第三十六話 未来の大剣豪
稲木は門下生の助けを受けながら、赤子をしっかり育てていた。稲木の稽古中は、門下生の誰かが面倒を見ている。
「どうだ、その後は?」
稽古終わりに、朝田に娘の成長具合を尋ねられ、稲木は近況を話す。
「最近は甘味ばかり食べようとして困っています」
「女の子らしくていいではないか」
「他人事ですね。俺は困っているんです。栄養が偏ってしまいます」
そこへ、稽古が終わったのを聞きつけて、もうすぐ4歳になる生百合が駆けてきた。
「お父さん。抱っこー」
小さな体が手を伸ばしてせがむ。稲木が抱き上げると、生百合は安心しきった表情で、寝息を立て始める。
「龍一、おぬし、顔がほころんでいるぞ。頑固一徹無類の剣士も、娘の愛くるしさには勝てんか?」
「しっかり育てるのが、大人の責任です」
「静寂の龍と言われたおぬしが、娘にデレている姿には、ギャップ萌えを禁じ得んな」
「別にデレてませんよ」
生百合は6歳になり、稽古に参加するようになった。
「お父さん、こう?」
他の子供たちに混じって、稲木に剣を教わる。
「ああ、そうだ。しっかり小指を締めなさい。それから、生百合、道場では先生と呼びなさい、いいね?」
「はい、先生」
生百合はこの頃から、周りの子供たちより、頭一つ抜けて強かった。
「道場の坊主どもを、木刀を持って五日で伸すか」
これに朝田と稲木は注意を払っていた。
「だからこそ教えなければなりません、あの強さは間違えれば修羅になります」
「ああ、とんでもない子だ」
生百合が10歳になると、もはや、道場の大人で太刀打ちできる者は、稲木ただ一人となった。稽古は時間帯により、大人の部と子供の部に分かれており、最近まで生百合は大人の部で稽古していたが、周りの大人も圧倒してしまうため、今は子供の稽古の指導と、稲木との一対一の稽古しかしていない。
昼間に子供の部が終わり、生百合と友達の千沙は家に帰る途中だった。稲木はこれから大人の部の指導があるため、帰りは別々だ。千沙は体が小さく、生百合とは同い年だが頭一つ分背が低い。愛想がよく世話好きな少女だ。
「また一緒に稽古できて嬉しいよ、生百合ちゃん」
「別に千沙とはよく会ってるじゃん」
「稽古できるのが嬉しいんだよ。未来の大剣豪さんとさ」
「やめてよ。そんなのならないよ」
「でも、生百合ちゃん強いし、この前、出稽古行った時も、私は全然ダメだったけど、向こうの道場の人、全員倒してたじゃん」
「あれは、女だからってバカにされたのが腹立ったから」
「それで倒せるからすごいんだよ。もし生百合ちゃんが大剣豪になったら、こうやって私達みたいに、女の子でも剣を教わってる子達がバカにされなくなるんだよ」
「まあ、考えておくよ」
千沙は満足げににっこり笑った。その時、前方にある茶屋から、人の怒鳴り声が聞こえた。
「なんの騒ぎだろう」
二人が茶屋を除くと、厳ついヤンキーが小柄な少年を、蹴り飛ばしていた。茶屋には他の客もいて、大人がいないわけではなかったが、誰も止めようとしていない。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
少年は必死に謝っているが、ヤンキーは少年を蹴り回しながら怒鳴り散らす。
「姉貴をさらったのはてめえの家のヤツだろうが!どこにやったんだ!!」
「ごめんなさい!わからないんです!」
倒れてうずくまる少年を、ヤンキーは怒りに任せて踏みつける。生百合は木刀を袋から出した。
「生百合ちゃん。道場の外で抜いたらダメだって……」
「でも、助けないと」
ヤンキーは少年の胸ぐらを掴み、起き上がらせ、拳を大きく引いて殴ろうとするが、肩を木刀で突かれのけぞる。
「いってぇ。なにしやがんだ!」
突かれた方を振り向いて、生百合の存在に気づくヤンキーだったが、目の前にいるのは木刀を持っているだけの、生意気そうな少女だ。
「ガキか。邪魔すんなよ、テメェも同じ目にあわせてやろうか」
「そいつを放せ」
ヤンキーは少年を投げ飛ばし、指をさして怒鳴る。
「こいつはこの町の悪だ!見ろ!周りの奴らも加担こそしないが止めもしない。それだけこいつは嫌われているんだよ!世間知らずのガキがしゃしゃり出て正義気取ってんじゃねぇよ!」
「子供を蹴るのがお前の正義か?」
「上等だ。クソガキが、泣いて詫びろや!」
ヤンキーが殴り掛ってくるが、生百合はその拳をたやすくかわしながら、脇をすり抜け、木刀で胴を打つ。生百合は既に大人の力を上回っており、怪力の太刀が腹部にクリーンヒットしたヤンキーは膝から崩れてうずくまる。
「今のうちだ、逃げろ」
生百合は少年を逃し、木刀を袋に収める。
「クッソ……なんで、俺が」
ヤンキーは倒れたまま、痛みと悔しさに涙を流している。
「事情があるようだが、子供にあたるのは筋違いだ」
生百合は呆気にとられている千沙を連れ、帰り道を進み始めた。
「すごかったよ、生百合ちゃん!やっぱり、剣豪だよ!」
「人助けをしただけだよ」
「でも、口調だって、いつもと違ったよ。ちょっと稲木さんぽかったよ」
「それは、気を張らないといけないと思ったから」
「かっこよかったよ」
生百合は夕食の時に、昼間の出来事を父に話したが、父は生百合を褒めたりはしなかった。
「道場の外で、木刀を抜くなと教えただろう」
「男の子が蹴られてたから……」
「言い訳だ。生百合、お前は強いんだ。抜かずとも制すことができたはずだ」
「ごめんなさい」
娘が反省する様子を見て、稲木は言葉を緩めた。
「それで、その子は逃げたのか?」
「うん、普通に歩けてたから、怪我もそんなにひどくないと思う」
「そうか、よかったな。もしかしたら、お礼の品を持って、結婚を申し込んでくるかもな」
「やめてよ。私はお父さんと結婚するんだから」
「生百合。頼むから冗談でも、もっといい男を見つけてくれ」
「本当に来た……」
稽古中の道場に一人の少年がやってきた。
「先日は助けていただきありがとうございました。お礼の品をお持ちしました」
少年は菓子折りを生百合に渡し、道場の様子を覗く。
「少しお話したいんですが、今は忙しそうですね」
「うん、あと30分で一区切りつくから、その辺に座って待っててよ」
「わかりました、待ってますね」




