5.In a quandary
「は、葉宮……ですか?」
相手が分かっていても確認してしまう日本人の特性が思わず出てしまう。
それももちろん僕が日本人だからである。
そして、
ーーあぁそうさ、そうですよ。葉宮さんでございますよ。
気だるそうな声が僕の脳に語りかけてくる。紀伊宮先輩の唇を媒介として。
やがて視界も冴えてくる。
そこには、常にやる気がない。そして僕と紀伊宮先輩の上司、葉宮がいた。
ーーったくさぁ、上司には、さんをつけろって何回言えば分かるんだよ、お前さんは。どうせ紀伊宮には先輩つけてんだろ?
そして、僕等の上司は細かいところで五月蝿かったのだった。
ーーお前さぁ、驚いたことってある?
いきなり葉宮は呟くように訊ねる。
「ありすぎて答えられませんね」
ーーちっ、なんだよ、話続かねぇなぁ。
本当に心底つまらなさそうに言う。
ーー俺はテレビ見てたときなんだよ。
「えっ? そんなに歳喰ってたんですか?」
ーーお、おい! 違ぇぞ! 初めてテレビを見たときって意味じゃないからな!
「なんだ、安心しましたよ。もしそうなら、それが僕の驚いたことになってました」
ーーったく……
「それでなんなんです?」
「あぁ? 何がだよ」
「いや、葉宮……さんの驚いたことですよ」
ーーあぁ。そうだったそうだった! やべぇなこりゃ。
もう歳かな……まだ二十代なんだけど……と落ち込みながら言う。
ーーテレビでやってたんだけどよ、人を殺すのっていけないらしいぜ。
「はぁ?」
それしか言いようがなかった。
「それはそうでしょう。何を今更になって……」
ーーいやいやいやいや! そんなに常識知らずな奴だなって目で見てくれるなよな。法律に触れるってのはわかってるぜ。
「そんなの両方とも誰でも知っている事でしょう?」
ーーそうか? 俺、法律に触れるってことは知ってたけど、いけないことなんて知らなかったな。学校じゃ教えてくれなかったし。
「いやいや。それこそ誰っでも知ってるからですって。当たり前すぎるからですよ」
ーーマジかよ。ショックだな……俺一応東大だぜ?
「だからなんですか? 今度は人の素晴らしさに学歴が関係あるとでも?」
ーーあるだろ。ないとでも?
葉宮は当たり前のように言う。
「ない、とは言い切れませんが、少なくとも絶対じゃないですね」
なぜなら、目の前に実例が居るからだった。勿論、現実世界の目の前か、トレース状態の僕の目の前には言うまでも無いだろう。
ーーまぁいい。話は逸れたけどよ、殺すのは駄目なんだろ? なら、どうやって殺そうって思うわけじゃん? 俺等はさ。
「…………」
ーー答えは簡単なわけよ。もちろん分かってるとは思うけど、いけないならバレなきゃいい。
含み笑いをして葉宮は言う。
そして続ける。
ーーんで考える。どうやったらバレないのか……
僕は長い話をするわけにはいかなかった。現実には先輩とキスをし続けているのだから。
そして僕の過去の話だと思ったから。
だから、
「答えを言われる前に、僕から言わしてもらいますけど、外見をそっくりにし、一日の生活習慣を組み込んだヒューマノイドを作って、オリジナルを殺める。組織なら可能ですよね?」僕は努めて冷静にそう言った。
「そして
と僕が言ったとき、葉宮はさっきのお返しと言わんばかりに僕の話を区切った。
違うねぇ、と。
ーーそれ、本当にバレないとでも? それこそ常識ねぇんだなぁ、神崎くん。
「本気ですよ。十分可能性はあります。物事に絶対なんてないんだから!」
ーーわかるよ。わかるさ。過去の自分を馬鹿と認めたくない、その気持ち。だけどさ、少し冷静になろう。今の君はただの子供になってるぜ?
その些細な挑発のような言葉は、僕をさらにむきにさせた。
「ち、違う! そんなんじゃない! 組織の力を使えばもっと……」
ーーだからさぁ、無理なんだって。組織の作る偽者のヒューマノイドが一定のパターンでしか動けないのは、お前さんもよぉおおぉおおぉぉっく分かってることだろ? 外見上はそっくりでもよぉ、日曜なのに月曜と同じ生活してる奴なんかいるか? 祝日も平日と同じなんて奴いるか? そんなの家族、恋人、友達だったら尚更。お隣さんでもバレるだろ。常に年中無休で、一分もずれずに、同じ動きをしている奴なら別だけどな。
「くっ…………」
反論したいが、できない。まったくの正論だった。
ーーだから、むきになるなよ。冷静にいこうぜ?
「…………」
ーー神崎が言う通り、絶対なんてないのさ。ただ、気がつかなかった例はお前自身だけなんだよ。わかるか?
「……葉宮、もういい」
ーーお前さんの家は特殊だったからな。気付かなくてもしかたない。だけどなぁ、そこは家族として、変だなと思わないもんかねぇ? まぁ、実際には起ることなんて零に近いようなものだからな。あんなこと。勿論、組織側としてもあんなことしたくなかったんだぜ?
「……もういいよ」
ーーさすがにさぁ、俺もやりすぎだと思ったんだよねぇ。いくら神崎、君が優秀だからって組織に入れたいといっても、君の情を失くすために君の家族全員をぶっ壊しちゃうなんてさ。特に君にとっては妹が壊されたのは「黙れええぇえええええええええええええええええええええ!」
気付いたときには、僕は葉宮を怒鳴り散らしていた。
「黙れよっ! そんなこと言って僕を慰めてるつもりなのか?」
僕は続ける。
「お前等がやったんだろ? なんなんだよその言い方はぁあああぁあああぁあ! 自分が手を下さなかったら無関係とでも思ってんのかよぉおぉぉっ!」
ーー…………
「なんか言えよ! 言ってみろよ! 言い返してみろよ! 僕の家族を……零里を返せよおおおおおおぉっ!」
ーー……………………………
葉宮は何も言わない。
どういう思いで無言なのかは分からない。
だが、その行動は今の僕を逆撫でするのに十分だった。
「くそっ! くそくそくそおおおぉおおおおおおおぉおおおおおおおおぉおおおおおおおおお!」
体が熱い。燃えてるんじゃないかと思った。
「あああああぁあああぁああああああぁあああぁあああああああぁっ!」
僕は手を懐に隠してあったナイフに伸ばす。
そしてそれを掴んだ右手で左手を刺す。
自分の手だからといって容赦なく。思い切り。
ざくっ!
「ぐっ……うぅあ」
人間の体は案外強い物。しかし、僕の今の体は弱かった。手なんて簡単に貫通する。
ーー………………
僕はナイフを自分の手から引き抜く。そしてそれを持った右手を大きく振りかぶる。また左手を貫くために。
僕は、血がでてこない左手がとてもつまらないものに見えた。
ーー…………
葉宮は僕を黙って見ていた。
黙ってなくても関係ないけれど。
僕は再度振り下ろす。何度も何度も。
ざしゅっ!
ざしゅっ!
ざしゅっ!
ざしゅっ!
ざしゅっ!
ざしゅっ!
ざくっ! ざくっ! ざくっ! ざくっ! ざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざく!
何回刺しただろう?
そんな疑問をもったとき、葉宮は僕の手を握った。
痛いくらいの強さだった。
「離せ! 離せよ! お前に……」
ーーわかった。
葉宮は僕の全ての言葉を聞く前に、呆気なく僕の手を離した。
そう思った。
だけど違った。
離れたのは僕の手と葉宮の手じゃなかった。
僕の腕と僕の手が離れただけだった。
つまり、僕の左手は葉宮に切断された。一瞬にして。
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