グランドオーダー・トゥルーバッド 2
早朝の日差しが路面を温め、蒸発した水分が空気を覆う。
海から吹き込む冷たい風が再び気温を下げ、辺り一帯は霧にむせぶ。
星辰祭を境に季節は冬へと向かう。
季節風の影響を受ける王都ならば、こうした風景も増えていくだろう。
その日、メアリは何となく目が覚めて、地平線から朝日が昇る瞬間を屋根の上で眺めていた。
何となく、というのは語弊があったのかもしれない。
メアリは三日前から、ときおり窓の外を気にするようになった。
あの日、星辰祭の日から、クロイが姿を消したのだ。
余りの恥ずかしさから逃げ出したメアリだが、しばらくして頭を冷やすと、クロイが帰ってきていないことに気づいた。
慌てて外に出てみたが誰かの痕跡は何も残って居らず、父に聞けば至高神殿の人達に連れて行かれたという。
伝言として聞かされたのは、「しばらく戻らない」の一言だけ。
後に残されたのは宙ぶらりんとなった返事と、腑に落ちないまま燻る乙女心。
モヤモヤとした日々を過ごす中、無意識の内にクロイの帰りを待っているのかもしれないとメアリは思った。
そうして今日も帰らない馬鹿にヤキモキするのかと心を沈ませていると、
「あっ」
朝日が射す表通りから、見覚えのある人影が歩いてくる。
黒髪に藍色のマント。光を反射するそれは小さな夜空が近づいてくるようだった。
慌てて屋根から家に戻り、階段を転がるように駆け降りる。
さっきまでの暗鬱な気分が高揚で吹き飛んでしまった。
何してやがったとか、この野郎早く返事を聞かせろとか、とにかくお帰りなさいとか。
扉を開けて、奴の顔を見たらそんな言葉を掛ける気だった。
だったのだが、出会ったときの表情が読めない薄い微笑みを見て気が変わった。
「今まで何処行ってたのよ、この唐変木」
「無断でお暇をいただいて、大変ご迷惑をおかけしました。所用が済みましたので、ご挨拶をと思いまして」
「何? 事情があっても生半可じゃ許さないんだから」
憎まれ口を叩きたいわけではなかった。
だが、モヤモヤした後の展開としては、バカ丁寧な言葉遣いは余りにロマンがなかった。
嫌な予感がした。それも割と最近覚えのある奴だ。
「はい、一つケジメと致しまして、〝小さな羽毛亭〟から御免被こうむりますことをご容赦ください」
「……何ですって?」
「短い間でしたが、ご愛顧いただきありがとうございました。――おそらく、これが今生の別れとなるでしょう」
真剣に告げたクロイの顔面を思いっ切りグーで殴り抜いた。
「……何ですって?」
「メ、メアリさん……! お怒りはごもっともですがグーはいけませんよグーは!」
慄いて告げるクロイの顔面を思いっ切りパーで殴り抜いた。
傭兵を事も無げにあしらう実力者である筈の男は路上に転がった。
「すいません! 話す順番間違えましたね! あ、いえ、最終的にお暇するのは本当なんですけど……!」
「言い訳が長い」
「はい! すいません!」
尻餅を着く目の前の馬鹿に、メアリは跨った。
逃がさないように両手で頬を挟むと、おでこを頭突き合わせる。
吐息の掛かる距離で、色気もひったくれもなく、メアリは言った。
「おかえり!」
「……はい、ただいまです」
「それと、出て行くにしてもお父さんには話しときなさいよ。死ぬほど怒られるだろうけど」
「それはもう、はい。有事とはいえ、自業自得ですから」
「心配したわ」
「ごめんなさい」
「私、アンタの事が好きよ」
「……俺は、俺も、たぶん好きです」
「たぶん……。まあ、いいでしょ」
一先ずこれで勘弁してやろうと、顔を離して立ち上がる。
手を差し伸べてクロイも立たせると、メアリはさっさとスイングドアを潜った。
呆然とその様子を見送ったクロイだが、ドアの向こうへ消えたメアリはすぐさま顔を出した。
「早く入んなさいよ、積もる話は朝御飯食べながらにしましょ」
「……はい」
ようやく素の笑顔を見せたクロイを、メアリは悪戯っぽく笑って迎え入れた。
●
ホックニー家の朝食は短い。調理の仕込みに部屋の掃除などがあるからだ。
それでも、短いながらも団欒と呼べる家族の時間だ。
そんな憩いの時間に爆弾が投げ込まれた。
「実は俺勇者なんですよ」
メアリとナザリが同時に食事を喉に詰まらせ咳き込んだ。
クロイとマリアノがそれぞれ介抱する。
同時に復帰すると口を揃えて言った。
『勇者ですって/だと!?』
「はい、至高神の元で魔王討伐の修練を積んだ上でこの世界に召喚されました。なんでも先に召喚された勇者達の敗北を経て方針を変えたそうでして」
「待って、待って」
「それで昨日まで王宮やら騎士団とかに顔出してました」
「待ってって言ってるでしょ!?」
割と常識力の高いメアリとナザリが胃を押さえたり、頭を抱えたりする。
マリアノは困惑の表情を隠せないものの、比較的冷静にクロイに問い返した。
「あらあら、それじゃあ、私達今まで勇者様に皿洗いや給仕をさせてしまっていたのかしら」
「うぐっ」
ナザリが強面に脂汗を滲ませて呻いた。
「メアリちゃんも結構失礼なことを言ったんじゃないかしら」
「ひぐぅ」
メアリは肩をビクつかせて悲鳴を上げた。
「それも世界をお創りになり、人類の守護者である至高神様の勇者だなんて……。私達王都で暮らしていけるのかしら」
『…………』
「だ、大丈夫です! 皆さんにはそりゃもう感謝してますから! むしろ感謝しかしてませんから!」
この世の終わりが訪れたかのように沈む親娘にクロイが言った。
その言葉を受けて二人は顔を輝かせる。
「でも勇者様をこき使ったなんて噂になったらどちらにしろ暮らしていけないわ」
虚無を纏ったかのように二人の表情が消えた。
慌ててクロイがフォローに回る。
「いえ! 例えそうなったとしても俺が何とかしますよ! 至高神殿とか王様に何とかして貰います! 楽勝ですよ楽勝!」
「恐れ多すぎて余計噂が立つんじゃないかしら……」
「俺の店は……終わりか……!」
「あたしの華麗な将来設計が……!」
「うわあああ! なんかすいませんでしたー!」
絶望に包まれる親娘に向かって全力で頭を下げる勇者。
その様子を見て、マリアノはクスクスと笑い声を漏らした。
「もう二人とも、そんなにいじめちゃ可哀想よ」
「あ、おい、オメエから始めたのに梃子外すんじゃねえよ」
「そうよ! もうちょっと引っ張らないと釣り合いが取れないじゃない!」
「えっ、えっ」
ホックニー一家はアッサリと表情を平常に戻し、何の問題も無かったかのように会話が再開する。
クロイが困惑していると、睨み付けながらメアリが言った。
「あのねえ、アンタが怪しいことなんてこっちは最初から分かってたわよ。そりゃ勇者様だと思わなかったけど、アンタがどういう奴かは近くで見てたわ」
「そうねえ、私はあまり絡まなかったけど、メアリちゃんの話を聞けば貴方が悪い人じゃないってことは分かるもの」
「隠し事してることなんてバレバレだったぜ。人を騙せるほど器用じゃねえよオメエはよ」
情け容赦ない人物評がクロイを打ちのめした。
クロイは時を重ねた割に浅い己の人間性にショックを受けていた。
追撃はなおも続く。
「こっち見ながら露骨に難しい顔してやがるしな、ありゃ悩んでるの丸解りだぜ」
「そのくせぜーんぜん話してくれないのよね。隠し事下手なのに」
「二人とも、会って日も浅い人から根掘り葉掘り事情を聞くのは良くないわ。クロイくんは優しいんだから」
「あの……本当に、申し訳ございませんでした……。これ以上は勘弁してください……」
目で示し合わせると、ホックニー一家は聞きの体勢に入る。
切り替えの早いその反応にクロイは溜息をつくと、ようやく本題を切り出した。
「俺がこの世界に来たのは魔王を殺す為です。昨日までその為の算段を立てて、実行する手立てを整えていました」
「……それがうちを辞める理由ってのは理解したけど、それを態々話す理由は何かしら」
「恐らく後でもう一度聞くことになるかもしれませんが、皆さんにお世話になったので、直接伝えようと思いまして」
「オマエ、途中からは演技だったが最初は普通に胃が疼きやがったからな? そこら辺よく考えて喋れよ」
「今日、王都の地下に潜んでる魔王を討伐するので、皆さんには避難して貰いたいんですよ」
ホックニー家の食卓で、再び胃の縮む音が聞こえた気がした。