第二話 難しいクイズだな
「それじゃあ、生百合さん。三日後にこの宿屋で」
「ああ」
二人は大橋という港町に来ていた。ここは大きな町で、大通りには店が立ち並び、その間の小道に入っていくと、入り組んだ裏路地が続いている。表も裏も商売をするにはもってこいの場所であり、船で海を渡ってくる者も多く、情報が集まる。
そこで、二人は手分けして聞き込みをしようという訳だ。
「よーし、今日は飲むぞー」
二人っきりで旅をしていると、一人の時間というものがなく、うんざりしてくる。阿之助はその気晴らしもこういう時に済ませる。
「暇そうな女の子探そーっと」
そして、必ず女をはべらせる。
「おねーさん」
町の端の砂浜で座り、黄昏ている美人を見つけた阿之助は、すぐさま話しかけた。
「なにか?」
肌は雪のように白く、髪は漆のように艶やかで、穏やかな美しい顔の女性であった。
「そんなところで座ったら、着物が砂で汚れちゃいますよ」
「慣れない旅で足が疲れているんです」
「ああ、旅人さんでしたか。僕も同じです。でも、荷物が見当たりませんが」
「勝手がわからず、宿と食事を得るために、身の回りのものを売っていたら、この通り一文無しですよ」
美人は着物の袂から財布を取り出して、阿之助に渡した。渡された財布は本当に軽く中身を見ずとも想像ができた。
「随分、自暴自棄な旅ですね」
「ええ、この綺麗な海に溶けてしまうのも悪くはありません」
阿之助は隣に座り、美人の手をそっと握った。
「じゃあ、溶ける前に三日だけ僕の彼女になりませんか?」
女性の名前は小松。ストリートミュージシャンとして、旅をしてきたそうだが、特に売れず、帰るにももうお金がなく、先日、商売道具だった琵琶も山賊に奪われてしまったのだという。
そこで、阿之助は三日間の食事と宿を保証する代わりに、その間、お酌をすることと、寂しいときそばにいることを約束させた。
その日の夜、阿之助は質素な生百合が止まるであろう安い宿を避けて、この町で一番豪勢な旅館に泊まることにした。
「お布団、ふかふかですね」
小松が敷かれた布団に座り、感触を確かめている。
「旅の疲れが癒えますよ」
「お酒を飲んだらお休みになりますか?」
「いいや、これから酒場に用事があるので、そのあと、お酌をお願いします」
「酒場に行くのに、帰ってきてからも飲むんですか?」
「小松さん。これから飲むのはビジネスのお酒。帰ってきてから飲むのは癒しのお酒。この二つは真逆の飲み物ですよ」
「そうなんですか……」
「ええ、もう白湯とコーラくらい違いますよ」
「どっちがどっちなんでしょうか……」
小松を一人、宿に残して阿之助は酒場にやってきた。情報収集のためだ。生百合が真面目に聞き込みをしているのはわかっているが、寝るのが子供のように早いのもわかっている。そのため、無駄が嫌いな阿之助は昼間に集まる情報は生百合に任せ、自分は夜の情報を集めるのだ。
「こんばんはー」
阿之助は店の中を見渡し、一人で飲んでいる老人の隣の席に座った。
「ご注文は?」
「一番美味しい地酒とゆでダコで」
「悪いね、タコは今ないんだ。キュウリの漬物でいいかい?」
「じゃあ、それで」
「はいよ」
注文を終え、老人に向き直り話しかける阿之助。
「おじいさん。その顔の傷は弓矢ですよね?」
静かな老人の頬には抉れたような切り傷の痕があった。
「そうだが」
低く腹に響くような声で返事がきた。
「ってことは戦場にいたんですね。町中の喧嘩じゃ刃物は出ても弓矢は出ない」
「昔、兵法家をしていたからな、戦場に出ることもあった」
「ビンゴ!そんな戦の達人に質問です。顔面が凹み込んでいる死体の死因として考えられることはなんですか?」
「顔が凹む……。棍棒やらの鈍器で叩けば凹んで死ぬな。ただ、そんな鈍器を振り回してまともに戦えるとは思えん。死んだあとに潰されたと考えるのが妥当だな」
「他の死因らしいものがないんです。他の外傷も毒もありませんでした」
店主が酒とキュウリを持ってきた。
「お待ちどう」
「どうもー」
阿之助は徳利に入ったお酒をお猪口に注ぎ込み、一口飲んだ。
「……その一撃を死因だと仮定した場合、棍棒を軽々振り回すような怪力の持ち主が犯人だな」
「死んだのは剣の達人でした。怪力だけで殺されるような人ではないはずです」
おじいさんは考え込んだ。
「寝込みを襲われた可能性は?」
「争った形跡がありましたし、死んでいたのは庭です。引きずられたような跡もありませんでした」
「難しいクイズだな」
「だから、困っているんです」
おじいさんは阿之助のキュウリをひとつまみして、自分のお酒を飲み干した。
「その状況に無理やり説明をつける理屈を思いついたぞ。ただ、これはお前さんからすれば時間の無駄かもしれん」
阿之助は自分の酒を空になったおじいさんのお猪口に注いだ。
「僕は若いです。時間なら有り余ってます」
「フッ。小気味いい男だ。その達人を殺したのは鬼なのではないか」
「鬼?」
「俺のひいじいさんのそのまたひいじいさんの話だ。鬼は人より大きく、果てしない怪力と金棒を持っていて、それでいて恐ろしく強いそうだ。これなら筋は通る」
「でも、それだとただの怪力と一緒じゃないですか?」
「鬼は戦闘種族だ」
「達人並みの技術をもった怪力だと?」
「わからんが、怪力の種族ということはそういうヤツがいてもおかしくはないだろう」
「なるほど」
「鬼は百鬼夜行の一群にいるらしい。町の北側の布屋の旦那、官兵衛というんだが、こいつがそういう怪しい話に詳しい。聞きに行ってみるといい」
「わかりました。いい話を有難うございました。残りのお酒はお礼です」
そう言い残し、会計を済ませると阿之助は宿に戻った。
「お帰りなさい」
小松は阿之助の外出中に旅館の着物に着替えていた。
「素敵な寝間着ですね」
「白絹ですよ。さすが高級旅館ですね」
「綺麗な黒髪が映えて、似合ってますよ」
淡く赤に染まった頬を手で押さえ、小松は頼んでおいたと、阿之助に酒を進めた。机に並べられた酒は銘酒ばかりだった。
「じゃあ、いいちこで」
「はい。では、お酌、しますね」
薄暗い部屋の中で、酒を注ぐ小松の色白の肌はより一層美しく、振る舞いは大らかで、涼しげだ。静かな夜のお供には理想的だった。
「そういえば、まだ、お名前を伺っていませんでしたね」
「ああ、そうでしたっけ、小取 利久っていいます」
阿之助は本名を名乗らなかった。
「利久さんも旅をしているんですよね。どんな旅なんですか?」
お猪口の酒を一口飲むと、阿之助は旅の理由を話し始めた。
「僕は部外者なんですけどね」