第14話「バッドエンド」
「リューネ、あなたをここから出すわけにはいきません」
「全く、あんな幼稚な陽動作戦を使うとは、馬鹿にされたものだな」
――サラさんとレイモンドさん。相反するはずの二人が仲良く……とは言わないまでも、並んで立っている光景は、どこか歪だった。
「あの尻尾付きのボロ船は撃墜したよ。我が国の軍隊を甘く見た報いだな」
レイモンドさんの言葉に、ミケは「ボス、タマ」と呟いた。
――次の瞬間、ミケは素早く飛び上がった。そのままサラさんとレイモンドさんに向かって一直線……そこで、砲撃が始まった。室内の様々な場所……木々や岩場の陰に、砲台が隠されていたのだ。ミケの体は砕けた。血が飛び散り、雨のように降り注ぐ。ミケの体は血濡れの固まりとなって、地面に墜落する。ぐしゃり。
「ミケっ!」
駆け出そうとして腕を掴まれ、僕は振り返った。リューネが小さく首を振っている。そんな……そんな馬鹿なっ! リューネは僕の腕を放さなかった。
「ああ、貴重な猫人を……あいつら、他国だといっちょ前に人間だと認められているから、研究するのが一苦労だっていうのに……」
嘆くレイモンドさんに向かって、サラさんは声を張り上げた。
「馬鹿っ! そんなこと言ってたら、こっちの命が危なかったわよっ! 猫人の爪はね、こんな安っぽい防弾ガラスじゃ防げないんだからっ!」
会話の内容から察すると、砲撃の命令を出したのはサラさんらしい。魔法生物の命より、自分の命の方が大切なようだ。……そりゃ、そうだよね。
「……リューネ、その子を助けたかったどうすればいいか、分かってるわよね?」
サラさんの言葉に、リューネは頷いた。
「無論じゃ」
リューネは僕の腕から手を離し、「ソーマ」と優しく名を呼んだ。
「……すまんな、これまでのようじゃ。また会えて嬉しかったぞ」
リューネは満面の笑み。それがリューネからの贈物のようで、僕は胸が一杯になった。僕がこの贈物に返せるものは……やはり、笑顔しかないだろう。
「僕だって……その、ありがとう」
僕とリューネは、キスではなく握手をして別れた。「さよなら」は言わなかった。それは、僕にできる唯一の……最後の抵抗だった。
――背後で扉が閉まった音を聞いた瞬間、胸に強い衝撃と痛みを感じた。それを堪えようとした足、伸ばそうとした腕にもその衝撃と痛みは続き、力がみるみる抜け落ちていく。「あ、がっ」と声にならない音を出し、僕はその場に崩れ落ちた。
……口から溢れ出す血液。何とか顔を上げた先に見えたのは、マジック・キングダムの紋章を胸に刻んだ、兵士達の姿だった。僕はそこでようやく騙されたと気付く。込み上げる怒りとは裏腹に、意識はどんどん遠のいていく。
……リューネ、僕は何もできなかったよ。僕の物語が……終わる。
※※※
――小説を書いたきっかけは、書けると思ったから。
両親の薦めで、私は幼い頃から本を沢山読んでいた。難しい本を読むと両親は喜んでくれたから、それが励みになったのだろうと思う。だけど、面白いと思って読んだ本は一冊もなかった。自分が読みたいと思った本が、一冊もなかったからだろう。
そんな読書を続ける内に、私は文章には一定のパターンがあることに気付いた。起承転結や三幕構成とはまた違う、雰囲気というか、リズムというか、流れとでもいうべきものがそこにあった。それが整っている小説は人気があり、賞も獲っていた。逆にその流れが散漫な小説は人気がなく、受賞歴もないものが大半だった。
そこで私は、その流れを意識して小説を書いてみた。ストーリーやテーマもなく、ただ流れに沿って文字を紡ぐ……そして完成した「器」をコンテストに応募したら、大賞を獲った。まだ高校生だった私のデビューは鮮烈だったようで、沢山の取材が来たけれど、私は嬉しくもなんともなかった。「器」には、インタビューで嫌になるほど聞かれた「何を書きたかったのか?」というものが、一切なかったからだと思う。だけど、小説を書いたきっかけが大きく取り上げられ、多くのファンとアンチを生み出したという。でも、そんなことは、私の知ったことではなかった。
それからも、私は小説を書き続けた。書いたものは全てヒットしたけれど、そこに達成感や喜びは微塵もなかった。執筆は単純作業であり、文章の流れを見失わないように書き続けることは負担でしかなく、ただ、辛くて疲れるばかりだった。
両親が喜ぶから……そう考えることで何とか書き続けていたけれど、本の印税が振り込まれるようになってから、両親は変わってしまった。仕事を辞めて、海外旅行三昧。大きな家――これも本の印税で購入した――でただ一人、小説を書いていると、私は何をしているのだろうと自問することも、一度や二度ではなかった。
――ある日、晴嵐高校の校長から、文芸部の部長になって欲しいと依頼された。話題作りとか、そんな下心が見え見えだったので、私は無理難題をふっかけてみたけれど、驚いたことに、その条件を全て呑むと言うではないか。その卑屈さに、私は恐怖すら感じた。結局断りきることができず、私は部長を務めることになった。
私はどんな小説が読者に受け入れられるかが分かるので、作品を評価することもできた。要は流れを読んでいる小説は上手くて、それ以外は全て下手なのである。
入部希望者に書かせた小説を読んでみると、プロデビューしたい、私に気に入られたい、これが読者に受け入れられないはずがないなど、様々な想いが渦巻いており、そちらに気をとられて肝心の流れを見失っている……そんな作品ばかりだった。だけど、それだけ強い想いを小説にこめられることが、羨ましくもあった。
――そんな中、彼女に出会ったのだ。彼女は小説を初めて書いたらしい。たまにそういう見え透いた嘘をつく子もいたけれど、彼女は本当に初めてだったようだ。小説として……流れとしてはめちゃくちゃだったけれど、彼女の小説には楽しさが溢れていた。読者を楽しませたいという想いはもちろん、何より、自分自身が楽しんで書いているということが、文章を通じて伝わって来るのである。登場人物のことも、大好きなのだろう。そんな屈託のなさが、彼女の作品は際立っていた。
だけど、私は彼女の作品を酷評した。……嫉妬していたのかもしれない。それでも彼女は諦めることなく、入部を遂げた。それからも、私の出す無理難題にも応え続け、文章の流れも整いつつあった。そして驚くべきことに、作品に込められた想いは、少しも損なわれていなかったのである。
私はそんな彼女の小説を読むのが楽しみであり、怖くもあり、羨ましくもあった。私は本を……小説を、生まれて始めて面白いと思った。だから、私は書き始めた。文章の流れではなく、自分の想いに目を向けた小説を。その作品は、読み返せば読み返すほど酷い出来だった。でも、書いている私は……とても楽しかった。
その頃連載していた小説にも、そんな想いが入ってしまったのだろう、完成した作品は読者の評判が悪かったらしい。それだって、構うものか。
……そう思っていたら、お父さんに殴られた。今が大切な時期だ。ここで売れなくなったらどうする? それでいいのか? ……そんな言葉の影には、私の印税を失うことへの恐怖がありありと見て取れた。もう両親は、私のことを子供としては見ていなかった。永遠に小説を書き続け、お金を生み出し続けるロボット。
辛かったけれど、自分のための小説を書いてる時は楽しかった。その楽しさを、今やたった一人の部員である彼女と分かち合いたかった。彼女ならきっと、キラキラと目を輝かせながら、私の小説を読んでくれることだろう。でも、まだ駄目だ。ちゃんと最後まで完成してから、読んで貰いたい。こんな気持ちも、初めてだった。
――そしてついに、私は私の小説を書き上げた。この作品は、誰よりもまず彼女に読んで欲しかった。彼女に出した課題の締切まではあと僅か。きっと、彼女ならやり遂げるだろう。その時、私は彼女にこの小説を渡すのだ。その時が来ることが……また、彼女の小説を読むことが、私は今、楽しみで楽しみで仕方がなかった。
――はっとして、私は我に返った。……何、今の?
目の前には七福神……そうだ、私は彼に、これから一発かまそうとしていたところだった。だけど……今のは一体、何だったのだろうか?
「黒埼玲奈の記憶だよ」
私の心を見透かしたように、七福神が言った。
「その通り。君の心は手に取るように分かるよ。いや、読むようにかな? 君には少しの間、黒埼玲奈になってもらった。と言っても、別に記憶を移したというわけではない。君自身が黒埼玲奈だったんだ。僕が引き戻してあげたから、君は宮内麻耶に戻ることができたんだけどね。余計なお世話だったかな?」
それは、私を黒埼玲奈……黒姫様にできるってこと?
「その通り。君が望むなら、天野空子にすることだってできる。ただ、そうなったことに君は気づくことができない。君は天野空子そのものになるんだよ」
……空子ちゃんになるなら、悪くないわね。
「その強がりが、いつまで続くかな?」
神様ってのは、他にどんなことができるわけ?
「分かりやすいのでいえば……こんなのはどうだい?」
全身が焼けるように熱くなった……かと思うと、震えるような寒さが襲ってきた。続いてハンマーで殴られたかのような痛みと衝撃が駆け巡り、耳元でシンバルを鳴らされているような轟音は、耳を塞いでもどうにかなるものではなく、鼻には何かが腐ったような悪臭まで詰め込まれ……私はもう、立っていられなかった。
……まるで洗濯機に放り込まれたように世界がぐるぐると回り、込み上げる吐き気に抗うことはできなかった。さっきも散々吐いたので、だらしなく開いた口からは、唾液と胃液ぐらいしか出てこない。全身の骨が摺り潰されていくような、ジャリジャリとした感触。体の内側で何かが這い回るような不快感。襲い来る笑いの発作に、圧倒的な快楽……失禁している気もするけれど、それがどうだとか、もう何も考えることもできない。私はただ、次々と体に起こる変化に弄ばれるまま、踊るように、もがくように、床の上をのたうち回ることしかできなかった。
「あははははは」
神が笑っている。――悔しい。でも、どうすることもできなかった。これが神に逆らうということなのだと、身を持って思い知る。これが……その末路なのだ。
「土下座して謝罪するなら、許してあげよう。僕が再生した世界で、空子と一緒に暮らすといい。僕は君達の生活に干渉しないと約束しよう。どうだい?」
体が自由を取り戻した。私は仰向けになって深呼吸を繰り返す。もはや神に立ち向かう気力は残されていなかった。苦労してうつ伏せになり、両手を地面に突いて体を持ち上げ、何とか足を正座の形に持っていこうと、力を振り絞る。
……もう、これしかない。みっともなくても、情けなくても、これしか。私は神に深々と土下座した。空子ちゃんがこの場にいないことだけが、唯一の救いだ。
「……ごめんなさい。許して……ください」
「駄目だ、許さない。君はもう人間ではない……そう、ただのゴキブリだ」
――私の姿は変わった。そうか、人間以外にも変えられるんだなと思ったけれど、ゴキブリはそんなこと思わないし、私はゴキブリなんだから、カサカサと逃げ回るしかなくて、殺虫剤をかけられて、丸めた新聞紙でぺしゃり。それが、私の終わり。
※※※
キーボードに涙が落ちる。私は両手で顔を覆った。震えと涙が止まらない。
「こんな、こんなのって、ないよぉ……」
帽子男さんが私を連れてきたのは、懐かしい場所だった。晴嵐高校の屋上。夜に来たことはなかったけれど、特等席を見てすぐに分かった。でも、どうして……。
「決戦の舞台には、おあつらえ向きだろう?」
……帽子男さんによると、今この瞬間、麻耶さんはどこかで七福神君と戦っているという。それがどこかまでは教えてくれなかったけれど、同じ空の下……私は空を通じて麻耶さんと繋がっているのだと思うと、勇気が湧いてくるのだった。
いつものように小説を書けばいいと、帽子男さんは言った。でも、私は書き始めてすぐに、それがいつもと違うことに気付いた。私が今、キーボードを叩いて生み出しているものは、この世界そのものだったのである。――それなのに、私は。
私は溢れる涙もそのままに、振り返って帽子男さんを睨みつけた。帽子男さんは肩をすくめ、私に向かって首を振って見せる。
「俺は何もしていないよ。そうやって世界を終わらたのは……君だ」
「だったら、どうしてこんなことになっちゃうのよっ! ねぇ、教えてよっ!」
帽子男さんは、私にこの世界の結末を書く力があると言った。私は半信半疑だったけれど、世界を救うため、麻耶さんを救うために、結末を紡いだ。
……でも、駄目だった。いくら書き直しても、そこには破滅しかなかった。
「答えは簡単、君が縛られているからさ。君は世界を、麻耶を救いたいと思っている。でも、心のどこかでは、それはおかしい、そんなの無理だとも思っている。今の状況、敵対する存在の大きさを考えると、滅ばなければ辻褄が合わない。そうしなければ、読者が納得しないと思っているんだ」
「そんな……私、そんなこと、どうだっていいじゃないの!」
「どうだっていい? どうだっていいだって? ……そんなこと、あるはずがない。なぜなら、物語は面白くなければ誰にも読まれることがないのだから。物語は読者がいてこそ成立する……そう、読者に面白く読まれるためだったら、物語の世界が、住人がどうなろうが知ったことか! ……それが作家というものだよ」
「違うっ!」
「ならば、証明して見せるしかない。さぁ、考えるんだ! もうやり直しができるだけの時間は残されていない。君の物語を、君の手で終わらせるんだ!」
――私の物語。その始まりは、随分と昔のことだったような気がする。こんなことになるなんて、少しも考えていなかった私……あの時の私は、一体、何を書きたかったのだろう? 物語をどうしたかったのだろう? ……もう、何も分からないよ。
「空白。それもまた、一つの答えだよ」
帽子男さんの声が消える。世界が消える。黒ではなく、白く、消えていく。
――私は、何を書きたかったのかな?
面白い話……そうだ、私が書いていて楽しいと思える話。
それから、読んでくれる人が、楽しいと思ってくれる話。
ただ、それだけだった。
……いつからだろう、色々とルールに縛られ始めたのは。
起承転結、三幕構成、こうしなくちゃならない、ああしなくちゃならない。
そういうのって、一体、誰が決めたんだろう?
書きたいものを書こう。
流行に流されないものを書こう。
奇をてらわないものを書こう。
……だけど、評価されるのはいつも同じ。売れる作品だけ。
現実を知れば知るほど、前には行けなくなって。
正しいことがなんなのか、分からなくなって。
いつしか、書くことが苦痛になって。
……それでも、いつか誰かに読んでもらうことを願い、書き続ける。
悩みながら、苦しみながら。
そして、楽しみながら。
どんな話を、書けばいい?
どんな話を、私は紡ぐの?
――そんなの、答えは決まっている。
馬鹿にされてもいい。
誰にも評価されなくたっていい。
でも、やっぱり、こんな話がいいんだ!