第五話
せっかく安らかに、と祈ってやったのに。
やっぱり見習い坊主上がりぐらいじゃ、何にもならないんだな。
ああ、和尚様の言う通り、もう少しきちんと修行しておけばよかった。
という晃の心の声は、動揺の余り、全て口から出てしまっていたようだ。
『・・・少し落ち着いてくれないか』
「お前みたいなお化けに言われたくないよっ!大体なんでついてくるんだよ。俺に取り憑いてもいいことなんて何にもないぞ。金も無いし」
その声は一呼吸沈黙して、そして告げた。
『俺は化け物じゃない、人間だ。・・・多分、今はお前の影になってしまってるけど』
ぎょっとして振り返る。
あの影は探したが、自分の影は全くの想定外だった。
囲炉裏の火によって、自分の後ろの壁に映る影。
これは・・・長い髪を束ねているのか?
俺、こんなに長い髪の毛じゃない。
片手に持ったあの長い棒みたいな影は、刀なのか?
色々分からないけれど、断じて言えること。
これは自分の影じゃない。
「俺の影、どうしたんだよ」
『・・・すまない。俺にも分からない』
あの時、影の自分と地上のこの男が相対した瞬間、自分が地上に強く引き寄せられる感覚に陥った。
吐き気がする程視界が歪み、そして意識を失った。
目覚めたのが、つい今しがたなのだ。
それを聞いて、晃もそろそろと口を開いた。
「俺はあの時、逆に自分が地面に引きずり込まれるような気がした。ものすごい怖かった」
『・・・』
影が黙っていると、表情ももちろん窺えないので怖さが増す。
なんか言えよ、と晃が言いかけると同時に、声が聞こえた。
『・・・あの忍びの術のせいだ。どうしてお前の影に移ってしまったかは、今は全く分からない。・・・巻き込んですまない』
淡々とした声。
先ほど地面に映った顔は、確かに自分と変わらない年の頃に見えた。
その割に随分と落ち着いているようだ。
もしも-。
もしも万が一、彼の言うことがすべて本当だったとして、だ。
自分が彼の立場ならこんなに冷静でいられるだろうか。
有り得ない。
それは間違いない。
『術の破り方を知るものが仲間にいるかもしれない。どうかこの旨を二条邸に知らせてもらいたい』
ああ、そうだと晃は思い出す。
先程も彼は言っていた。
二条邸へ、と。
「あの・・・二条って、二条直隆様のこと?」
彼は”裏”の任務を受ける時、極力相手の名を覚えず、むしろ忘れるようにしていた。
下手な記憶は必ずどこかで自分の足を引っ張る、そう思っていた。
『名は覚えていない。この山の麓近くにある大名家の二条といえば分かるだろう』
”楓”の報告では無事逃げきれたはずだ。
そこから、師範に連絡してもらえれば。
影の言葉を聞いた晃は、居住まいを正して自分の影に向きあった。
どうしても、確認しなければならないことがある。
「あの、聞きたいんだけど、あんたがその・・・影になったのはいつなんだ?」
『慶応二年水無月の・・・日は覚えていないが。何故そんなことを聞く』
晃は迷ったが、結局事実を答えるしかなかった。
「二条邸はもうここには無い。維新で藩は無くなったし、あんたの言う二条様はもう亡くなっていて、今は弟の直隆様が家督を継いで東京にいるよ」