第三十五話 生百合
20年前、百鬼夜行の一群の衰退が始まろうかという時期に、妖怪の集落に一匹の龍がやってきた。光るほど真っ白で、大きく美しい龍だった。自らを流翼と名乗り、妖怪たちに人間のことを聞いて回った。妖怪たちは自分が知っている限りの人間の情報を流翼に話したが、それでも聞きたがる流翼に音を上げ、総大将 苔尾の元に案内した。流翼は大きさのあまり建物に入れず、苔尾と外で話をした。
「龍とは珍しい客だな。人のことを聞いているようだが、なんのためだ?」
「私は人と共に暮らしたい、だから人のことを知りたいんです」
「人とは我らの敵だ。昔、同じことを言って、群れを離れた種族がたくさんおったが、みな、そう上手くはいっていない。人との共存を目指した天狗の種族は、数年前に人によって全滅した。他の種族も減っている。龍ももうお前さんしかいないではないか」
「私たちが人をしっかり理解できれば、一緒に暮らせるはずです。その第一歩として、今度、町に行って人とお話しをしたいんです」
「無駄だ。妖怪と人の争いは長い。お互いに世代が変わり、記憶はなくなろうと、代々受け継がれてきた嫌悪や憎悪が争いを生むのだ」
「でも、誰かが仲直りしないと、永遠に憎み合うなんて悲しすぎます」
苔尾は呆れたように笑った。
「流翼よ、お前は純真だな。よかろう、人について教えてやる」
苔尾は今まで生きてきた数百年の間に、関わってきた人間のことを一つも残らず流翼に教えた。その話は丸々一月かかるほど長かったが、流翼は夢中で聞き続けた。
「これがわしが知っている人の全てだ」
「ありがとうございました。早速町に行ってお話ししてきます」
「待て、礼をしていけ。お前、雨を操るようだな。ここらの森をより豊かにしてくれ」
「なぜ私が雨を操ることを知っているのですか?」
「無論、わしが妖怪を統べる長だからだ。さあ、恵みの雨を降らせて、草木を生い茂らせておくれ」
「わかりました」
流翼が一つ瞬きすると、光を帯びた霧のような雨が、静かに降り注ぎ、見る見るうちにあたり一面、真っ白な百合の花が咲き乱れていく。
「なぜ百合なんだ」
「綺麗じゃないですか」
流翼は妖怪たちに別れを告げ、空を飛び、人の町を目指した。
到着するや否や、町は龍の出現により大騒ぎであった。流翼は必死に人々をなだめるが、虚しくも人は武器を持ち出した。槍や刀が流翼に投げられ、ついには猟師の毒矢が飛んできた。流翼はたまらず逃げ出した。大空を飛びながら泣いた。猟師にくらった毒矢の毒が苦しくて、攻撃されたことが悲しくて。
飛ぶ力もなくなり、流翼は野原に落ちた。悲しみの雨が降る。最後の力を振り絞り、流翼は自らの魂、肉体、全てを捧げ、一人の人間を作り出した。
「生きて。私の愛しい、百合の花」
流翼は人と生きたいという思いを、我が子に託し、一輪の百合の花を添えて、力尽きた。
静寂の龍と呼ばれた男がいた。名を稲木 龍一。その時代では紛れもなく最強と評される剣士だ。唯一互角と言われた山村 和虎と共に、たった二人で天狗を群れを滅ぼした話が有名である。その後、山村と決闘をしたが決着はつかず、以降、表舞台に立つことはなかった。しかし、そんな男が密かに叩いたのが、宮野の町にある赤谷重流の門であった。
師範 朝田 信明はこの男の入門を躊躇した。
「稲木 龍一。おぬしが求めるものはここにはない」
赤谷重流は心の鍛錬に重きを置き、剣の技術では日の目を見ることのない、言わば弱小の道場だった。最強の剣士に教えることは何もない。
「ここには、人を斬らない剣があると聞きました」
「人を斬り続けたおぬしに、そんな剣は必要か?」
「強さの果てには何もありませんでした。幾多の流派が剣を磨いていますが、それに意味がないことを俺は知っています。ですが、ここは違う。赤谷重流の不殺の剣を極めた時、何を思うのか知りたいのです」
朝田は稲木を稽古場へ案内した。そこでは門下生たちが木刀を振るい、稽古に励んでいるが、他の道場と明らかに違う点があり、女子供の数が多いのだ。
「ここの者たちは誰一人、刀で人を斬ろうとは思っていない。みな、鍛錬として、安全な剣術を楽しんでいる。相手を思いやり、刀を通じて心を通わせる。それが赤谷重流の剣だ」
「太刀筋が澄んでいる……。心を磨く剣術がこれほど美しいものだとは。確信しました。この不殺の剣こそ泰平の世にふさわしい、これからの剣のあり方です」
「入門するなら、不殺を貫け。真剣を抜くことさえ、我が流派は許さない」
晴れやかな顔をする稲木を見て、朝田は入門を許した。
その後、稲木は不殺の剣を磨いた。道場の者たちにも指導するようになり、師範 朝田に次ぐ先生になっていた。
ある日、道場の子供たちの胴着を買うため、稲木は隣町に買い出しに行っていた。胴着を何着か買って、宮野に向かう帰り道、野原で突然の大雨に襲われ、急いで帰ろうと走り始めた時、野原の真ん中にポツンと、赤子がいるのが見えた。稲木は駆け寄って、風邪を引かぬように買った胴着で赤子を包み、抱え上げた。あたりを見回しても、人はいない。
「捨て子か」
ひとまず道場に連れ帰えると、ちょっとした騒ぎになった。
「えぇぇ、稲木さん、隠し子ですか?」
「違う、捨て子だ」
「服とタオルを持ってきますね」
稲木を冷やかしながらも、みんなは赤子に興味津々であった。門下生の女性が、息子のお古の服を持ってきて、赤子に着せた。それまで気づかなかったが、赤子は一輪の百合の花を握りしめていた。
「白百合だ。お母さんの匂いでもするのかね」
女性が抱きかかえると、赤子は大泣きして、稲木の方へ手を伸ばす。
「稲木さんがいいの?」
仕方なく女性は稲木に赤子を預ける。すると赤子はピタッと泣き止む。
「やっぱり隠し子じゃないですか」
「違う」
「里親は決まりましたね」
「待て。子育てなんか」
「あとは名前ですね」
道場の門下生たちに勢いに負け、稲木は赤子を育てることになった。
「雨の百合だから、雨百合ちゃんはどう?」
「ならば」
ついに師範 朝田まで出てきた。朝田は一枚の紙と筆を持ってきて、生百合と書いて、高く掲げた。
「これでどうだ」
「それいい!稲木さん、その子の名前、生百合ちゃんでいい?」
「ああ、もう勝手にしてくれ」




