第四十九話 もう一度、曽根饅頭を食べたい
時間は鬼の里にて、生百合と阿之助が1年後、再開する約束をして別れた時になる。
この後、阿之助は横原の町にて、幕府の登用を蹴って、九条家に向かった。目的はただ一つ、自分の思い通りにならなかった九条 シオを討ち倒すこと。
曽根でのキリシタンの一件や、岡崎での百鬼夜行の一件以降、阿之助は生百合の復讐達成の他に、九条家滅亡の手筈を整えていた。九条家が妖怪を隠していることは知っている。これ理由に九条家を討ち、幕府に告発する。九条家は妖怪を隠していた悪党ということになる。
そのためにはまず、幕府からの信用が必要だ。少なくとも、九条家が妖怪を隠していたという証拠が、捏造だと疑われない程度の信頼と実績が必要だった。だから、河童を討ち、鬼の長を討ったのだ。
結果は阿之助の狙い通り、幕府に名前が知れた。妖怪を討ち倒す者として認識され、登用の話まできた。つまり、準備が整ったのである。
九条 シオは頭が切れる。小取 利久がどこで何をしたのかを常に調べ、接近して調査させる際は、一流の忍者ではあるが阿之助に恩義がある一葉を使わず、別の忍者を送り込んでいた。河童討伐、そして鬼の長討伐。妖怪を次々に倒す阿之助の狙いに、九条は勘付いていた。
「ではこちらに向かっているのね?」
「はい。小取は横原から、まっすぐこの青谷城へ向かってきています」
家臣の報告を聞き、九条は一つの決断を下し、妖怪の総大将 苔尾の部屋に向かった。
いくつかある客間の一つに苔尾は匿われており、交渉の時に足を貫かれ、歩くことができなくなった苔尾は、この部屋から出ることができない。この部屋を訪れれば必ず苔尾がいるのだ。
「苔尾さん。病で殺してほしい人物がいます」
壁にもたれて座り、一日中やることもなく、世話係との少ない会話だけが正気を保つ唯一の薬。苔尾はもう抜け殻に近かった。九条の呼びかけもどこかぼーっとしていて、聞いているのかよく分からない。
「小取 利久を殺してください」
苔尾は口も開かず、力なく頷いて、目を閉じた。すると、糸のように細く黒い煙が、苔尾の頭頂部からのぼり、部屋の天井をすり抜けていった。
「これが妖術……。地味ね」
九条は部屋を立ち去った。家臣を呼び出し新たな命令を下す。
「前回の報告では小取は中平の町にいた。順調にこちらに来ているなら、今は灰路の町あたりね。この付近で疫病が流行っていないか調べなさい」
「流行っていなかった場合はどういたしましょう?」
「苔尾と5人の妖怪の赤子を殺しなさい」
「苔尾が妖術を使ったふりをした可能性があります、まずは脅してみては?」
「いいえ、あの者にはもう嘘をつくなんて思考はないわ。単純に力が弱まって、妖術を使えなくなっただけでしょう。利用価値がないなら殺しなさい」
「御意」
「それから、小取の死亡が確認できるまで、一葉を牢に入れておきなさい。彼女は腕がいいから小取の味方になられてはたまらない」
九条の読み通り阿之助は、灰路の町で路銀を稼いでいた。道中に集めた薬草を使って薬を作り、旅の薬屋として、商売をしていた。数日とどまって財布を潤し、今日、旅を再開して、灰路の町を後にした。ここから次の町までは山を二つ越えなければならない。二日はかかる計算だった。
「山道は服が汚れるから嫌なんだよなぁ」
一人で文句を言いながら道に沿って山を登り始めた。朝に出発し、昼には一つ目の山の山頂に到着した。長旅をしてきた阿之助だが、決して慣れることはなく、足が痛むが、山頂には小屋があり、こうした旅人に休息を与えている。
休憩しながら、足を揉んでいた阿之助は咳き込み、だんだんと体が重くなっていくのを感じた。
「風邪かな。今日はここで寝よう」
お手製の薬を飲み、小屋で一晩明かしたが、体調は良くならなかった。それどころか悪化していた。熱があり、頭が痛む。しかし、薬はほとんど町で売り切ってしまったため、昨日飲んだのが最後だった。
「町に戻って手当てを受けよう。ダメだ、とても旅なんかできない」
ふらついた足取りで下山するが、だんだんと体に力が入らなくなってくる。町までもう半分ほどのところまで来て、ついに立ち止まり、しゃがみ込んでしまった。息は切れ、立つこともできない。今にも倒れそうで、地面に手をついて体を支える。その手には発疹が出ていた。
阿之助は気付いた。この病が3年前に流行った疫病と同じ症状だということに。
「九条さんに勘付かれたか。苔尾さんを使ったんだな。ハア……ハア……薬屋の僕が病で死ぬわけ……」
阿之助は倒れた。
兄さんの声がする。約束は守れなかったな。父上がいる。てことはここは地獄かな。生百合さんがいるから違うか。九条さんだ。この人には敵わなかったな。一葉さんは相変わらず可愛い。木郎くんだ。三人で旅している時が一番楽しかったな。また旅したいな。矢笠さんと佐伯さんが怖い顔でこっちを見ている。ああ、走馬灯だ、これ。やり残したこと、いっぱいあるのに……。父上に完勝できてないし、九条さんだって倒したい。結婚だってしたいし、もう一度、曽根饅頭を食べたい。生きたい。
阿之助の視界を光が襲う。
目を開けると、見覚えのある小屋。山頂にあったものだ。そこまで理解すると、自分の体中が激痛に支配され、息も絶え絶えなことに気付いた。
うめき声をあげる阿之助の布団の横には、たくましい髭を蓄えた中年の男がいた。男は薬を調合している最中で、阿之助は男に状況を尋ねようとする。あなたは誰か、何が起き、何が起きようとしているのか。しかし、阿之助の口からでるのは荒い呼吸だけで、声などは発せられなかった。
「無理するな。死ぬぞ」




