解けゆく氷と包み込む暖かさ
前回に続き友達と花言葉で創作しようぜ!!という感じで書いたものです。本来は4000字程度で花言葉のお題にそって。というものでした。が、めっちゃ字数オーバーしまして、途中でばっさばっさと削り、無理やり10000字程度で終わらせました。
前回がほんのりダークっぽかったので今回はさわやか目指しました。
よろしければ、コメントや評価、アドバイス等いただけたら嬉しいです。
「私は誰かの心を優しく包み込める人になりたいです。そうあるために、私は私を偽りたくないんです」
夏の長期休暇を利用しれた離島で出会った少女は、ジリジリと照りつける太陽にも負けない笑顔で誇らしげに宣言した。言葉は真っ直ぐ純の心を貫き震わせた。窓の向こうでシミ一つない、真っ白なシーツが青空に舞い上がる。
◇◇◇
羽原 純はうんざりしていた。担任の無駄話を聞き流せば待ちに待った長期休暇が待っている。それなのに、彼は眉と眉の間に深い皺を作っていた。それもこれも先ほど渡された成績表のせいである。
――学科 全教科A+
実技 全科目A+
授業態度 優秀
備考 非常に優秀な成績を収めており今後の活躍が十分に期待できる。しかし、人間関係において気になる点がいくつかあるため次学期では改善がみられることに期待をする。
「人間関係において気になる点があり……」この一文に目を通すたび、純の眉間の皺は一層の深みを増した。ただでさえ煩わしくてしかたない両親や身内が更に煩くなるのが安易に想像できた。せっかくの長期休暇だというのにこれでは全く喜べない。ターコイズを彷彿とさせる瞳に影がさした。成績表から教室の窓に視線を移す。純の心模様は曇り空だというのに、窓からの景色は、呆れるほど真っ青に晴れ渡り、まだ7月だというのに陽炎が見えた。
◇◇◇
備考欄に「人間関係に気になる点がいくつかある」と書かれたが、どういう点が気になるのかは書かれていない。国に認められた者だけが集う学び舎で、非常に優秀と言わしめる力を持っていながらも、純はどこが教師の目に留まったのか全く分からなかった。なにしろ、彼は人間関係という分野は苦手としていた。しかし、本人は、自分がそれを苦手としていることに気付いてない。ましてや人間関係の有用性を考えたこともなかったのだからどんなに抜きんでた頭脳を働かしても無駄である。
純は部屋の一角にあるコルクボードに刺してある通知表を一瞬見やった。やはり答えは出ない。すぐに視線を外し、じわりじわりとにじんでくる汗をシャツの襟もとで拭い、クーラーの電源を入れた。ピピッっという音に合わせて1週間前の夕食時での会話を思い出してしまった。
――なんだ、これは。
――まぁ、こんなことが書かれるなんて……。今までこういうことはなかったというのに。純、貴方……。
――羽原の人間であるのだから一切の欠点は許さない。特にお前は跡取りでもあるのだからな。
――貴方の姉はこのように書かれたことは一度もないのよ。あの娘に出来たのだから貴方もそうならなければいけないの。
――去年までは言われてないのだから改善も簡単であろう。さっさと直しておくんだな。
――ふふ、大丈夫よ。貴方は羽原の跡継ぎとしてふさわしいように育ててきたのだから。
成績表を見た途端、は眉間に皺を作り威圧的になった。母はというと、父とは対照的で、眉根を下げ、心配し諭すように言葉を発した。その行動は純が成績表に目を通した瞬間に思い描いていたものと同じだった。
ボフン、とベッド背中から倒れる。嫌なことを思い出した。手探りで枕を探しだし思い切り抱きしめ顔を埋める。俺だって言われなくとも改善するつもりだ。できないままでいようなんて思っていない。だけど、何がダメでどう解決していけばいいのか分からんないんだからしょうがないだろ。それに、備考欄のちょっとしたことには過剰に反応する癖に成績ついては何一つ言わない……。褒めてほしいと思ってはいない。けど――。
「やっぱり、さびしいな……」
ぽつりと零す。瞼の裏に浮かぶのは、幼いころに両親に褒められて喜ぶ自分の姿だった。
◇◇◇
「―ほぉ、それで僕のところにやって来たというのかい?」
話を聞いている間止まることのなかった万年筆がころりと指から落ちる。切れ長の瞳を細め、真一文字に結ばれていた口が弓なりに歪められた。純は居心地の悪さを感じながらもゆっくりと肯く。本当は自分でどうにかしたかった。けど、どんなに考えても分からなかったのだから頼るしかない……。言葉にはしないが、醸し出す雰囲気がありありと語っている。男――茨峰八尋――はますます面白いと思った。しかし〝あの〟羽原純がわざわざこうして部屋まで赴いてきたのだ、誠実に取り計らってやるべきだろうと考え、八尋は気持ちを瞬時に切り替える。
「我が校一の優等生な君がこうも悩んでいるのはなかなか面白――おっと、失礼。可愛い生徒が助けを求めてやってきたのなら、一教師として手を差し伸べなければいけないね。」
八尋は頬杖をつきながら純を見上げる。烏の濡れ羽色をした純の髪が冷房の風を受けてふわりと揺れる。髪色とは対照的な真冬の銀世界を彷彿とさせる肌はほんのりと赤みが差し、少しばかり汗がにじんでいた。
「君はあの備考を書いた担任ではなく、わざわざ校舎の離れに位置しているこの場所にいる僕にわざわざ会いに来た。それが答えのヒントにはならないかい?」
くっと少し純の眉間に皺がよる。
「どう、いうこと……ですか」
わずかに開かれた口から発せられる、たどたどしい質問。そんな純を見て八尋は予想通りだというように一度うなずくと、先ほどとは違った笑顔を向けた。
「まぁ、これで解ればわざわざ君はこんなところに来るわけないからね。気にしなくていいよ。――それよりもちょうど良かった。明後日から1週間僕出張に行かなければならないんだ」
作業机の上に積まれた書類の束から一枚抜き取り純に渡す。いきなりの話題転換にぽけっと間抜け面をしていた純の顔を見て「ふふ、君のその顔は珍しい」と笑う。
むすりと顔をしかめて受け取りながら、
「……相談に来たのにいきなり突拍子もないこと言われれば誰だって間抜け面になりますよ――」
と、純は呟く。しかし、八尋はまだ笑ったままだ。何がそんなに面白いのか理解できない、と思いながらも、純は「写真でも撮っておくんだったな」と笑い続ける八尋の言葉を無視して、書類に目を通す。
手元の紙に書かれていたのは、この国の南に位置する離島への出張命令だった。
……南の離島? たしか、リーナル島だったか……あそこは――
純は持っている知識を思い起こし、すぐに目が点になった。その島は我がスペロニア国の聖域と言われている島だったのだから。リーナル島は神の島と言われ、スペロニア国の人間でも王国に認められた者しか行くことができない特別な島だ。そのため重要で大切な島だということは知っていても島自体がどういう所かは知らない。文献もあまり存在していないため、本当に選ばれた者だけしか知りえない島なのだ。そんな島にこの男は出張で赴く……。純はごくりと唾をのみ込んだ。別に今更この男の凄さに驚いたというわけではない。ただ、リーナル島への出張を自分に教えたことに対して警戒しただけだ。八尋とは付き合いが長い故、何か企んでいるのではないかと無意識に思ってしまっても仕方がない。それに、この書類には〝付添い人を1人必ず。ただし――″と記載されている。この一文で体が一気に緊張で支配される。一部意図的に隠されたような部分があったが今はそれどころではない。これは確実に八尋の企てに組み込まれる……。
いつのまにか静かなになっていた目の前の男をじろじろと見る。穏やかな表情をしているが視線は鋭い。純は、八尋が何を考えているのかその表情から読み解こうと見つめていだが、ふいに八尋の唇が動かした。
「僕の連れとしてついてきてくれないかい? 能力的に君は申し分ない」
「え……?」
八尋は純の驚きなどお構いなしに葉を紡いでいく。
「なにより、君の悩みはお供として連れていくのに最高の理由になるんだよ。必ず一人連れて来いだなんて、これがそこら辺への出張だったら問題ないけど、リーナル島となると人を選ばなきゃいけないからね。面倒くさくてどうしようかとほとほと困っていたところさ。――君さえよければどうだい? 君の悩みのヒントが、答えが、得られるかもしれないよ?」
ニヤリ、と八尋は悪い笑みを浮かべた。
◆◆◆
結局純はその場で行くことを決めた。帰宅後、両親に件の話をすればすんなり承諾が貰えた。それからの二日間は旅行の準備をしたり、男の元を訪れて手伝いをしたりして過ごし、成績表に書かれていた「気になる点」については考えなかった。
リーナル島へは専用の船で行くことになっており、出発当日は早朝に乗り場に向かった。国に大切にされている島へ行くのだから小型でもそれなりの船なのかと思っていたが、他の離島に行く船と変わりがなかった。
キラキラと光る海水を切り裂いていく小型船はどんどんスピードを上げていく。船に乗るのは初めてではないが、なぜか純は心が弾んでいた。
「僕のお供としてきたからって常に僕の手伝いはしなくていいからね。」
船が進むのに比例してだんだん大きくなっていくリーナル島を待ち遠しいと思いながら眺めていると、ふいに背後から声がした。
「君は君の答えを探すことを一番にすればいいのだから」
振り返ると、金色の髪を風に遊ばせながら八尋が立っていた。
「言っただろ? 君は僕の連れとするのに最高の理由を持っているって」
八尋はそれだけ言うと、「それにしてもすごい日差しだな~、焼けちゃう焼けちゃう」とぼやきながら船内に消えて行った。去っていたほうを少し見つめた後純はぐっと両手を握りしめてまた先ほどよりも近づいてきたリーナル島を見つめた。
「俺がやるべきことは……」
◇◇◇
国の操作により情報が乏しく操作された未知の島は初めて訪れた純の全てを魅了した。純白の建物が数十件ほど並び、石畳の道には鉢植えに植えられた花が咲き乱れていた。どこからか聞こえる蝉の声でさえもここでは魅了する要素となっている。興奮して頬をほんのり赤く染め上げ、キラキラとした瞳をきょろきょろ忙しなく動かす様は幼児を彷彿とさせる。
(まったく、スペロニア本国にいるときとは大違いだ)
ちらっと気づかれないように八尋は純を見て思った。
(その顔ができるのなら彼の答えも早々に見つかるかな?)
少し高い丘の上にぽつりと立っている教会を眺めながら八尋は楽しそうに笑った。
◇◇◇
炎天下の下、日除けの帽子だけで延々と坂を上り、ようやくたどり着いた教会は、質素でアットホームな感じの可愛らしい教会だった。丘の上ということもあり、心地よい風が優しく頬を撫でていく。時折、教会の中から、にぎやかな声も聞こえてきた。純は、教会というより保育所かなにかに思えて、すぐ横に立っている八尋を見る。純の視線に気づいて、八尋が視線を向けるが、ただニコニコするだけで、いつまでもここじゃなんだし、入ろうか。と述べて教会の扉を開くだけだった。
「こんにちはー。シスターはいませんか?」
八尋が大声で問いかけると、中でにぎやかにしていた声が一瞬、ピタリ、と止まった。次の瞬間、きゃーとかわーとか、先ほど以上ににぎやかな声が響き渡り、それと同時にドタバタと走る音が近づいて、あっという間に八尋の周りに、小さな子供たちが集まっていた。年は、ほとんどが、5~6歳ほどのように思える。みんなキャッキャと八尋に話かけたり抱き着いたりと好き放題だ。八尋も八尋で目線を子供たちに合わせ腰を落とし、好きなようにさせたり、頭を撫でたりとしている。その顔に邪気のない笑顔を携えて。
(うわぁ……)
純は八尋の笑顔を見て、引いた。あの男でもあんな表情をするのだと知ったのを後悔した。純が八尋を引いた目で見ている間に、またパタパタと新しい足音が聞えた。少し大人びているような足の運びである。
「こら~、もう、みんな嬉しいのは分かるけど、八尋先生をそんなところにいさせちゃだめだよ」
鈴のような声音と共に現れたのは、琥珀色の瞳を携えた、素朴で可愛らしい女だった。
「ごめんなさい、先生。わざわざ来てもらったのにお迎えできなくて」
女はペコリ、と頭を下げる。下げられた頭を撫でながら、八尋は「大丈夫大丈夫。むしろ声かけただけでこんな風に歓迎されて嬉しいから」と何考えてるか分からない笑顔で答えていた。やっぱり、さっき見た笑顔は幻想に違いない。純はそう思った。八尋の笑顔を忘れるために意識を向けながら八尋と女と、子供たちを眺めている。そのため、ぼーっとしていた純は、「あの!」と近くで聞こえた女の声で意識を戻し、声の主を捉える。。先ほどまで八尋の近くにいた女が、自分の真ん前に来ていた。
「あの、お兄さんは先生のお連れ様だって聞いたんですが……」
照れたように頬をほんのり赤らめ、控えめに話しかけてくる。
「ん、あぁ、うん、そうだよ。……失礼だけど、君は?」
「あ、すみません。自己紹介がまだでしたね」
純の質問にあわあわと慌てながら、手櫛で髪を整えたり、服で乱れたとこがないかをちゃちゃっと確認し終えると、少し照れながらも、表情をきりっとさせて自己紹介を始めた。
彼女の名前は、白野 花菜。年齢は一五歳。幼いころからここの教会でお世話になっているそうだ。
純は、少し前に済ませた自己紹介を思い出しながら、花菜の後ろをついていく。先ほど一瞬だけ見せた大輪のひまわりを彷彿とさせる笑顔は、今はない。純にこの教会を案内しながら浮かべている笑顔は野花のような可愛らしいものだ。案内には耳を傾けながらも、どうしても花菜から視線が外せずに、黙々とついていく。そして、ぴたり、と花菜が歩みを止めると、くるりと翻し、へらり、と笑った。
「こちらが純さんのお部屋になります」
トクン。
胸が高鳴った。顔が赤くなりそうなのを必死で押さえて何事もなかったかのように手で示された方向に視線を向ける。そこには赤茶色の扉があった。なんとなくぐっと片手で扉を押してみると、小さいが、手入れは行き届いてる空間が広がった。
二人して部屋に踏み入れると、花菜が後ろから話かける。
「こちらは毎日掃除しているので大丈夫だと思いますけど、もしなにか不備があったら言ってくださいね。すぐに改善しますから!」
「あ、いや。大丈夫」
「そうですか? でも、これから一週間はお世話になるので遠慮しないでくださいね!」
「……お世話になるのは、こっちだろ?」
純はきょとり、と不思議そうに花菜を見やりながら少しだけ首をかしげた。
「え?! もしかして、純さん聞いてないんですか?」
聞いていない?何を?純は、意味が分からないと眉間に皺を寄せた。その表情に、花菜が慌てる。
「今日から一週間、純さんは、その、えーっと……、私の、家庭教師になってくれるって、八尋先生が……」
視線を彷徨わせ、顔を赤らめて伝えてきた言葉は、最後には小さくしぼんでいく。合わせて花菜も顔を俯かせた。花菜のつむじを見つめながら、純は「はぁ?」と身の内で声をあげた。そして、内心で八尋についての文句を並べ上げる。お互いに向かい合ったまま何もしゃべらず、無言が続いたことで、花菜が恐る恐るうつむいていた顔をあげると、そこには、心底嫌そうな表情を浮かべた純がいた。ひゃぅ、と小さな音が口から洩れる。
「あ、あの、やっぱり迷惑ですよね。すみません。純さんは先生のお手伝いで忙しいはずなのに。私の家庭教師だなんて……。やっぱり、なかったことに――」
あせあせと、手を忙しなく動かし、瞳を少し潤ませて、純に伝える。いきなり焦りだし泣きそうになっている花菜を純は不思議そうに見た。
「八尋先生に、家庭教師の件は、なかったことにして欲しいって伝えておきますので……」
先ほどよりも瞳の潤み具合が進んでいる気がする。というか、何か勘違いしているみたいだし、ここらで、訂正しなければ彼女が泣くだろう、と純は思った。そして、
「別に俺は、家庭教師の件嫌じゃないよ」
とだけ静かに返した。その声に、ピタリ、と動きが止まったかと思うと、泣きそうな表情から一瞬でキラキラと眩しい表情に変えて花菜は純を見上げた。
「ほ、本当ですか!」
少し上ずった声で、ずいっと純に近づきながら確認する。その勢いに、うっ、となりながらも、「あ、あぁ」と応えると、ぱぁぁっと更に輝きだし、満開の桜の花が咲いたような笑顔を向けてきた。
ドクン
まただ。自己紹介の時や部屋に入る前のときに感じた心臓の動きが、また。純が自分の感情について困惑しているのに気づかない花菜は、嬉しそうに見つる。その笑顔を見れば見るほど、純の顔は熱くなっていった。
◇◆◇
白野花菜は、生まれてすぐにこの島にやってきて、教会でお世話になっていた。なぜ自分がこの島に来たのか、両親は誰なのか、教会で育てられた意味はなんなのか、すべてわからないことだらけだったが、豊かな自然、美しい街並み、優しく暖かな人々により不自由なく育った。自分と同じような子たちが集まっているため、姉や兄のように慕っていた人たちもいる。彼らはある一定の年齢になると教会から出て行き、港町に住んで仕事を始めた。だから自分も同じように時が来れば、この町で一人暮らしをしながら自立していくのだろう思っていた。しかし、それは、花菜が一三歳の誕生日に届いた手紙で違うのだと知る。
「私が、国立の学園に?」
一三歳誕生日の日に、シスターの部屋に呼びだされて聞かされた内容は、この島を領土の一部としている王国の、国立一貫校に入学する旨だった。国立の学園といえば、国で認められた者しか入学できない、優秀な人材が集まっているところだ。そんなところに、離島の教会でお世話になっているような娘が入学なんて……。不思議に思わない方がおかしかった。しかし、シスターは、こうなるのは分かっていたように、落ち着いた様子で、花菜に伝える。
「高校編入という形になります。あなたは、とても素晴らしい才能を持っているわ。まだ自分では気づいていないようだけど、大丈夫よ。あなたなら十分やっていけるわ」
今まで世話になったシスターに嬉しそうに言われれば、花菜は何も言えなくなる。ただ、わかりました。とだけ答えるしかなかった。子供だったが大人びていた彼女には反抗するという選択はなかった。
ハッと目を覚ました。うっかりうたた寝をしていたようだ。どのくらい寝たのだろうか……。花菜は部屋を見渡す。窓から差し込む光は寝る前から大して変わっていない。そこまで眠りこけていたわけではないのだとホッとした。そのまま、窓から視線を外し、部屋をぐるりと見渡す。部屋のつくりからして、ここは純が寝泊まりするために準備された部屋だと分かった。ということは……。花菜は自分のすぐ真下に視線を落とす。そこには、見開かれたノートに、みみずが張ったような字が書かれてあった。純が八尋に呼びだされ、用件が終わるまでの間復習でもしていようと思っていたのに、うっかり眠ってしまうとは。とほほ、となりながら、みみずの張った後を消していく。花菜は消しながら、懐かしい夢を見たと思った。自分がこうして純に一週間限定の家庭教師をしてもらうことになった理由の、あのときを――。
ふわり、と窓から爽やかな風が流れ込む。その風に誘われるかのように花菜は視線を窓に向けて、晴れ渡る空を、風に揺れる草原を、弟、妹のような子たちが楽しそうに遊んでいる姿を、窓を通してみる。この風景もあと一年もしないうちに見られなくなると思うと、少しだけ切なくなった。
◇◆◇
花菜の勉強を見ているときに八尋に呼び出された。ここ五日、この時間は花菜の家庭教師をしていた。だから今が勉強時間だと分かっているはずなのに、なぜわざわざその時間に呼び出すのだろうか。純は少し不機嫌に思った。呼ばれた場所は教会の裏庭。洗濯されたシーツがはためき、近くには家庭菜園のようなものがあった。真っ赤なトマトやきゅうりがぽつぽつうかがえる。他にも、花壇や、ベンチ、一本だけ大きな木がある。呼び出した本人である八尋は、教会で日陰になっている花壇横に設置してあるベンチで書物を読んでいた。
「それで、わざわざ呼び出してどうしたんですか、八尋さん」
純は近づきながら声を掛ける。その声音は表情通りの不機嫌さをはらんでいた。パタン、と本を閉じ、ベンチに置くと、八尋は「やぁ、思ったより早く来てくれて嬉しいよ」とニコニコ返す。
「時間も指定せずに、ここに来いっていうから、今すぐだと思ったんですよ」
八尋に向かい合うように立ち止まり、見下ろす。不機嫌な純とニコニコと考えが読めない笑顔を浮かべる八尋。しばらくお互いに無言で見詰め合う。そうして、また、最初に口を開いたのは八尋だった。
「で、どうだい?」
スッと目が細められる。先ほどまでの笑顔は消え、何かを探るような視線を向けられる。
ゴクリ。
純は無意識に唾をのみ込んだ。
「君の答えは見つかりそうかい? 残りあと一日ほどだけど」
「…………なんとなく、ですけど」
暫く間を置いて、純は苦虫を潰したように応える。そんな純を見ながら八尋は、ふむ。なんとなく、か。と零した。顎に人差し指を掛けながらじっと考える。その間、視線は純から外さない。蛇に睨まれた蛙よろしく、純は動けずにただ八尋から視線を外すだけ。
干されていたシーツが風にはためく音が、遠くで子供たちの楽しそうな声が、蜘蛛に捕食されただろう蝉の声が、ただ静かな裏庭に響き渡った。
「なるほど。心配はいらなかったようだね」
長い沈黙の末言われた言葉は、拍子抜けするほど軽いものだった。純は思わず、はぁ……。とため息のような声を出した。八尋はへらへらと笑う。そうして本を手に取ると、栞を挟んでいたらしいページを開きだし、さっさと勉強にもどりなよ、先生。と片手をひらひらさせて読書を始めた。その茶化したような声につい舌打ちを鳴らしたくなるのをぐっと堪え、純はその場から離れる。コツコツコツと足音が遠ざかっていく。完全に聴こえなくなったとき八尋はぽつりと呟いた。
――彼をここに連れてきて正解だった、と。
八尋の呼び出しは内容の割には時間を使った。あの問答だけなら呼び出す必要もなければ十五分ほどかける必要もなかった。はぁ、とまたため息を零す。やはり、それなりの付き合いとはいえ、茨峰八尋は癖が強すぎる上に読めない。あれが教師だというのだから本当に訳が分からない。そしてそんな教師に頼ってしまう自分はどうしようもない。それを改めて感じさせられた。コツリ、コツリ。早く戻ろうと進めていた足の歩幅が縮まり、スピードも緩くなっていく。
あの問答で、本当は、みつけた。と自信を持って応えたかった。しかしそれはできなかった。俺は優秀でいなければならないから、感覚で理解しても言葉に置き換えられないならそれはみつけたことにならない。だからあの時、なんとなく、としか答えられなかった。だというのに、八尋は、あの答えだけで自分がどこまで掴めているかを読み取った。あの沈黙は俺の思考を読み解くための沈黙だった。そしてそこから導き出したのは、俺は答えを手にすることができるということだったのだろう。だから結局、心配はいらなかった。という言葉になったのだと思う……。
ぐしゃり、と前髪を掴む。悔しい。悔しい。悔しい。けど、嬉しい――。自然と笑みがこぼれる。なるほど、どうして自分が、あの人だけを頼るのかわかった。そして、どうして、この島に行けば答えが見つかると言ったのかも今わかった。
ピタり、と足が止まる。いつのまにか、自分が寝泊まりしている部屋の前にたどり着いていた。どうやらあれこれ考えながらもちゃんと目的の場所まで足を進めていたらしい。純は、スッと息を吸った。今、純の視界は澄んでいる。どんなに考えても出てこなかった問いかけの言葉が今ならポロリとこぼれ出そうなほどなのだ。この向こうの先にいる彼女に問いを投げかけることで、通知表に書かれていた問題の解を導き出せるところまで来た。
ガチャ、と静かに扉を押す。その先には、切なそうに窓の外を眺める、白野花菜の姿があった。
◇◆◇
ガチャリ、と扉が開く音がした。その音と同時に花菜は、ハッとしてぱちりぱちりと瞬きをした。瞬時に思考を切り替え、いつも通りの笑顔を携え、純を迎いいれた。花菜の様子に気づいていたが、触れさせないように取り繕っているところを見て、純は知らないふりをする。
「純さん、すみません。純さんが呼び出されてる間に復習でもしようかと思ったんですが……」
眉尻を下げて笑いながら、消しかけのノートをちらりと見せる。
「うたた寝をしてしまったようで……」
素直だと思った。純粋だと思った。本当に自分と2歳しか違わないのかとも思った。こんなことわざわざ言う必要がない。ないというのに、本人が申し訳ないと思えば謝るし、隠さず見せる。そうしてしかるべき対応を受け入れるのだ。一切の汚れのないソレは眩しすぎて、遠い。たった六日ほどの関わりだったが、彼女の笑顔に魅かれた初対面の自己紹介の時からずっと、誰に対しても飾らない。白野花菜は、飾らないし誤魔化さない。それが彼女を一層可愛らしく魅せる。
純はこの島に来て初めて笑顔を浮かべる。ハッとする花菜を見つめながら問いを投げかけた。
「君はどうして―――――― 」
◇◆◇
長期休暇中に茨峰八尋の連れとして訪れた離島で、羽原純は答えを見つけることができた。それは新学期が始まってしばらくたって表れる。今まで、人と自分との間に分厚い壁を築いていた生徒が、少しだけ、その壁を取り除いた。もともと容姿も能力も優れていたため、彼と仲良くしたいと思っていた生徒は多く、その変化にすぐ気付いて喜んだ。孤高であった羽原純は少しずつ人の輪を広げ、心を自由にすることを知った。容姿や知識だけでなく、人としての魅力も付けていく。彼の〝羽原〟という柵から抜け出せることは未だできないけれど、それでも彼は以前より少し自由になれた。
学園の裏庭で、純は一人、9月だというのにまだまだ去る様子のない夏を感じながら呟いた。
「俺は、君の答えのおかげで自由を知れた。だから君の入学を楽しみにまっているよ」
まだ来ぬ、待ち人を想いながら見上げる純の瞳は慈しみに満ちていた。その姿を偶然目にした誰かが、美しい絵画を見た気分だったと零した。
――純さんは、この1週間で答えをみつけだせたでしょ?
おわり
花言葉:素朴なかわいらしさ 無意識の美
参考サイト:誕生日の花 (http://www.hana300.com/aatanjyo.html)
羽原 純
国に認められた者しか入学できない一貫校で常にトップの成績を収めている。しかし、家の柵や身内のプレッシャーにより人間関係を面倒臭いものと思っていた。また、そのせいで、自身の心を誤魔化すことに慣れてしまい、本当の気持ちがどれなのか分からなくなりかけていた。リーナル島で出会った白野花菜によって、心を誤魔化すことを止めるようにした。おかげで以前より生きやすいと感じている。花菜に一目ぼれしていたが気づいていなかった。高2.17歳
白野 花菜
リーナル島の教会に住んでる女の子。素直で正直。見た目は飛びぬけて可愛いというわけではないが、その内面が圧倒的聖女気質なため、かわいらしく見える。成長すれば美しくなる。しっかりものでもあり、小さい子たちの面倒を見ていたことと、そのうち自立するということが分かっていたため、恐ろしく大人びている。典型的なお利口ちゃんだったけど一三歳のころ島を出ていく間では後悔したくないから、自分の心に素直に生きようと思うようになった。純が来た時に勉強を教えてもらってからは定期的にメールで連絡し合っている。頻度はそんなに。勉強のことが8割。純のことは綺麗だけど不器用なお兄ちゃんという認識。中3 15歳
茨峰 八尋
純をリーナル島に連れてった。普段は学校の離れの自室に引きこもってる。先生と言われてるけどほとんど授業は持ってない。何考えてるかよくわからないけど、本人の実力は相当で、それなりの地位にいるらしい。リーナル島の教会は定期的に訪れているためそこにいる子供たちに好かれている。しかし、なんのためにリーナル島に行っているのかは同行した純ですら教えてもらえなかった。謎お置き人物。
すごく、設定あいまいで終わってしまいましたが、できることならこれは長編にしたい、というか、書いててこれは短編よりも中編、長編向きだろうな~と思いました。ですので、いつかあいまいなとこもちゃんと描ければいいなと思っています。
ここまでお読みくださりありがとうございました