第四十六話 お前さんの師匠に敗れた技だ
次の日から山村による稽古が始まった。
「酒を抜いたのは何年ぶりだろうか、逆に体調が悪い」
ふらふらとした足取りで、山村は木刀を二本持ってきて、片方を生百合に渡す。
「構えろ。俺が天下を取った技を見せてやる」
稽古場の中央で生百合と山村は木刀を構えて、向かい合う。生百合は酒を抜いた山村の構えを見て、隙のなさから、この男が強者なのだとようやく気付いたが、山村の体は生百合よりもずっと小さく、戦角の威圧感を経験している生百合には、緊張する要素などなかった。
「本気でこい」
そう言われ、生百合は遠慮なく本気の速さで、間合いを詰めて山村の首元を狙う。しかし、踏み込もうとした足は内側から外側へ蹴られ、踏み込めず膝が床につく。体制を崩しながらも、生百合は隙を作らぬように水平に木刀を振るう。山村はたやすく避けて、今度は立ち上がろうと床に手をつく生百合のその手を、木刀で内側へ払う。肘が床につき、姿勢が低く隙だらけになった生百合の首もとに木刀が振り下ろされ、寸止めされた。
「お前さんの師匠に敗れた技だ」
山村 和虎。ひと昔前に稲木とともに名を馳せた剣豪だ。達人というのは、人並み外れた技術を持っているが、それは各々異なる。矢笠は地上でも空中でも自由自在に攻守をこなす無尽の刀を持ち、佐伯は一振りで勝負を決める燕返しを持つ。この山村が持つのは小さな体でも、格上を崩す技。
戦角との戦いで、生百合が勝つには必要不可欠な技術だ。それを知って、矢笠は生百合をここに送ったのである。
「この技は受け流しの応用だ。来た打ちを逸らすのではなく、相手の打つために必要な力を逸らすのだ。それを繰り返すことで、相手は満足に攻撃できなくなる。崩れた牙城を落とすのは容易かろう?」
山村は技の説明を終え、基礎となる練習を始めた。山村は生百合のあらゆる部位を狙う。その打ちに応じて、生百合は山村の体制が崩れるように、踏み込みに蹴りや木刀を入れる。山村は体制を崩すが、同時に生百合も体制を崩していたり、打ちを続けることができず、隙ができてしまう。
山村は簡単にやってのけたが、相手の重心がどう移動するのか予測し、崩れるように相手の力を逸らしながら、自分の体制は維持する。攻撃することだけを考えて打ってくる相手よりも早く、この三点を考え、答えを導き出した瞬間には打っていなければ打たれている。瞬間的な判断力が最大まで必要とされる技だ。
傍目からみると地味に見える。矢笠や佐伯の技のような華はない。しかし、実際にやってみると、とてつもなく頭を使う、達人にふさわしい技だとわかる。
生百合は山村のことを、ふざけた酒飲みの男だと思っていたが、考えを到底及ばない達人に改め、態度を変えた。
一日中、練習したがさっぱり要領を掴めない。考えなければならないことも、やるべき動きもわかっているが、頭が追いつかないのだ。しかし、山村はそれでいいのだと言った。一日でできたら俺の修行の日々が泡になると。
日が落ちる頃、生百合は妙の家に帰ってきた。
「おかえり。夕飯できてるよ」
「ああ、すまない。もう腹ペコだ」
妙は近所の茶屋で働いていて、生百合の稽古が終わるよりも早く仕事が終わる。夕飯の支度をして、生百合の帰りを待っていたのだ。妙の手料理が食卓に並び、二人は向かい合い、夕飯を食べる。
「生百合さん、明日も稽古?」
「ああ、どうにもまだ、先生の技のコツが掴めない」
「先生!?そんな大層な人間じゃないよ、あいつは」
凄まじい技を極めている剣士と、年中呑んだくれている親父。二人の山村に対する印象は全く違っていた。
「妙は自分の父をもう少し誇ったほうがいい。すごい人だ」
「いいや、あんなのはカス中のカスだ。剣術がいくら凄かろうが、稼ぎやしないし、道場だって生百合さんが来るまで、門下生なんか一人もいなかったし、妻、子供の稼ぎを頼りに生きてる癖に、酒に金を使うアル中クソ野郎だ」
「ひどい言いようだな」
「せめて真面目に働いてくれればいいんだけど。……違う!あいつの話をしたいんじゃなくて、明日、私の仕事が休みだから、生百合さんのその折られた刀、直しに行かない?」
「鍛冶屋がいるのか」
「うん、いい鍛冶屋がいるよ。だから、稽古は無しでそっちに行こうよ」
「先生は怒らないだろうか」
「文句いってきたら、私がぶん殴ってやるから」
次の日、妙は山村に有無を言わさず、生百合を町の鍛冶屋に連れて行った。この鍛冶屋は知る人ぞ知る名人がいる。名を日野原 忠重、名刀を数々作り出してきた刀鍛冶で、山村の現役時代の刀や、佐伯の刀を打った人物だ。今もこの内川の町の片隅で、業物を作り出し、幕府の用人や名のある剣士達に売っている。
「日野原のおじさん、お客連れてきたよー」
鍛冶屋に入ると、正面に会計用のカウンターがあり、その奥に鍛冶場につながる戸がある。壁にはたくさんの刀が並べられており、全てがそこらの刀とは比べものにならないほどの名刀だ。
妙がカウンターに身を乗り出して、鍛冶場に声をかける。すると戸の奥からガタイのいい老人があらわれた。
「妙か。お前がいくら客を持ってこようと、勘助に刀は打たせねぇぞ」
「今日はおじさんに打って欲しいんだよ」
妙はある程度の経緯を日野原に伝えて、生百合の折れた刀を渡した。日野原は刀を鞘から抜き、刃をじっくり見ている。
「こいつを直せと?」
「ああ、折れない刀を頼みたい」
生百合の言葉に日野原は片眉をあげる。
「嬢ちゃん、そいつは斬れない刀ってことだ。切れ味のいい刀を作るために、人生を捧げている俺に、そんなものを作れというのか?」
「私が相手にするのは人じゃない。鬼だ。鬼の肌は刀の刃を通さないほど硬い。それなら、斬れるより折れないことのほうが大事だ」
「なるほど、理由はわかったが、俺の信念には反する。勘助!テメェの客だ!」
呼ばれて鍛冶場から妙に似ている細身の男が出てきた。
「後はこいつに言いな。俺は仕事に戻る」
そう言って男と入れ替わりで、日野原は鍛冶場に戻っていった。
「ちょっと!兄貴が打つわけ!?」
「初仕事だぜ!でかしたぞ妙!任せな!」




