第三話 官兵衛は男であった
宮野という町に少し変わった道場があった。剣の道を志す者は皆、人を殺す技術を身につけ、どこかに仕えるのが常であった。しかし、この道場を開いた赤谷重流の開祖、赤谷信綱は道場に男だけでなく女や子供を集め、護身を目的とした剣を教えた。
赤谷信綱が病で他界してからは、弟子であった朝田 信明が師範として道場を受け継いだ。そこへ稲木 龍一という剣士がやってきて、赤谷重流に入門した。この男が生百合が師匠と仰ぎ、いま二人が探している犯人に殺された人物である。
その日は晴れていた。清々しい風が吹く、心地のいい日だった。生百合が道場に行くと、やけに静かであった。稽古の時間ではなかったが、稲木がいるはずだった。おかしく思った生百合は道場の中や倉庫、居間などを探したが、誰もいなかった。庭で数羽の鳥の鳴き声が聞こえ、見に行ってみれば、顔面が潰れた稲木が、倒れた塀の上に横たわり、それを鳥たちがついばんでいた。
「……師匠」
生百合は膝から崩れ落ち、あまりのショックにその場から動けなくなった。そのあとに阿之助がやってきた。
「ああ、こんなところにいたんですね。生百合さん何して……、お、おーう……」
その後、阿之助の誘いにより、二人は犯人探しの旅を始めた。
「じゃあ、その生百合さんのために旅をしているんですね」
「そうなりますかね。あの人、放っておけないんですよ。バカだし、無愛想だし、大抵のことは腕力で解決しようとする脳筋だし、僕がいなかったら絶対犯人なんて見つかりませんよ」
小松は阿之助の話を聞いて笑った。
「生百合さんとここに来れば良かったのに」
「ダメです。あんなのはただのゴリラです。癒しなんてあったもんじゃないですよ」
「ゴリラだってよく見れば可愛いところあるんですよ」
翌日、阿之助と小松は旅館の豪勢な朝食を平らげ、阿之助は布屋の亭主 官兵衛という男のもとへ、小松は夜の酒のあてを探しに市場へ行きましたとさ。
いくつもの店が構える大通りを北に行き、店が途切れる数軒手前の場所に布屋があった。その店先で恰幅のいい中年の女性と、貧相な手足の同じ年くらいの男性がもめている。
「あんたはそうやって、いっつもフラフラして!」
「そういう仕事なんだよ。わかってくれよぉ」
阿之助はもめている間に入って話しかけた。
「官兵衛さんですか?お尋ねしたいことがあるのですが」
「お客だ、ほらな母ちゃん、ちょっと待っておけよ」
「ヒモがよぉ」
官兵衛は妻からの罵倒を背に阿之助を布屋の裏手、家屋と家屋の間の狭い裏路地へ案内した。
「ずいぶん怖い奥さんですね」
「結婚したのが運の尽きさ。それで何が知りたい。金はあるんだろうな」
「はい」
阿之助は小袋にたんまり入った銭を見せた。
「百鬼夜行について」
その言葉を聞いた途端、官兵衛は顔色を変え、冷や汗をかき出した。
「す、すまねぇな。そりゃあ俺も知らねぇ。力になれなくて悪かったな」
そう言って、阿之助に喋る余地を与えず、そのまま、布屋の裏口の中へ入って行ってしまった。
「お金を積まれても喋れないか……。でもこれであのお爺さんが言っていたことは、酒に任せたホラじゃないってことがわかったな」
阿之助は適当にあたりで、鬼や百鬼夜行について聞き込みをしながら、疲労や足に効く漢方を買い、夕方には旅館へ戻った。
「お帰りなさい」
すでに小松がお酌の準備をしていた。
「今日は色々なお酒のあてを買っておきましたよ。港町なのに海の幸が少なかったですね」
机には昨日と同様の酒と、十何種類のつまみが小皿に盛られている。
「あっ、でも、今日も酒場ですか?」
「いえ、今日はこのまま飲んで寝ます」
「そうですか。じゃあ、早速お酌しますね」
様々なつまみを食べ比べながら、美人に注がせた酒を飲む阿之助。ゴリラとの二人旅で溜まった疲れをこうして癒すのだ。
「ああ、旅で足が疲れてるって言っていたので、漢方を買ってきましたよ」
「え、すみません。私のために」
阿之助は渾身のカッコつけた笑みで言った。
「彼女のためですから」
「明日でおしまいですね……」
静かなため息をつく小松は憂いの表情すらも美しい。
「そのため息が、お金がなくて路頭に迷うからではなく、僕に会えなくなる寂しさからであれば、幸せな一時なんですけどねぇ」
「ちょうど半分半分くらいのため息です」
阿之助は銭の入った小袋を机に置き、小松の顔を覗き込んだ。
「バイト、しません?」
「バイト?」
その翌日、阿之助と小松は布屋を張り込み、出て来た官兵衛の後を追った。
官兵衛という男は曲がりなりにも情報屋であるため、仕事が来れば裏路地へ行く。そこを見逃さず、小松は裏路地を回り込み、官兵衛がちょうど仕事を終えたタイミングで声をかける。
「ちょっと、そこのお兄さん」
「俺か?」
「ええ」
小松は手招きして官兵衛をおびき寄せ、近ずいてきた官兵衛の腕に自分の腕を絡ませる。
「私、夫に捨てられちゃったの。ねえ、今晩だけ一緒にいてくれないかしら」
麗しき小松に、こんな風に言い寄られて落ちない男はいない。いたとしてもそれを男とは言わない。
「えへー。今晩だけだぜ」
小松の肩に手を回す。官兵衛は男であった。
しかし、これはわかりやすいハニートラップである。阿之助は偶然を装い二人の前に現れた。
「あれ?官兵衛さん?」
「ウゲッ、昨日の。ちょっと待ってて」
官兵衛は小松を引き剥がし、立ち退かせ、阿之助に向き直った。
「なんでこんなところにいるんだ?」
「ちょっと迷子でして。それより、今の奥さんにバレたら不味くないですか」
「い、いや、あの女が言い寄ってきたんだ。俺じゃねえ」
大きな身振りでうろたえる官兵衛を、刺すように冷たい目で見つめる阿之助。
「でも肩に手を回してましたよね」
ぐうの音も出ない官兵衛は土下座した。
「た、頼む、内緒にしてくれ」
「そうですね。まあ、それは官兵衛さんの態度によりますかね。例えば百鬼夜行の話を僕にするとか……」
阿之助はしゃがみこんで、土下座している官兵衛の頭の上にポンと手をのせる。その手を払わずに官兵衛は頭を上げる。
「勘弁してくれ。あそこのことを話したら妖怪どもに殺されちまう」
「でも、このままじゃ奥さんに殺されちゃいますよ。妖怪と奥さん、どっちが怖いんですか?」
苦虫を噛み潰したような顔で官兵衛はしばらく悩み、覚悟を決めたように口を開いた。
「……わかった、話す。あのな、西の岡崎という町には百鬼夜行がでる。これはそういう筋には有名な話だ」
「じゃあ、まだ、隠していることがあるんですね」
「は?」
「だって、殺されるなら、その筋に有名な話にならないですよね」
「しまった」
バカすぎた。この男がこれまで、裏の仕事で生きてきたとは思えないほど、チョロいことに阿之助は少々の疑念を抱いたが、無駄な心配である。この男は類稀なる幸運と妻の収入で生きてきたのだから。
「わかった、観念する。妖怪の傘というのがあってだな、これが無けりゃ妖怪も百鬼夜行に参加できない。言わばチケットだ。逆に言えば、それさえあれば人でも潜り込める。俺は昔、そうやって潜り込んだことがある。百鬼は町を通り抜けて山の中へ入っていく。その先に集落があって妖怪の総大将がいる。俺はそこでバレて、見逃されたが、外でこのことを喋ったら殺されると言われた」
「その傘はどうやって手に入れたんですか?」
「岡崎の近くにいた妖怪から、酒と交換しないかと言われて交換した。そこで百鬼夜行のことを知って、潜り込んでみることにしたってわけだ」
「なるほど、お話ありがとうございました。御愁傷様です」
「このことを知ったお前も殺されるんじゃないか?」
「妖怪が向こうから来てくれるならむしろ好都合ですよ」
その後、旅館で落ち合った阿之助と小松であった。
「あんなことをして良かったのでしょうか?」
「揺さぶっただけですよ。あれでダメなら、もう少し手荒な方法も考えていました」
いつものようにお酌の準備をする小松の白い手が止まる。
「利久さんは良い人なのか、悪い人なのかわからないです。とても気がきくし、立場の弱い私に迫ってきたりしない、とても紳士的な人だと思います。でも、今日の利久さんはちょっと怖かったです」
阿之助はその準備を手伝いながら微笑んだ。
「善悪のどちらかにしか当てはまらない人なんてそうそういませんよ。ともあれ、今日は小松さんのおかげで情報を得ることができました。どうぞ、お酌しますよ」
小松にお猪口をもたせて阿之助は酒を注いだ。
「……最後の晩酌ですね」
「僕との最後ってことにしてくださいね」
次回からは生百合の場面になります。