第三十九話 復讐行
稲木の遺体を発見してから葬儀が終わるまで、生百合は一滴の涙も落とさなかった。
「生百合ちゃん、本当に大丈夫?」
「うん。なんかまだ夢みたいで、わからないんだよね」
「今日は、泊まりに行こうか?」
「いいよ、一人で帰る」
千沙や他の門下生たちは、稲木の死を悲しむのと同時に、生百合のことを心配した。しかし、当人はまだ、稲木の死を実感していなかった。
家に帰ると、最後の食事を終えた後のままだ。あの日は疲れてそのまま寝てしまい、次の日の昼間か、夜にでも片付けようと思っていたら、葬式になり、準備でバタバタしていたからだ。生百合は台所に置かれた自分や稲木の食器を洗い始めた。箸や茶碗を洗う。最後の日が思い出される。たまらなくなって、生百合は家を飛び出した。町も走り抜けて、野原に出た。そこで生百合は雷に打たれたように、大声で泣いた。
一番大切な人が死んだのだ。ありとあらゆる思い出が頭の中をかき混ぜる。大声で、大声で、声が枯れるまで、涙が尽きるまで、生百合は泣いた。
泣き疲れて、そのまま野原で寝てしまった生百合は深夜に目を覚ました。トボトボと町に戻ると、大きな屋敷が大炎上していた。間久家の屋敷だとわかったが生百合には、もう興味がなかった。家に帰らず道場にきた。稽古場に行くと、朝田が静かに正座していた。
「来ると思っていたよ。生百合」
生百合は朝田の対面に正座する。生百合の中に一つの心が宿っていた。
「朝田先生。私は」
「その復讐、稲木は望んでいないぞ」
朝田は生百合の言葉を遮った。しかし、生百合に宿った復讐心は決して折れるものではなかった。
「わかっています」
「……止めても行くか」
大きくため息をついて、朝田は一本の刀を生百合に手渡した。
「赤谷重流は不殺の流派だ。生百合や。今をもって赤谷重流を破門とする」
「お世話になりました」
生百合は立ち上がり、帯刀した。
「許せ、稲木。お前の刀を娘に持たせる」
道場を出ると、外は白けてきていた。生百合は刀の柄を握りしめた。
「人殺しの覚悟はできた」
「なら、グッドタイミングですね」
急にやってきたのは阿之助だ。
「阿之助……」
「今回の一件は僕に責任があります。なので、僕には生百合さんの復讐に協力する義務があります。一緒に行きましょう」
「一人で足りる」
「旅のお金ありますよ。あと、知ってるかもしれませんが、間久家の屋敷が全焼しちゃったので帰る場所ないんですよね……」
生百合はため息をついた。
「わかった。来い阿之助」
「あっ、生百合さん。僕の名前は小取 利久ってことにしてください。間久家の人間ってバレると、いろいろ狙われそうなので」
「チビでいいか?」
「まあ、いいですよ。チビとノッポの復讐行です」
時間は変わり、生百合と阿之助が岡崎にて、百鬼夜行の一件でてんやわんやしていた頃、矢笠の屋敷に訃報が届いた。清水 元春と清水 練五郎の死、清水家の滅亡だ。受け取った家臣は、すぐに当主 宗将に伝えた。
「十字郎は知っているのかい?」
「いえ、私と宗将様だけです。まだ誰にも伝えていません」
「わかった。私から十字郎に伝える。皆には内緒にしておいてください」
清水 十字郎。清水家の次男として生まれ、5歳になると、清水家の剣術指南を受けるようになり。一年後、才能を認められ、矢笠新陰流に入門した。その後、9年間矢笠の屋敷にて、稽古を重ねた。清水家では天才と言われたが、矢笠にはそんな子供がたくさん来る。十字郎もその中の一人だった。それでも、剣の腕を磨いて、清水家を守ると志していた。
矢笠では午前の稽古と午後の稽古の間に一時間ほどの昼休憩があり、その休憩中に門下生たちは昼食を食べ、そのあと、散歩をしたり、読書をしたり、各々気を緩めて休むが、十字郎は誰もいない屋敷の裏手で、ひたすら木刀を振って時間を潰すのだ。そこへ流刑地の子供、お菊がやってきた。
「十字郎。今日の卵焼きどうだった?私が作ったんだよ」
「ああ、どうりで」
十字郎は木刀を振り続ける。
「どうりでって、どういう意味!?」
「なんかいつもより甘かったし、形も変だったから、おかしいなと思ってたんだ」
「おい!ストレートに酷評しないでよ!せっかく一生懸命作ったのに」
お菊は怒らせると面倒なタイプで、十字郎はそれをよく知っていたため、放置せずに対処することにした。木刀を振る手を止めて、お菊に向き直る。
「美味しかったよ」
「本当!よかった。今度はもっと美味しく作れるように頑張るね」
一言で不機嫌になり、一言で機嫌が直る。お菊はよく言えば天真爛漫、悪く言えばチョロいのだ。
「ああ、いたいた。十字郎、大切な話があるから来なさい」
矢笠 宗将は十字郎を探し回って、屋敷を3周もしたが見つからず、4周目でようやく裏手にいると門下生たちから教わり、やってきたのだ。
「話ですか?」
「稽古房かな?」
呼び出しなど滅多にない。それこそ、稽古房へ入る時くらいだ。お菊が勘違いするのも無理はないが、十字郎自身は自分がまだそのレベルには達していないと理解していた。だからこそ、その話の内容が見当もつかないのだった。
矢笠から告げられた事実は、十字郎の心を打ちのめした。
十字郎の夢は清水家を守ることであった。毎月送られてくる父からの手紙で、父と兄がキリスト教について揉めているのは知っていた。自分が一人前になって戻り、兄を説得しキリスト教に入信させ、清水家は神の加護と自分の剣術に守られる強い国にする。そのためなら、どんなに厳しい稽古も耐え、誰よりも努力をしようと思えたのだ。
「十字郎。私は君が好きだ。毎晩隠れて木刀を振っている君は、立派な剣士なると確信している」
矢笠は慰めの言葉をかけた。この言葉には将来のために今、感情に任せておかしな真似をするなという意味も含まれていた。
「宗将様。どうしてこんな世界なんですか?父が何かしたんですか?」
「世の中、善と悪だけでは区別できないことがあるんだよ」
「神様を信じるだけで悪なら、俺は」
「そのさきは言うな。私が君を守れなくなってしまう」
矢笠は十字郎の言葉を遮った。いくら権威のある矢笠家でも、世界を敵には回せない。
その晩、十字郎は旅の支度をした。深夜に宿舎を抜け出して正門へ向かう。腰には真剣を携えている。月明かりの中、正門前に着くと、そこには矢笠が待ち構えていた。
「復讐とは、虚無だ。心が晴れたり、重荷がおりたりはしない。報われることは決してない」
矢笠の口調はいつもより、冷たく悲しげであった。
「俺の夢は清水家のために尽くすことでした。それは今も変わりません」
「自分は顧みないのだね。わかった。いつでも帰ってきなさい」
矢笠は十字郎を見送った。
生百合と阿之助は一旦ほったらかして、十字郎編始まります。
あんまり長くないです。




