scene:言葉*
scene:言葉
「終わったぁ~」
≪゜。+=≫も一通り読破し、最低限の内容は覚えた――のではないだろうか。シェンフーからは、一か月足らずで修めたのは素晴らしいとの評価を貰っていたものの、自身の気質や性格、慣れ親しんだ文化や慣習に近しいものがあったからだろう、故に根幹に通じるものがあった為、身に付き易かったと、ナヲヱは分析している。
免許皆伝とでも言えば良いのか。むしろ仮免許か滞留の為のビザを取得したようなものだろうか。何れにせよ漸くお目付け役と一緒ならば、ある程度の自由な移動が許されたナヲエは、私的な希望からお目付け役と言う名の護衛に、予てから世話になっているデミを選んだ。
「手続きが終わったか」
デミの話す≪○-|≫の言葉も殆ど理解出来るようになった。が、語彙や発音がどうやっても対応しない名詞などがある。意味としては理解出来るにも拘らず、既存の言葉に置き換えられないものも多かった。シェンフーも言っていたが、その辺りの法則が世界の原理の一部を支配する術式の根幹……仮想空間デヴァイスを解き明かす鍵にもなるらしい。引いては、こっち側と向こう側を繋ぐ扉の正体や、≪○-|≫と≪#&$≫が併存する理由なども分かるかも知れないと言う事だった。
が、ナヲヱはその辺のところに興味はない。とは言え、≪;<#】≫に於いて≪○-|≫と≪#&$≫が共通して理解する仮想空間デヴァイスと言うメディアは、シェンフーの考えとはやや違う意味で両国の懸け橋になりえるだろうとの期待が持てた。また、戦争を早くに終わらせる為にも、両人種に共通した規約が、相互の理解を助ける事になれば良いとも思った。
デミを連れ、今まで窓から覗くだけだった城下町……らしき町へと下ろうとしたナヲエだったが、事はそう簡単でもなかった。一応、政治レベルで≪○-|≫と≪#&$≫が戦争している手前、デミら住まうひとつの都市に≪#&$≫と同じ姿のナヲエが外を歩く事は難しいそうだ。故にナヲエは幾つかの条件を守らなければいけなかった。ひとつ最低限の文化を覚える事。これはつい先日まで勉強していた≪゜。+=≫を修める事で取り敢えずクリア出来た。もうひとつは変装する事だった。
「似合ってるじゃないか」
デミとシェンフーが言った。ナヲエの変装を少しばかり可笑しく思っているようだ。ナヲエ自身もそれを否定出来ない。まるでコスプレだからだ。何かの獣の耳を付け、角を生やし、尻尾をぶら下げる。顔には人相も分からなくなるような模様が描かれ、特殊メイクとも趣の違う変装をさせられている。服装も如何にも民族的な格好だが、微妙に露出も多い。よりにもよってちょっと肉付きの気になるウエスト回りが剥き出しだ。胸元も大きく開いており、胸の中心……本当に真中を見せ付けるような少しばかりエロチックなデザインとなっている。
「何か……恥ずかしい」
「仕方ないでしょ。ナヲエくらいの背格好で適当な≪○-|≫なんて限られているのですから」
シェンフーはまだいい。同性だからだ。だが、デミは異性だ。人種が全く違うだろうから、下心を抱くとは思えない。とは言え、以前の生活でさえこのような格好はした事がないのだ。直ぐに慣れろと言うのも難しかった。
「では、行ってきます!」
ナヲエはシェンフーに挨拶すると、デミと共に城下町に繰り出した。城下町――向こう側に於けるナヲエの身近な文化水準や歴史と比較すれば明治か幕末に近いイメージだ。勿論、内容は中世や南米の風体を足して二で割ったような見た目である。例えるなら原始的な文明が文明開化の間口に立ったばかりの社会と言ったところだ。
先ずは適当に散策する。城から港の方へ向かう途中には卸市場があり、二人は早めの昼食も兼ねて市場へと向かった。露店が並び、屋台も置かれている。見た事のない食材も多かったが場所柄か、提供される料理は単純なものばかりだ。焼いたり、炒めたり、生だったり。流石に生のままだと毒々しい見た目が残っている食材も少なくない。特に虫らしい食材はナヲエにはまだまだ敷居が高そうだった。
結局、城でも食べた事のある煮込み料理をアレンジしたものに落ち着いたが、食材の元の姿を見たときの衝撃は計り知れない。まさか虫のように足を持つ魚が、鶏肉に似た淡泊な味だとは思わなかった。図鑑に記されているような太古の生物を彷彿とさせる、機能的ではない身体の生物がこっちには多いようである。
昼食を終え、いわゆる繁華街のような場所へ移動した。先ほどまでの市場らしき通りに比べると、幾らかスタイリッシュな店が見受けられる。商品の値も上がり、加工品の種類も多くなった。取り分け雑貨や服飾の関連の店が多いようだ。いわゆる、ウインドウショッピングと言う名の冷やかしを満喫したナヲエは、ふと道端で開かれていた露店の一品に目を奪われた。
「綺麗、これ。ねぇ、デミ――似合う?」
ネックレスと思しき、宝石を紐に括りつけただけのシンプルな装飾品が気に入ったナヲエ。店主に許可を貰い、首に宛がったナヲエはデミに感想を求める。
「似合うよ。綺麗なんじゃないか」
世辞ではなくデミの正直な感想だったが、煮え切らない言い回しにナヲエは少しばかり不満を覚え、剥れっ面になる。
「んもう、素直に綺麗って言えないのかなぁ」
装飾品は手作りらしく一品限り。本来なら対照的な作りであろうが、どこか歪に見える。どうやら鉱山植物の花のようだ。少しだけ螺旋を描くように独特な花弁の配置だ。渦を巻いているようだ。花の中心には鉱石の結晶が付けられており、赤や紫、緑や青などの小さな破片があたかもな雌雄の株を象っている。
「気に入ったのか?」
「うん?」
目を惹かれた。が、気に入ったと問われると分からない。何となく引っ掛かる。ただ一目惚れしたと言う表現が近かった。
「買おうか?」
「へ? 買ってくれるの?」
ナヲエに与えられた資金は少なくない。言葉や文化を習うついでに奉公くらいの手伝いは繰り返していたからだ。その使う機会のなかった報酬が随分と残っている。先の昼食はデミにごちそうになったが、それでも有り余る資金がナヲエの懐を重たくしていた。
「あぁ、気に入ったんだろ?」
店主から装飾品を取り上げたデミが会計をお願いする。ハンドメイドと言っても所詮は素人の一品もの。ほぼ材料費と勘違いするほどの低価格だ。
「ありがとう」
丁寧にも首へ付けてくれたデミに恥ずかしながらもナヲエは礼を述べる。
「何か、デートみたい……」
「でーと?」
「あ、いや……そ、そうじゃなくてッ!」
慌てて否定するナヲエだったが、言動とは裏腹に顔が赤くなっていく。思春期前の女子じゃあるまいし、何を恥ずかしがっているのか分からない。が、デミに色眼鏡を向けてしまった事に意識が及び、その傍らで何故か罪悪感が沸き起こった。
「でーと……どう言う意味だ?」
「へ?」
そうか。デミら≪○-|≫の解する言葉に英語に属する言語はないのか。ホッと胸を撫で下ろした。得体の知れない、出所の知れない罪悪感もすぅと引いていった。
「それはナヲエの世界の言葉か?」
「あ、ぁあ――ん、そう……」
落胆する。
?
??
矛盾する気持ちに胸が締め付けられた。
「っと、デート、デートね。何て言えば良いかな?」
頭の中の辞書を開き、≪○-|≫にも理解出来る表現を模索する。
「友達以上、……若しかしたら夫婦、番?になるかも知れない関係の二人が、何気ない日常を共有して、気持ちを通じる前の、そのなんだろ?」
少しだけ悲しくなるナヲエは言った。
「一緒にいたい気持ちを通わせて、行動を共有して、お互いが見えないものまでを交換する行為……かな」
言っていて恥ずかしくなったナヲエは、紅潮する頬を隠すように俯いた。
「そうか。それならば嬉しい」
「うれしい?」
「≪○-|≫と≪#&$≫はいがみ合っている。勿論、国や政府などの大きなレベルが殆どで、個人が皆一様に互いを憎んでいる訳じゃない。停戦状態になっていた昔に両者が結婚し、子供を産んだ事もある。かつてそれは覇王と呼ばれ、一時代の平和を築いたと言われている」
あぁ、そう言う意味での嬉しいか。否、誉と言ったところだろうか。ふたつの種族の懸け橋であり、また平和の使者にも成り得る前例に似ている事が嬉しいのだろう、と穿ったナヲエが苦笑する。
誇らし気なデミを見て、子供みたいだ。と言う感想が思い付く。相変わらず表情筋の少ない顔ながら、会った当初よりも≪○-|≫の感情は読み取れるようになった。
「その者には偉大な諱があった。魔女とも呼ばれ、何時しか組織にもなった事もあったらしい」
「その人の名前は?」
先を促して欲しそうなデミに責っ付かれるような形で質問したナヲエの耳に、その希望に満ちた覇王の名前が告げられる。
「フーノルト。その覇王の名前はフーノルトだ」
「フーノルト」
不思議な響きである。魔女と呼ばれるからには女性だったのだろうか。若し、≪○-|≫と≪#&$≫の間に子供が出来たらどうなるのか。ナヲエは聞いてみた。
「妊娠する確率そのものは低い。子供が出来ても虚弱で長生き出来ない。ただ健康ならば両者の長所だけを受けた、優れた子供になると聞く」
「そうなんだ」
そう言って頷いたナヲエは不意と空を見上げた。
「そうだ、ナヲエ」
まだ日差は高い。自由に街を散策していい時間は残っている。次はどうするのか。と聞いたデミは、ナヲエの腰に手を回した。
「その飾りが模した鉱山植物の花言葉を知っているか?」
「花言葉? こっちにもそう言う文化があるんだ」
花を愛でるのは共通でも、意味を持たせるのは文化的な違いが大きく出る。慣習や伝統として意味を付与する事は決して珍しくない。元々の佇まいを知らない為、花の姿や性質が、花言葉にどのように影響するのかは想像するしかなさそうだ。
「永遠の約束。または永久の愛を誓うだ」
「…………ふぇ?」
意外なほどロマンチックな言葉がデミの口から出たので、一瞬、ナヲエはその意味を疑った。
「誤解がないように言っておくが、私は別に用意していたんだ」
懐を弄ったデミが綺麗な装飾品を取り出した。首に回したネックレスの飾りに比べれば、もっと装飾は細かく、使われている宝石類も高価そうだ。フレームの基調はシルバーで指輪になっている。メインの装飾部分は透き通るような透明度ながら鮮烈なまでに赤い鉱石が付けられていた。良く見るとリング状の部分にネックレスと同じらしい鉱山植物の彫り物が施されている。
「私は≪)|~_"「@。=>≫」
デミの神妙な面持ちに加え、状況から言わんとするところは分かった。が、ナヲエにはそれが聞えなかった。
「――――――残念。肝心なところが聞こえないよ」
ナヲエはそう愚痴ると、デミの気持ちに「ありがとう」と微笑んで応えてみせたが、その顔は様々な理由で涙に濡れていた。