グランドオーダー・トゥルーバッド 3
星辰祭を終え、緩やかに日常へと戻っていた王都はその日、再び喧騒に包まれた。
表通りは住民達で溢れかえり、流れはゆっくりと中央区へと向かっている。
西も東も北も南も、全ての区画で人の流れが生まれていたのだ。
原因は単純だった。
「街の皆さーん! 王都に魔王が現れました! 避難しますよー!」
「荷造りは最低限! 家財の保証は福徳神殿が行います! 中央区の練兵場などの避難場所へ向かってください!」
「焦らないでください! 皆さんの安全は王立騎士団と宗教連合が保証します!」
あちらこちらで神官達による避難勧告がなされていた。
それも尋常の内容ではない。
当然の魔王出現の報は、早朝から起き出した人々の眠気を吹き飛ばした。
魔王に付随する伝聞はいずれも明るい物ではない。
迷宮都市の陥落。小国の滅亡。故郷を追われた難民達。
直接目にしたわけではなくとも、その爪痕の生々しさは王都の住民達も理解していた。
なんせ、エバジライア王国は前王の死により、たった数か月前に代替わりを果たした後だったからだ。
避難勧告の内容が内容だけに、住民達も現実感が湧かないながらも避難を開始した。
中津原決戦での敗戦は、彼等の生活に少なくない影響を及ぼしていた。
人口の増加。南区の貧民街。そして魔王。
気付かない筈もない。徐々に近づいてくる脅威を。
それでも日常を過ごすことで、恐れを対岸の火事として扱ってきた。
その日常が崩れ去ろうとしていた。
今まで心の何処かへ潜んでいた不安が、遂に表面化したと気づいたのだ。
恐慌には程遠いが、人々は急かされる様に通りに出た。
「魔王だってよ、王都も迷宮都市みてえになっちまうのかな」
「まさか、人類最強の騎士様が何とかしてくれるさ」
「でも中津原で負けたっていうじゃねえか。大丈夫かよ」
「避難なんて……どれくらいになるのかしら」
「長くは無いわ、きっとね」
「そうだといいのだけど。やだわ、洗濯物干してないじゃない」
互いを慰めるように会話しつつ、住民達は中央区へと集まっていく。
避難所となった練兵場には、既に炊き出しを配る煙が上がっていた。
料理人を生業とする者達が集まり案内や調理を行っていたのだ。
「宿屋街協会総出で炊きだしたぁ豪華だな!」
「父さん! 無駄口叩く暇あったら手ぇ動かして!」
「毛布は家族で2枚まで! 汁物は一人一杯までですぅ~!」
「あらあら、貴方迷子? それじゃあここで一緒に待ちましょうか」
避難を始めたのは、各地の難民が集まる南区も例外ではなかった。
「我々も行かねばなるまい、甲虫族よ」
「住み心地は決して良い物ではないが、ここも我等の故郷には違いあるまい」
「心得ておる。いつまでも仮の住まいといじけておるわけにはいかぬと、人間族の巫女が申しておったからな」
「魔王に住処を追われた我等が、魔王討伐の妨げとなっては本末転倒よな」
「うむ、各氏族に伝えよ。王命に従い、種族の垣根なく手を取り合い、直ちに街を空にせよ」
雌伏の時は終わりを告げる。
その号令は静かになされた。
「神意を持つ者が、魔王を討つぞ」
知らせが巡る。
知らせを伝えた者達もまた、それぞれの配置へと急ぐ。
至高神殿や他の神殿の神官達は、王都の隅々まで避難勧告を行った後、海道に沿う川へと向かっていた。
「……うっぷ」
「アナ様、吐かれるのでしたら下流で御願いします」
「うぅ、物凄い強行軍……。あと十分も経たずに奇跡連続行使とか死ねます……」
「頑張りましょうアナ様、聖女の面目躍如ですよ」
「えっ、やだなあエヴァは! 筆頭神託受諾者の私の評価なんて常に最高に決まってるじゃないですか!」
「エヴァはアナ様のそういうところがとても哀れでなりません」
「酷くないですか!?」
神官達が訪れたのは、王都を支える巨大な地下大水道の入り口。
川の流れを得るために作られた水門である。
全ての水路はここから始まり、繋がっている。
「さてはて、後はクロイ様次第ですね」
集結した神官達は、適度な緊張を保ったまま、水門の前にて準備を開始する。
その頃、王国を統べる者達は動き出した事態を睥睨し、見守っていた。
「王よ、住民達の収容は順調に進んでいるようです。南区の難民も順調に移動を開始しました」
「グスターヴ、お前はどう思う。奴はやってくれると思うか」
「さて、人の身に過ぎない我等は人事を尽くすのみで御座いましょう。短い間でしたが、信じて任せるに値すると思う他ありません」
「身も蓋も無い話だな。既に事態が動き出した以上、我々に出来るのはこうして無事を待つのみか」
「〝傲慢〟に挑んだときとは状況が違いますからな。話を聞いた限り今回は私の剣も届きそうにありませんので」
「しかし構図は似ているな。一対一、魔王と剣士、背には多くの人命」
「お戯れを。剣を交わせはしましたが、お守りすべき主命を護れませなんだ。私は騎士失格であります」
「あれは勝手に突っ込んで行った親父殿が悪い。あの化け物を相手に生き残っただけでも貴様の力量は疑う余地も無い。親父殿も、それを解っての殿であろう。この国には人類最強の騎士の力が必要なのだ」
「勿体無き御言葉です」
様々な感情を噛み締めて押し黙った騎士を、王は何も言わずに労わった。
叶うのなら、今一度敗戦の雪辱を果たしたいという願いはあった。
だが、賽は投げられた。勇者が訪れてから協議を重ねた策は既に修正しようがない。
全てはこれから始まる数時間で決まる。
王都が滅ぶか否か。その結果から始まるのは救世か末世か。
神のみぞ知るか。それとも、運命は勇者一人によって手繰られるのか。
王が知るのは、始まってしまったということだけだった。
それ以外の多くの人々も、何かが大きく動き始めたことを感じ取っていた。
●
王都の隅々へと行き渡る動乱の兆しが、喧騒をより激しくするとき、一人の男が地下大水道に居た。
黒髪と藍色のマントを纏う男は、変貌した水道を見渡して言った。
「随分と侵食している。失った生産力を結界の規模で補ってきたか」
クロイと名乗っていた男は、脈動する肉壁が辺り一面に広がる悍ましい光景を見て、この一週間魔王が何をしていたのか大凡悟った。
気配の濃い場所へと迷いなく突き進む。
かつての貯水槽であった場所に、見覚えのある存在を視認した。
胸に剣を突き立てた女が、骨肉の玉座に身を横たえ、様々な怪物達が傅く様を微笑みながら俯瞰していた。
クロイを視線を移した女は蠱惑に微笑んだ。
「待っていたわ、坊や。私の可愛い子」
「俺はお前の子ではない。〝混沌〟に落ちた哀れな女。お前の妄執もここまでだ」
「いいえ、いいえ、全ては私の胎に還る。この世に堕ちる命は全て私の可愛い坊やになるの」
「哀れな人形遊び、いや、母親ごっこか」
「安心してお眠りなさい。貴方は特別に一番最後に産んであげるわ」
人類存亡の一戦が始まる。