第二話
丸一日歩き続けて辿り着いた大名屋敷では、既に出立の用意が整っていた。
「着いたばかりで済まぬが、早速護衛を頼めるか?」
「命じていただくだけで結構。俺はそれに従うのみですから」
何度か同様の仕事を受け、既知の依頼主の言葉に、彼は編笠を取り頭を下げる。
彼の返答を聞いた相手は、ただ困ったように笑った。
同行する者は、彼を入れて十人。
うち六人は依頼主自身の従者。
となれば、護衛は四人ということになる。
一人はこれまでに組んで行動したことがあるが、他の二人は初めて顔を合わせた。
だが、ともに”裏”の一員である以上、その実力は確かなはずだ。
一人の小藩大名の護衛に四人とは随分大仰ではないか。
何か情報があったのかもしれない。
だが、何にせよ自分は命に従うのみだ。
***
それから一刻後。
「・・・っ、くっ」
彼は、木の生い茂る山道を全速力で駆け抜けていた。
ひゅん、と風を切る音に咄嗟に体を反転させる。
進むはずだった前方の道には無数のクナイが刺さっていた。
-こいつ、やはり相当腕の立つ忍びだー
事態が動いたのは、一行が街を出て街道を進み始めて間も無くのこと。
集団の前方にいた護衛が、突然倒れた。
見れば首元に刺さった針。
匂いを嗅ぎ、別の護衛が叫んだ。
「毒だ」
その声に呼応するように、黒装束の忍びが二人、死角となる木の影から飛び出してきた。
それぞれが護衛と対峙している。
-これで最後か?・・・敵は二人か?ー
神経を集中させて、気配を探る。
すると、脇の山道からこちらに対する強い殺気を感じた。
「敵は三人だ。俺たちが足止めする。先に行ってください」
強く言い放つと、従者達が頷いて主を囲み走り出した。
彼らも幕臣だ、自分たちが戻るまで、そう簡単にやられることもあるまい。
今一番危険なのは間違いなくあの殺気を放つ忍びだ。
編笠を投げ捨て、山道へと飛び込んだ。
着地する先に次々と正確に飛んでくるクナイで、足場が安定しない。
木の幹を踏み場にして斜め上空に飛び上がり、刀を振り下ろす。
が、捉えたと思った瞬間、相手の姿が歪んで消えた。
間髪入れず背後から迫る手裏剣を、刀で弾く。
忍びに有利な山の中で、敵は自由自在に動き回っているようだ。
そう思った時-。
「なかなかやるな」
すぐ耳元で聞こえた声。
その元へ、反射的に最速で刀を振るう。
今度こそ手応えがあったが、致命傷のそれでは無い。
一呼吸のち、頭上の木の枝がかさりと鳴った。
「間合いに急に入り込まれると普通は一瞬怯む。そこに隙ができる。・・・お前は異常だ。少なくとも俺が見た幕府の犬の中では一番の腕だな」
挑発的な口調だが、右手の指先から血が滴り落ちて地面に落ちた。
装束の肩口が裂けている。
「なぜそこまでの力がありながら幕府に肩入れする」
頭巾で覆われ冴え冴えとした眼だけが見える。
その眼が彼を見据えていた。
「幕府は既に死に体。態々お前が命を懸ける価値もない」
そう言い放って、木から音も無く飛び降りる。
一見無造作に見えるが、そこには一分の隙もない。
「とうに気づいているだろう?我らの狙いは腑抜けた幕閣大名どもではない。奴らが抱える実働部隊・・・お前たちを潰すことだ」
刀を握る手に力を込め、敵の間合いに飛び込む。
しかし忍びは、左腕の怪我など意に介さぬ様子で、両手の小太刀でそれを止めた。
力が均衡し、間近で睨み合う。
「俺は新しい世のため、信念に基づき生きている。お前には何がある?」
「・・・」
「今からでも遅くない。確たる信念も無いのなら、その力を我らに寄こせ。名は何という?」
「・・・忍びのくせによく喋る。俺に名は無い」
答えながら、ふと、頭の奥に違和感を覚える。
芯が痺れるような感覚。
「・・・?!」
まずい、と思うと同時に片膝から力が抜けた。
崩れそうになる体制を咄嗟に刀で支える。
「ようやく効いてきたか」
忍びが開いて見せた左の掌。
小太刀と共にそこにある粉状のもの。
それは空に散るとすぐに消え、目視では全く気づけなかった。
「吸い込めば身体を麻痺させる。その首巻に守られていたようだが時間切れだ」
「・・・」
「今一度問う。こちら側につく気はあるか?」
つかねば殺す、そう言外に含めている。
視界が歪み、額に脂汗が浮かぶ。
ー術に囚われるな、動け-
そう己に命じるが、体がいうことを聞かない。
「・・・俺は」
とうとう膝が地につき、俯いた。
そして-。
「俺は、幕府を守るためだけに生きている」
言うと同時に己の足に刀を突き刺し、素早く外した首巻を宙に放ち。
直後、忍びの視界から彼が消えた。