グランドオーダー・トゥルーバッド 1
とある世界の兵器を持って、彼という存在を例える。
彼は人の姿をした戦闘機であり、戦車であり、弾道ミサイルであり、軍艦であり、核爆弾である。
それらと同等以上の能力を発揮し、あらゆる状況化で戦うことが可能で、決して死なない。
ただの人間から対魔王抹殺兵器となるまでに、彼は1500年を修行に捧げた。
魂だけの状態で、劣化や希薄化を補い、時の狭間となる空間で、ひたすら修行した。
神々は、己が召喚した勇者達が敗北したのを教訓とし、〝絶対に負けない〟勇者を作ろうとしたのだ。
それはかつてのヘラクレスやペルセウスよりも、遥かに直接的で実験的だった。
骨子は戦士の館から、試練は古今東西様々で、彼以外にも手当たり次第に魂が集められた。
その中で彼だけが残った。
乗り越えられるはずの無い試練を乗り越え、耐えられるはずがない時の流れを耐え、至れるはずがない極地へと至る。
自然と魂は変質し、人とはかけ離れていく。
それでも彼は人間だった。神の視点を持たず、己で見聞きした範囲でしか物事を計れぬが故に。
神々も祝福を与えこそすれ、神へと変異させることは決してしなかった。
それでは意味が無い。世界に降り立つのは勇者であり、神ではない。
そうして、彼は最も神に近くなりながら、決して神へは至れない歪な魂となった。
長過ぎる年月で人間性は摩耗する。しかし強くなってしまった魂が崩壊を許さない。
それ以上の摩耗を避けるため、魔王を殺す使命感を残し、鈍く精神を眠らせる。
いつしか、他人事のように全てを俯瞰することで、彼は曖昧な自我を繋ぎ止めるようになった。
共感することを辞めた。悩むことを止めた。躊躇うことを已めた。
だが、流石に手違いが起こったときは神へ怒りを抱いたが。
ズタボロの血塗れになる直前まで思考放棄イエスマンと化していたのを後悔した。
それでもひいこら言って魔王と殺し合い、追い詰めるところまでは行けた。
1500年の修行は圧倒的不利を物ともせずに機能した。
魔王を殺す使命感によって導き出された最適解は、超火力による制圧爆撃。
実行する前に逃がしてしまったが、必要ならば例え何が起きようとそうしていただろう。
だからこそ、それはただの偶然だったのだ。
魔王を取り逃がし、地下大水道から這い出た勇者が出くわしたのは、使い古されたお約束展開だった。
暴漢が婦女子を襲う。早々出くわすことはなくとも、伝え聞く悲劇としてはありふれている。
しかし、1500年修行して過ごした勇者にとっては逆に新鮮だった。
うわあ、こんないかにもな蛮行に出くわすなんてたまげたなあ、とかそんなことを考えていた。
そうなると興味が湧いてくる。
魔王との再戦には準備が要る。そのためには人との関わりは必要だった。
目の前で起きている出来事はちょうど良かったのだ。
こんなにも都合の良い場面に出くわすことはそうはあるまい。
そう思って暴漢を傷つけ過ぎないように追い払うと、勇者は少女の顔を覗き込んだ。
悲鳴と共に殴られて、自分が血塗れだったのを思い出した。
失敗した、と思った。人と関わるには自分の感覚は相当ズレているのだとも。
別の方法を試そうかと、その場を去ろうとしたときだった。
少女に不意打ち気味に呼び止められた。不覚だった。
『ちょっどま゛っ』
思い切り噛んでいたが、どうやらお礼がしたいようだった。
これ幸いと思ったが、羞恥心丸出しな顔に、長らく錆びついていた感情が僅かに動いた。
あんまりにも可哀想だったので、同情したのだ。
なので断った。元々利用する気だったのだ、この上恩着せがましくする必要もあるまいと。
『お礼! だから!』
予想外だったのは、自分の言葉に対する反応が、思ったものとは違い。
『ついて来てくれないとお礼出来ないから!』
そのとき初めて、彼女の顔をハッキリと認識した。
『ありがとうございました! お礼させて下さいやがれ!?』
ここまで強引に感謝されるとは1500年ほど存在して初めての経験だった。
そんな言葉に、よく解らない感情が湧き上がった。
鈍く沈ませたはずの感情が、ゆっくりと心に熱を与える。
『うん、それじゃあ、お言葉に甘えようかな』
いつの間にか、口にしたのは申し出の受け入れだった。
それからの数日間は、1500年の日々とは比べ物にならない刺激に満ちていた。
深く眠っていたものが叩き起こされるような勢いで、感情を取り戻していく。
楽しさや、期待や、嬉しさを与えられた。
虚しさや、落胆や、悲しさを思い出した。
ふとしたときに気づく喜びがあり、予測された悔しさがあった。
峻烈に瞬く光のような日々だった。
だからこそ、その安寧に、目を逸らし続けるわけにはいかなかった。
光が強くなるほどに、己が抱える陰影はより濃く現れたのだ。
魔王を殺さなくてはならない。それが使命。
感情を取り戻したとしても、使命から逃れる気はなかった。
魔王を殺し尽くすことができるのは、勇者だけなのだから。
星辰祭のデートで、区切りを付けるつもりだった。
心には割り切れない程の感情が溢れていたけれど、振り切らねばならない。
それでも、決定的な言葉が出てこない。
別れを拒絶するかのよう喉の奥でつかえって出てこない。
その躊躇いを見抜かれたせいか、彼女の瞳に光が灯る。
自分でも理解していなかった。生まれる筈もなかった感情を、メアリは見つけてくれた。
恐怖だ。手にしたはずの感情を、手放すことを恐れた。
だが、メアリはこう言った。
どんな結果になっても、最後には笑い話にするから、と。
それは、何もかもを切り捨てる己とは真逆の、生まれた何かを残すための肯定だった。
一つの納得が生まれた。
神々が、1500年の時を費やして己を鍛え上げたのは何故か。
幾人もの勇者を送り込んで、魔王討伐を成し遂げさせようとしたのは何故か。
愛しているのだ。この世界を。人を。
護って欲しかったのだ。この自分に。
惰性の行き着く先であった使命感に、背筋を貫く芯が生まれた瞬間だった。
それからの行動は迅速だった。
当初の魔王討伐策に修正を加え、必要な人物の協力を取り付けたのだ。
細かい計画を話し合う内に、星辰祭が終わりを告げ、3日が過ぎた。
勇者は今、無断欠勤した職場へと赴いている。
心の内に、静かな決意を携えて。
「今まで何処行ってたのよ、この唐変木」
「無断でお暇をいただいて、大変ご迷惑をおかけしました。所用が済みましたので、ご挨拶をと思いまして」
「何? 事情があっても生半可じゃ許さないんだから」
「はい、一つケジメと致しまして、〝小さな羽毛亭〟から御免被りますことをご容赦ください」
「……何ですって?」
「短い間でしたが、ご愛顧いただきありがとうございました。――おそらく、これが今生の別れとなるでしょう」
そう告げた先には、勇者の運命を変えた少女が、大きく目を見開いていた。