アップロード・マイワールド3
多くの宿屋が存在する王都東区は、その客層もまた様々だ。
大規模な市場がある北区や、職人街としての西区から商談を終えた商人達が。
宗教区や行政、練兵場、王宮の集まる中央区からは巡礼者や士官希望者が。
勿論それだけに留まらず様々な職種や事情を持った人々が一時の宿を求めてくる。
宿屋を営む者達も、狙った客層の需要に合わせた売りを日々研究している。
異国文化を取り込んだ者。商人用に金庫を貸し出す者。戸締りを厳しくした者。
それぞれの創意工夫を凝らし、宿屋の店主達はしのぎを削っているのだ。
そんな多くの宿屋の一つである“小さな羽毛亭”にも売りがある。
比較的安価な値段で、安全性の高いサービスを提供できることだ。
食堂は、新鮮な食材で懐の寒い者達にも手を出しやすい料理が作られる。
宿の方は、複数で止まるには手狭だが、一人で泊まるなら十分なスペースの部屋がある。
どちらも場末の宿屋にしては質が良く、値段も手ごろ。
個人の宿泊客や、仕事の休み時間に食事に来る集団が気軽に利用できる。
特に理由が無ければ利用したくなる利便性。それが“小さな羽毛亭”だった。
概ねどの職種の人間でも受け入れることが出来るので、諍いが生じることも少なくない。
酔った人間というものは大抵気が大きくなって強気の姿勢に出る。
酔っ払い同士の諍いは、暴力沙汰に発展するのが相場である。
周りの事など構わず暴れれば、食堂の備品が被害に遭う。それは店の主人にとっても、客にとってもよろしくない。
そうした喧嘩は食堂の常連達の善意によって未然に防ぐことが、半ば暗黙の了解となっていた。
しかし、酔っ払い相手の仲裁に馴れた者達も、今回は分が悪かった。
「“小さな羽毛亭”っつー小汚ねえ宿はここかあッ!!」
入り口で大声を張り上げたのは、厳めしい刀傷を顔に巡らせた傭兵だった。
後ろには同業者と思しき連れ合いが四人。先頭の傭兵を含め皆武装していた。
食堂が緊張に包まれた。
心得の有る荒くれ者ならこの店では夜郎自大を控えるが、新参者に期待は出来まい。
最近の王都は人の出入りが激しい。傭兵達もまたその類だろうと常連達は思った。
しかも、日中堂々酒も飲まずに喧嘩を売りに来るほどの酔っ払いだ。
刃傷沙汰となるかならないか、微妙なところである。
店の中にも剣売商売を営む者は幾人かいる。だが、団体を相手にするとなれば大立ち回りは避けられない。
店に被害を出せば、結果的に暗黙の了解を破る事となる。
そうなればしばらく旨い料理と酒を頂くことは出来ないだろう。
そうして誰もが手を出しかね黙り込んでいるのを勘違いしたのか、傭兵達は更に声高に言い放った。
「ここの娘さんがよお! サービスしてくれるってんで来てやったぜ! さっさと席に案内して貰おうかぁ?」
食堂のフロアには雇われた女性店員が数人いたが、皆顔をしかめてそっぽ向く。
酔っ払いのあしらいなら日常茶飯事だが、流石にこれは手に負えない。
その様子に焦れたのか、疵顔の傭兵は近くに居た店員に近付いた。
「よお! 客の案内も無しに突っ立ってるたあ良いご身分だなあ」
「ひぃ! こっちきたぁ……」
小柄で栗毛の女性店員は我が身の不幸に縮こまった。
天を仰ぎたい衝動を抑えながら、ニッコリと引き攣った笑みを浮かべた。
「よ、ようこそ“小さな羽毛亭”へ! 現在席が埋まっております。しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「ああん!? なんだってぇ!」
「も、申し訳ございませぇん! メニューを申し付けて頂ければ、席が空いたのと同時に優先してお作り致しますので!」
ひぃーん、と心が折れる音が聞こえてくるのを我慢して、健気にも丁寧に対応する。
だが、そんな店員に取り合うようなら、傭兵達はニヤついたりはしないだろう。
「そうだなあ、それじゃあ、席が空くまでの間、お前さんに相手をしてもらおうかあ?」
「ひぇっ!」
「おいおい、そう怖がるなよお、なあ!」
「そうだぜお嬢ちゃん。何も取って食おうってんじゃねえんだから!」
「ちょっと暇潰しに会話しようってだけだぁ! 別にいいだろう?」
「あわわわわわ……」
最早対応を諦めた店員は青褪めて固まってしまう。
疵顔の傭兵は、抵抗の意思を失くした小柄な店員を抱き寄せようと手を伸ばした。
「お待ちください! お客様!」
厨房の入り口から、凛とした声が発せられる。
眉をつり上げて傭兵達を睨み付けるのは、“小さな羽毛亭”の看板娘であるメアリ・ホックニーだった。
元々怒りの表情を隠せなかったメアリは、店内の様子を見て更に顔をゆがめた。
徒党を組んだ傭兵達、その内の一人に見覚えがあった。
裏通りにてメアリに絡んできた傭兵だった。
お互いに気づいたことで、対照的な表情を浮かべる二人。
下卑た笑みを浮かべた傭兵に、メアリは怒り心頭の真顔だった。
「当店では女給への手出しは無用です。食事をお出しできない不手際は謝りますが、店員への手出しは返ってお客様の不利益になりますことをご理解くださいませ」
そう言いながら一歩一歩力強く近づくメアリは、疵顔の傭兵の前に立つ。
「ご不満でしたら、私が対応致します」
「め、メアリさ……」
声を上げようとする店員を、メアリは目で制した。
視線を疵顔の傭兵に戻す。その様子に傭兵達も口笛で囃した。
「おお、気が強いじゃねえかお嬢ちゃん。気に入ったぜ」
「そうですか、では、この場でお話しいたしましょうか?」
「おいおい、『お客様のご迷惑』になるだろぉ? 外に出ようじゃねえか」
その提案を聞いた常連達は額に青筋を浮かべた。
宿屋の主人には悪いが、彼の娘引いては自分達の看板娘の危機である。
こうなれば躊躇うまいと、酒瓶や椅子を片手に持ち始めた常連達。
乱闘騒ぎは避けられないと、誰もが覚悟を決める。
そして、疵顔の傭兵の言葉に、メアリは渾身の笑みを返した。
「かしこまりました。お客様のお帰りよ!」
「合点承知」
入り口を背にした傭兵達の後ろから、メアリの声に応えた者が居た。
最後尾に陣取っていた傭兵が首根っこを掴まれる。
「通りの皆様! 頭上にご注意ください!」
傭兵が一人店から消えた。
そこに至ってようやく振り向いた他の傭兵達は、いつの間にか自分達の背後に黒髪の男が立っているのを認識した。
「失礼いたしますお客様」
次の瞬間、男は傭兵達の目の前に居た。
音もなく間合いを詰めた男は、新たに最後尾となった傭兵の腰のベルト掴み上げる。
一瞬にして傭兵の姿が店から消える。
男は腕を振り抜いていた。傭兵を投げ飛ばしたのだ。
そうと理解して、傭兵達は抵抗しようと身構え始めたが、遅い。
「受け身を取ることをおススメいたします」
男は別の傭兵の手首をつかんだ。そう思ったときには、店から姿が消えている。
残ったのは身体を捻った体勢の男だけ。
傭兵達は本能的に危険だと判断した。
それでも命を売り買いするのが傭兵だ。ビビって立ち竦むことだけは許されない。
「この野郎ォ!」
メアリに絡んだ傭兵が男に掴みかかる。
男はそれ見ることも無く、クルリと振り返ると同時に傭兵の懐へと潜りんでいた。
疵顔の傭兵は、最後の手下が消えるのを見ていた。
仰向けに寝転んで、片足を振り上げている男を見て、疵顔の傭兵は決断した。
腰に帯びた剣を抜く。通報されれば牢屋行きは免れないことくらい疵顔の傭兵も弁えていた。
だが、このままあしらわれたでは沽券にかかわる。
この醜態はあっという間に王都中に広がるだろう。
態々王都まで来たというのに評判が落ちれば稼ぎも出来ない。
例え牢屋行きになったとしても、舐められたら終わりなのだ。
寝転んだ男に向かって逆手に持った剣を振り下ろした。
剣は深々と床に刺さる。後転した男が剣を避けたのだ。
疵顔の傭兵は咄嗟に剣を引き抜こうとした。
直後に悟る。
引き抜こうとする行為そのものが、致命的な隙であったことを。
男の姿を見失っていた。
「またのご来店をお待ちしております」
背後から声が聞こえた瞬間、疵顔の傭兵は宙に浮いて店内から飛び出していった。
あっという間の出来事に店内は静まり返る。
傭兵達が存在したことを証明するのは、床に突き立った剣と揺れるスイングドアだけ。
現実味の無さに常連達は喜んでいいのか恐れればいいのか解らなかった。
腕を突き出した状態の男を見て、店内にいる全員が唾を飲み込んだ。
先程とは違った意味で流れる沈黙を破ったのは、メアリだった。
「お騒がせして申し訳ございません。どうか食事を続けてくださいませ!」
ハッと我に返った常連達は、男の事を気にしつつも食事を再開する。
栗毛の店員もまた頭を下げ礼を言うと、慌てて給仕へと戻っていく。
始まりかけた騒動は、そうして日常へと消えていった。
一息ついた男は、残った剣を引き抜くと、どう扱ったものかと首を捻った。
放って置くわけにはいかないので、とりあえずマントの内へとしまい込む。
「ありがと、助かったわ」
男が振り返ると、座りが悪そうな顔をしたメアリが立っていた。
男はその様子に苦笑する。
「過分な手出しでした。申し訳ありません」
「やめてよ。アンタが提案してくれなきゃ何も考えず飛び出してたわ」
「それでも、彼等は諦めないかもしれませんから」
「そのときはそのときよ。私達だって気を付けるし、後で警邏隊にだって通報するわ」
「また差し出がましいことを」
「あーもー、わかったから!」
それを境に会話が止まる。
しばらく間をおいて、顔をしかめた宿娘は、おずおずと口を開いた。
「それで、なんだけど」
「はい」
「その、ご飯食べてく?」
「はい、ぜひ」
「そ、そう」
メアリは顔を隠すように背を向け、近くの常連客に相席を頼む。
「じゃあ、そこで待ってて」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをする二人の事を、常連達はますます気になったが何も言わずに食事を続けた。
なぜなら“小さな羽毛亭”の主人であり、メアリの父親でもあるナザリ・ホックニーが、血管を隆起させた満面の笑みで二人を見つめていたからだ。