を上げ直しながら、残されている力を掻き集めて、黒革のグローブに包まれた五指で拳を作る。
「反撃を成功させるってわけにはいかねえかもしれねえが、何遍ブッ飛ばされようと立ち上がって、あの化け物神父を驚かせるくらいには鍛えてやるぜ」
「……これだけえげつない訓練をやらせるのは、レイルさんたちが真剣に僕らの要望に応えてくれている証だ」
混じりけのない真剣な誓い。気合を新たにするリゲルの隣で、レンズを光らせたジェインが眼鏡を上げ直す。
「適当にあしらうだけなら、らしいごっこ遊びをさせておけばいい話だからな。修行の論理自体は理に適っている」
「……」
「ついて行けなければそれまでと言う以上、チャンスはこの一度きりしかない」
「……それだけ差がある、ってことだよな」
ジェインの発言を聞きながら、小父さんたちから受けた説明をもう一度頭の中で反復する。……そうだ。
「あの地獄を乗り越えられなきゃ、この状況を自分たちでどうにかするなんてことはできない」
「……」
「向こうが時間をかけて向き合ってくれてるんだから、あとはこっちがそれに応えるだけだ。……全力で」
仕留め役とは、俺の数少ない強みである一撃を、確実な形で届かせるためのものだ。パーティーの役回りを考えれば、戦術の締めを担う責任の重い立場でもある。
以前に雷を操る男に耐え切られたように、ただの素手で永仙に受け止められたときのように、何の衝撃も与えられない形で終わってしまってはいけないのだ。技を磨き……。
基礎となる能力を鍛え抜き、可能な限りの全力をぶつけられるものになってこそ、あの怪物たちに届き得るだけのものとすることができる。考えながら歩いていた俺の耳に――。
「――黄泉示さん」
「――」
それまでの思考を中断させる、思いがけない相手の声が飛び込んできた。――可憐な寝間着姿。
「リゲルさん、ジェインさんも」
「――フィア」
「っおお、フィアじゃねえか!」
場にいるだけで空気を変えるような清廉さに、思わず目を見開いてしまう。廊下と扉を背景に流れている、星空にも似た白銀の髪。
「いや~、二日ぶりだってのに、だいぶ久し振りな気がすんぜ。もういいのか?」
「はい。大体は……」
「目が覚めないということで心配していたが――」
起きてからシャワーを浴びたのか、髪の毛は潤いのある艶を纏い、肌にも血の気が戻っているように感じられる。ジェインが柔らかい表情を見せる。
「大事なさそうで何よりだ。夕飯はもう食べたのか?」
「もう済みました。立慧さんの気遣いで、部屋にサンドイッチを運んできてもらって……」
「そうか。僕らも丁度食事から帰って来たところでな」
眼鏡の奥の明るい瞳が一瞬、意味ありげな素振りで俺とリゲルに目配せをした。……そうだ。
「訓練の疲れもあって、今から寝ようとしていたところなんだ。中々ハードな訓練でな」
「まったく、腹が膨れたら眠くなっちまってしょうがねえぜ。――んじゃ」
体調が回復したばかりにもかかわらず、フィアはわざわざ俺たちの帰りを待つように部屋の前に立っていた。ということはつまり――。
「会えたばっかであれだが、俺らは引っ込むことにすっから。いい夢見ろよ!」
「また明日会おう、蔭水、カタストさん」
「――ああ」
「お休みなさい」
単なる挨拶だけではなく、誰かを待っていたということであって。ウィンクを飛ばすリゲルと、スムーズに扉を開けたジェインが中に消える。辺りに満ちてくる静けさのうちに。
「……」
「……その」
残された俺たち。二人きりになった廊下で、フィアが声を零した。
「黄泉示さんと、話したいことがあって。……私の部屋に、来てくれませんか?」




