第一話 世界とカズマ
ここは縦横無尽にパルプが天井を張っていく。
いや、天井だけではない、壁にもまたパイプが張っていた。張っていないのは、人が歩く道だけ。
――プシューゥゥ。
そして、時折、聞こえるのは蒸気が吐き出される音。
その奥まった小さな部屋。
狭いからか外が熱いからか、彼は額の汗をぬぐいながら、工具を回して、自分の蒸機バイクを調整していく。
蒸機……この世界では蒸気機械が世界を支配していた。
地面を勢いよく、削るように走っていく蒸機機関車。工場で様々な生活用品を生み出す機械。
全てが世界を進めるために、動かすために人々の生活を回していた。
そして、その蒸機を更に高めるために、アールドン・グレイシャル博士は、その蒸気機関に、魔導の力『コア』を入れ込んだ。
かつて、それは無から有を生み出す『賢者の石』とも呼ばれた魔導の力を、一つのこぶし大の石に込めた。それによって、蒸気を生み出す機械は、永久に動き続けるものとなった。
しかし……その代償として、世界は一度、滅びかけた。
魔導大戦と呼ばれた、激しい戦いは世界中の国を巻き込み、いくつもの街や村々を焼け野原へと変えてしまった。
そこで決まったのは、こぶし大だった従来の『コア』の小型化。これにより、数年で枯渇するように調整されていったのだ。
また、戦いに使われた兵器は、次々とスクラップへと変えられていった。
再び、あの悲劇と惨劇を繰り返さぬように……。
さて、彼はそんな世界で、愛用するバイクの調整に、精を出していた。
口元は固く閉ざされたままだったが、その目の輝きは、純粋にこの機械が好きで堪らないというような、そんな輝きを持っていた。
「カズマーー!!」
声が聞こえた。よく仕事を持ってきてくれる女性の声だ。
機械を調整していた彼……いや、カズマ・スレイブは顔を上げた。艶のある黒髪、黒い瞳。恐らく東洋の血が強いのだろう。手を止めて、持っていた工具を側にあった工具入れに乱暴に落とした。
「カズマ、やっぱりガレージにいたのね」
ピンヒールの音を響かせ、入ってきたのは、眼鏡の女性。パンツルックに黒のジャケット。その手には、今日の依頼だろう、白い封筒が。
「……仕事か、アンビー?」
「そ、アンタにご指名。はいどうぞ」
眼鏡の女性、アンビーがそのまま持っていた白い封筒をカズマに手渡す。カズマは嫌そう顔をしながら、その手紙の封を乱暴に開けて、中の便箋を開いた。
「待ち合わせ場所? 町外れじゃないか」
「そう、町はずれのブリッジ下。時間厳守だって。急がないと間に合わないわよ」
「じゃあ、止めるわ」
「そうそう、止めた方が……いやいや、アンタ、借金溜まってきてるじゃないのよ! 好きで建て替えてるわけじゃないんだからね? アンタの腕を見込んで、いろいろ手配してあげてんだから」
それにと、アンビーは続ける。
「アンタに指名した子、意外と可愛かったわよ」
「余計やる気が出ない」
首にかけていたタオルを乱暴に、机の上に置いた。代わりに手に取ったのは、ゴーグル。まるでこれから飛行機に乗るような、頑丈な航空用のゴーグルだ。
「そういう割には、それ持ってるじゃない」
「……借りを預けたままは嫌だと思ったんだ。金額的には悪くない」
「はいはい、行ってらっしゃい、青年。たーんと働いておいで」
アンビーはさっきまでカズマが座っていたイスを横取りして、背もたれに体を預けた。
「ついでにさっさと借金返してな」
「ああ」
手袋をつけ、ジャケットを羽織ると、調整したばかりのバイクに跨った。
この先にあるのは、いつもと変わらない、日常なんだと思っていた。
けれど……まさか、あんな面倒に巻き込まれるとは。
「行くぞ、アクシア」
そんな、身を沈めるカズマの声に応えるかのように、蒸機バイクはバリバリという激しい音を響かせながら、勢いよくカズマのガレージを飛び出していったのだった。