バトル・トゥ・シェイクザアース 4
エバジライア王国北西には、海へと続く巨大な川が流れている。
古くから文明の発展を支えてきた運搬路であり、生活水や下水としても利用され来た。
地下大水路はこの川から水を取り込み、汚水として南の海へと流すのだ。
現在、水路の入り口は氾濫寸前の状態だった。
川の流れを強引に入口へと誘導されていたからだ。
まず水海神の神官達による渦潮の奇跡が川水を引き込む。
次に戦軍神の聖騎士隊が防御陣盾の奇跡で氾濫を防ぐ。
その上から他神に仕える神官達が様々な賦活の奇跡で補助を行う。
そして、至高神の神官一堂による精霊召喚の奇跡で川水に意思を吹き込んだ。
最重要なのは精霊召喚を担当する至高神殿の者達だ。
精霊は世界を運営するために至高神が作り出した機構存在の一部である。
彼等は水であり、炎であり、風であり、岩であり、光であり、闇である。
それらすべてを司り、世界を象る微小な構成要素として存在している。
ほとんど多くは意志を持たず、感情も希薄だ。
しかし、巨大な事象となったときは別である。
巨大な力が働く事象ほど、繊細な制御が必要となる。
仮初の人格が生まれ、年月を重ねるほどに意志を持つ事象として確立していく。
今回、気の遠くなる年月を流れる川に干渉することで必須となるのが、川を司る大精霊の説得なのだ。
その為にこそ、至高神殿の筆頭神託受諾者であるアナは気力を振り絞っていた。
意思を持つ存在と言っても、人間とでは思考形態も時間の感覚も違う。
言葉一つ伝えるだけでもかなりの難易度である。
王都の地下大水道に潜む魔物を残さず洗い流す。
母なる海への帰路に、魔王討伐の栄誉を土産にいかが?
世界を運営する機能として生み出された者同士、どうか手を取り合えませんか。
そんな内容を伝えるが、川の主からの返答は芳しくない。
「えっ? 鍛冶神の信徒がいるのが気に入らない? 昔許可も無く水路作りやがったのが腹に据えかねる? あー、それは駄目ですねーダメダメですねー」
地盤の補強を行っていた鍛冶神の信徒たちが顔を逸らした。
皆、先代などから「お前ら川渡るときとかめっちゃ貢物しとけよ」と忠告されていたのを思い出したのだ。
おそらく一悶着あったのだろう。
「水海神に義理立てするのは別にいいけど、それ普段から下水として利用してる分だけじゃ駄目なの、ですか? あ~そうなんですよね~いつもお世話になってます~」
川の大精霊の反発を押さえつつ流れを制御する水海神の神官達は沈黙を選んだ。
水に関わる事業は彼等の領分であるが、汚れ仕事を積極的にやりたがるほど信心深い者は少ない。
幾らかの対価と引き換えに、低級精霊などに下水処理を任せているのが実情である。
「ええ? ぶっ殺した魔物を川に放り捨ててる? 必要だとは言え酷い? 全くですね~けしからんですよホント」
戦軍神の聖騎士達は戦叫を揚げてごまかした。
大陸経済を支える海道は広大で、その維持には莫大な警備費が割かれている。
魔王復活で増えた魔物を処理し切れず、そのまま川へと流すこともしばしばであった。
その後も出るわ出るわ人間に対する恨みつらみ。
その度に何処かの神殿の者達が頭を抱える。
昔のやらかしをいつまでも覚えられている。
多くの神官達が精霊召喚を避けるのは、大精霊への敬意も勿論存在するが、大部分はこうした自分達の恥部を曝されることへの逃避だった。
「それでも、御身の力をお貸しいただくことは叶いませんか?」
波立つ勢いが激しくなった。
慌てて神官達がフォローに回る。
傍に控えるエヴァも庇える位置に動こうとする。
「エヴァ」
「……失礼をば」
一言で静止すると、アナは再び説得へ移る。
意思疎通を容易にする才能をアナは持っている。
神託受諾は人間以外の上位存在への交信点を作るものだ。
その力が強ければ強いほど、互いの意思を読み取りやすくなるのだ。
「お願いします。大いなる流れの主よ。我等の過ぎ去りし後も世界に在り続ける貴き御方よ」
だが、川の大精霊がアナの言葉に耳を傾けるのは、彼女が世界に愛される神託受諾者だからではない。
「どうか、私達の街をお救いください。人々の営みを無くさないでください。魔王に奪わせないでください」
彼女に出来るのは、言葉を伝えることだけ。彼女の授かった力は、少しだけ彼女の意思を伝わりやすくするだけ。
伝えるべき言葉に虚偽を混ぜず、誠意を込めて、見栄を張らない。
それは、全身全霊の真心を込めた懇願だった。
「今、この先の水路でたった一人魔王と戦う人がいます。私達の助力なんて本当は必要ないのに、私達と同じものを護りたいと言ってくれた人がいます」
アナは思い出していた。
星辰祭の日、〝小さな羽毛亭〟の裏手で、クロイは力を貸して欲しいと言った。
その後、王へ直訴を届ける為のパイプ役として、グスターブ騎士長の元へ向かう道中、少しだけ詳しい心情を語ってくれた。
「最初は早く終わらせてしまいたいとしか思わなかったそうです。彼が勇者として選ばれたのはほとんど偶然みたいなものだと、だから与えられた使命にも何処か受け身だったって」
だが彼は決めた。己の意思で、魔王を殺す事を。
そして、この世界で生きる人々を護りたいと思った。
その理由を彼自身も良くは分かっていないと語っていたが、アナには何となくこう思った。
「クロイ様は、ずっとずっと、長い時間を至高神様と過ごして自分の事も忘れてしまったけど、本来のクロイ様はきっと優しい御方だったんだと思います」
なぜなら、アナは勇者を知っていた。
この世界に送られてくる勇者が、どのような人物であったかを覚えているのだ。
思い出すだけで胸が苦しくなる記憶。それでも、忘れることなど出来ない。今こうしているのは全て、勇者との出会いがあったからだ。
「だって、クロイ様は、この世界を好きになってくれました! 些細なきっかけ一つで、私達も、私達の暮らしも、至高神様がお創りに成られたこの世界を、好きになってくれたんです!」
こみあげてくるものがあった。
伝えようとして心が奮えた。
過去に出会いアナの人生を変えた勇者はもういない。だけど、今もなお、戦っている勇者がいる。
筋違いかもしれない。自己満足に過ぎないのかもしれない。
されど今このときを置いて、勇者の助けになる絶好の機会は他にない。
いつかきっと、彼女に返そうと思っていた恩を返すときは、今しかないのだ。
だからこそ、アナは訴えた。
「お願いします! クロイ様を、私達の勇者を助けてください! お願いします! お願い、します……!」
そう言って、アナは地に額をこすりつけた。
その隣で、説得を見守っていたエヴァもまた、同じように訴えた。
「どうか、どうかお願いいたします! エヴァの大好きなアナ様が居て、その子孫も暮らしていく場所を、どうかお守りください!」
やがて、手の空いた者達は皆頭を下げる。
彼等は一心不乱に願っていた。
魔王に友を奪われた者がいた。
王都に家族が暮らす者がいた。
かつて故郷を失った者がいた。
様々な事情があり、それぞれの理由があって、皆が同じ思いを抱いた。
どうか、勇者を助けてあげて欲しい、と。
その意志は、過つことなく川の大精霊へと伝わった。
アナの目の前で、水が人の形を持って現れたのだ。
『人間って馬鹿ね。馬鹿で、愚かで、弱くて、温かい』
今までアナにのみ聞こえていた声が、その場にいる全員に響き渡る。
アナを介して一つにした願いを元に、同じ想いを抱く者へと一時的な経路を繋いだのだ。
呆れたような口調ながら、親しみを持って川の大精霊は言う。
『水海神だけじゃない。他の神々も、そんな人間を愛してるのよ。私達と同じものを、至高神の使徒は好きになってくれたなら、手を貸さないわけにはいかないわ』
そう言って、大精霊は再び川へと溶け込んだ。
直後、川のうねりが増した。
『どいてなさいな、人の子ら。荒れ狂うのも私達の性質。あの汚いのと一緒に流さし去ってしまうわよ』
その声を聞いた神官達は慌ててその場から退避する。
まるで意志を持ったかのように、暴れうねる川が水路入口へと殺到した。
足の遅いアナはエヴァに担がれながらその様子を見ていた。
「ひええええっ!? 急いでくださいエヴァ! 飲まれます飲まれます!」
「少し黙っていてくださいアナ様、放り出しますよ」
「ごめんなさいでしたぁ!」
「うわあああああ! 死体処理するの面倒臭がって川に捨ててすいませんでしたー!」
「ぎゃあああああ! 我等の技術なら河川工事余裕とか思ってすいませんでしたー!」
「ひいいいいいい! 最近は便所掃除もサボってました本当にすいませんでしたー!」
各々必死に難を逃れようと駆け抜ける。
その様子を川の大精霊は微笑ましく見守っていた。
これで少しは自分を見直して、川に対する敬意をしばらくは忘れまい。
まあ、それも百年後には忘れ去ってしまうだろうと、川の大精霊は思っていた。
人は代替わりが激しく、常に変化し続ける。
流れながらも変わらない精霊とは違う。
それでも、変わらないものもあるのだろう。
アナと呼ばれる人間のような者が、いつの時代も精霊や神々に訴えかけてきた。
その姿が余りにも必死で、ついつい手を貸したくなってしまうのだ。
いつかまた、この瞬間の出来事が忘れ去られるとしても、川の大精霊は人間に手を貸してしまうかもしれない。
その〝いつか〟を護る者が水路の先にいる。
自分の意思を動かしたアナの心を奮わせた勇者がいる。
『特別に対価無しで力を貸してあげるわ。会うのがとても楽しみよ、勇者殿』
王都の地下大水道を満たすのに、それほど時間はかからなかった。