第三十七話 泣きたくて泣いてるんじゃないよ
生百合は稽古の合間に抜け出した。少年が二人きりで話したいと言うから、道場を出て、町の外れの野原にきた。少年は辺りを見回して誰もいないことを確認すると、話し始めた。
「では、改めて、助けていただいてありがとうございました」
「お礼はわかったよ。話ってなに?」
「少し、長くなります」
「嫌だけどいいよ」
二人は短い草の上に座り、晴れた空を見上げる
「僕は間久 阿之助といいます」
「間久?あの屋敷の?」
間久家と言えば、宮野の町の武器商の家で、この辺りでは一番の金持ちだ。武家や幕府とも繋がりがあり、権威を持っている。
「はい、間久家の後継です」
「へぇー、お坊ちゃんだったんだ」
「間久家は表向きには、武器や薬を生業としていますが、裏では女性をさらって遊郭に売ったり、地上げもしています」
「よくわかんないけど、悪いことなんだね」
「はい、とても。この前、僕を怒鳴っていた人は、姉が間久家にさらわれたと言っていました。でも、僕は関わっていないから、そのお姉さんがどこの遊郭に売られたのかわからない。遊郭に売られたわけじゃないかもしれない。だからなにも言えなかったんです」
「でも、やられっぱなしはどうなの?」
「僕を殴って、あの人が満足するならそれでいいと思ったんです」
「じゃあ、助けなくてよかったの?」
「いえ、痛いのは嫌なので、助かりました。本題はここからです。僕はこんな間久家を変えたい。現状では僕はまだ人望もないし、家をひっくりかえすだけの力もない。でも、変えます。何年かかるとしても、あの父の暴虐を止めてみせます」
「うん、頑張ってね」
「僕が間久家を変えた時、癒着していた他の武家や幕府の人間に狙われ、争いになるかもしれません。そうなった時、ぜひ、生百合さんの力を貸していただきたいです」
「断るよ。この前は反射的に助けたけど、私の刀は争うためのものじゃない」
「そうですか。残念です。未来の大剣豪に助けてもらえると思ったのに」
「応援はするよ。争うこと以外で協力できることがあれば教えて」
生百合は14歳になり、稽古では大人と子供に教え、その後、一対一で稲木に教わるのが1日の流れになっていた。今日は稲木が出稽古でいないため、朝田と二人で大人たちに刀を教え、稽古が終わると、残るように言われた。
「師匠、何かお話しですか?」
道場の中心で正座する朝田に、対面して生百合は座る。
「龍一は怒るから、いない時に話そうとおもってな」
生百合は首をかしげる。
「もう、わしを師匠と呼ぶのはよせ。お前の師は龍一であろう」
「師匠は師匠です」
「わしがお前に教えてやれることは、ほとんどない。しかし、龍一は教えてやれる。これからは朝田先生、朝田さんとでも呼べ」
「朝田先生……。口に馴染みません」
「そのうち慣れる」
この師匠交代について、後から知らされた稲木は怒った。師匠は朝田師範がふさわしく、自分は全くの未熟者だと言い張ったが、朝田がなだめて、数ヶ月もすれば定着した。
その半年後。
「俺は道場で暮らすことにした。生百合は今の家で暮らせ」
「でも、私はまだ」
「お前も親離れする時期だ。いつまでも俺にくっついていてはいけない」
稲木は生百合の独り立ちのため、数日後、荷物をまとめて家を出て行った。
「それで、なんで私が呼ばれるわけ?」
生百合の家で事情を聞き終えた千沙は、少々あきれ気味だった。
「だって、一人で寝たことないし、さみしいから……」
「あのさ、稲木さんが出て行ったのって、生百合ちゃんのそういうところを直すためなんじゃないの?私が来ちゃったら意味ないじゃん」
「わかってるけど、でもだって、心細いんだもん」
生百合は泣き出した。千沙は間近で見てきているため、生百合の強さをよく知っているが、それと同じくらい、生百合の弱さも知っている。
「また泣いた。そういうところも直したほうがいいって。もうすぐ15歳だよ?」
「泣きたくて泣いてるんじゃないよ」
「あー、もう。よしよし。今日だけは一緒にいてあげるから、明日からはちゃんと一人で寝るんだよ」
「うん、ありがとう」
「まったく。なんでそんなに強いのに、泣き虫かなぁ」
稽古以外で会うことがなくなった生百合は、稲木のことを完全に師匠と呼び、敬語で話すようになった。15歳で成長が止まった千沙とは違い、生百合の身長は伸び続け、18歳になるころには、成人した男よりも背が高くなっていた。幼少の頃からある怪力は、より力を増し、剣の腕はそこらの剣士では歯が立たないほど上達していた。一人暮らしにも慣れ、泣き虫は直っていないが、しっかり自立は出来ていた。そんなある日、道場に阿之助がやってきた。
「お忙しいところ、失礼します。朝田師範はいらっしゃいますか?」
「いいや、朝田先生も師匠も出払っているよ。私が用件を聞く」
「そうですか、では外でお願いします」
いつかのように生百合は呼び出され、いつかのように野原で話をした。
「用件は?」
「道場の土地を売って欲しいんです」
「地上げってヤツだね」
「はい……」
「間久家を変えるんじゃなかったの?」
「変えます。でもまだ、力が足りない。もう少しなんです、こうして家の仕事を任されるようになったので、あとは人望とお偉いさんの信用を得ることができれば、間久家をひっくり返せます。そのために今はこうして、裏の仕事をしているんです」
「二人には話しておくけど、道場は売れないよ」
「もちろん、皆さんが納得のいく条件を持ってきますから、判断はそれからでお願いします」




