察知と予測と対処の一致
「とうとう第三階層まで来てしまいましたね……」
疲れた様子でミースが力なく言う。
アズダルクを出発して、すでに六日目。
迷子になった猫の捜索など数日で終わるであろうと甘いことを考えていたのが、今となっては懐かしく感じる。
なにせ王国最強の銀十字聖騎士団の聖騎士、二人がかりの捜索である。
これだけ人員で一匹の猫を探すなどということは王国史上類をみない出来事であろう。
猫を探し求めて第三階層まで辿り着いてしまった。
「私、気になっていることがあるのですが、伺ってもいいかしら?」
思うように捜索が進まない現状を紛らすかのように、ミースが急に話題をかえる。
「どうしたんですか? 急に改まって」
「捜索には全く関係のないことなのですが、気になると訊かないと気が済まない性分なもので……」
申し訳なさそうな顔でミースが、
「お二人はシールドを何故、装備しないのですか?」
「……」
あまりにも唐突な問いに言葉を失う。
考えてみるとイザベルと僕はシールドを装備していない。
イザベルが何故、シールドを装備しないのか理由は定かではないが、僕は剣術の師匠である前第一聖騎士ヴァンクリフの教えがあったからだ。
ヴァンクリフの教えでは、剣術は基本は相手の動きを「察知」して、次の行動を「予測」して「対処」することだという。そして、それらの早さと的確さが剣術の優劣を決定づけるということなのだ。
よって、まず相手の動きを察知するのに障害となるシールドの装備を禁止されていた。この教えは僕が従騎士として使えている間、常に徹底あれ、どんなに厳しい戦場であってもシールドを装備することを許されなかった。
「ルディがシールドを持たないことにそんな理由があったとは意外でした」
イザベルが珍しく僕の発言に感心している。
考えてみると彼女に剣術を教える機会はよくあったが、僕の過去のことについて話す機会はほとんど無かった。更にイザベルの過去の話となると皆無であった。
「イザベルはどうしてなの? まさか僕を尊敬してシールドを持たないとか?」
イザベルの過去を訊くことに少し恥ずかしさを覚えた僕は冗談めかしてイザベルに訊く。
「いえ。その様な事実は一切ございませんのでご心配なく。私の場合は攻撃が全てです。反撃する暇を与えず圧倒する。それが私の目指す剣術です」
たしかにイザベルの剣術は攻撃に特化されている。
攻勢にでているときの彼女の剣術は僕をも圧倒する。しかし、一度、不利な状況となると反撃もままならない脆さがあった。
その剣術はまるで苛烈ではあるがどこか儚い彼女の生き様を表しているかのようであった。
「お二人にはそんな秘密があったのですね。私なんかランベルト様が一切、私に剣術を教えていただけませんでしたので……」
ミースは剣を扱えない異色の聖騎士。
そうはいっても護身程度ならなんとかと知り合うまでは思っていたが、本当に剣を全く扱えない事実に驚いたのを憶えている。
それは逆に彼女は剣術以外の部分が秀でている証左なのであろう。
無論、彼女の『癒しの手』としての治療の力や普段の領主としての立ち振る舞いは、尊敬の念すら抱いているのであるが……
そんなことを思いながら歩いていると、ふと微妙な空気の乱れを感じる。
何かくる。
強烈な殺気に肌が粟立つ。
「イザベル伏せろ! バックスタブだ!」
振り返ると、うしろを歩いていたイザベルの背後に現れたダガーが頸動脈を狙っている。
素早く反応したイザベルの頬をダガーが掠め、赤く一筋の傷が頬にできる。
アサシンが使う暗殺術、バックスタブ。
不可視状態から無防備な相手の背後に回りこみダガーによる致命傷を与えるその技は黒衣の集団の暗殺者の十八番である。
次の攻撃は何がくる?
僕の思考が次の攻撃を予測する。
しかし、僅かに襲撃者が動きが僕の予測を上回る。
痺れ薬を塗った小さな針がチクりと首に僅かな痛みを与える。
パラライズと呼ばれる暗殺術。痺れ薬の効果により一時的に身動きが取れなくなる。
バックスタブからパラライズに繫げるアサシンの二段攻撃。
バックスタブは大きな殺気が生じるため、実力者には躱されることが多い。
しかし、熟練した暗殺者はバックスタブが躱されやすいことを逆手にとり、バックスタブを躱すため大きく躰を逸らしたところにパラライズを放ち、相手を無力化するのである。
襲撃者の術中に嵌まり全身が麻痺状態に陥る。
この状態は少なく見積もっても数分は続くはずである。イザベルも同様にパラライズの影響下にあるようで、躰を動かせずにいた。
最後尾を歩いていたミースは突然のパラライズに余程驚いたのか、目をパチクリとさせていた。実戦の経験が乏しいミースにはそれは仕方がないことだろうと思うが、パラライズが効いている以上、襲撃者に対し有効な反撃手段は皆無。三人の命運がここで尽きたといっても等しい状況なのである。
三人をパラライズで仕留め、勝利を確信した襲撃者が虚空から姿をだす。
僕は、その姿に驚いた。
黒く薄汚いフードにマント。両手には鋭利なダガーと典型的な黒衣の集団のアサシンといった風情であったが、緑色の皮膚と隆起した血管がアサシンは人間ではないことを示していた。
アサシンの正体はゴブリンだった。
その肌の特徴はゴブリンそのものであり、暗殺術を駆使するゴブリンの存在など、今のいままできいたことがない。しかし、現実にゴブリンアサシンというべき、黒装束に身を固めたゴブリンがそこに立っていたのである。
この坑道で何が起きている?
僕の疑問に答えることなく、虚空より姿をあらわしたゴブリンアサシンは薄気味悪い笑みを浮かべながら、こちらに向かってくる。
成る程。
邪魔な「雄」から始末する、ということなのだろう。その発想はやはり「雄」ならではというところか。
身動きのとれないイザベルの横を素通りし、僕の眼前に立つ。
パラライズが効いている躰は指一本動かせない。
ゴブリンアサシンのダガーが頸動脈を目掛け振り下ろされる。
その動きのひとつ一つがスローモーションの様に感じる。
僕の最後を悟った瞬間であった。ミースがいなけば……
「女の顔に傷をつけるなんて、あなた良い度胸してるわね」
ゴブリンアサシンの背後からイザベルの声がする。
次の瞬間、彼女のレイピアがゴブリンアサシンの背中に突き刺さる。
動けないはずのイザベルに背後から襲われた事態が理解できないのか、大きく目を見開いたままゴブリンアサシン。
唇を小刻みに振るわせ何かを伝えようとするが、言葉にならない音を発するだけで、遂には動かなくなった。
「本当に助かりましたよ、ミース。あなたが瞬きでパラライズに掛かっていないと教えてくれなければ、僕は死を覚悟していたところでした」
「あの程度のパラライズ、全く問題ありませんわ」
ことも無げにいうミースだったが、僕はそうとは思えなかった。
僕が、バックスタブに反応し、パラライズまで予測した時間で、彼女はパラライズに対する防御まで行っていたのだ。そして、ゴブリンアサシンが雄から始末すると分かると、イザベルのパラライズを解除し、ゴブリンアサシンを倒させたのである。
その冷静な判断力と、その判断に基づいた行動を実行できる確かな技量。
その二つが併せ持っていなければ不可能なことだ。
僕は数多くの戦闘経験の経て相手の殺気を察知する術を学んだ。しかし、ミースは自然にその術を理解していたのであろう。彼女の師であるランベルトは彼女に剣術を教えなかったのではない。すでに彼女に剣術を教える必要がなかったのである。
彼女の活躍の背後には、その師の先見の確かさがあったということを痛感した。
「ルディ。通路の先に猫の姿があります」
イザベルが通路の先を指さし、僕に伝える。
たしかに通路の先に、マダムの言っていた特徴と合致する猫がこちらを見ていた。こちらを見ている猫と一瞬目があったかと思うと、パッと通路の奥に向かって走り去ってしまった。
「不味い。猫がこちらの存在に気がついて逃げてしまったぞ!」
逃げる猫を急いで追いかける三人。
猫に逃げた先、その先には第四階層に繋がる扉が立ち塞がっていた。
「猫はこの先にいったのでしょうか?」
ミースが僕に訊く。
答えは明白であろう。
しかし、その答えが明白であるのと同じく、この先に待っている苦難もまた明白であると、この時、僕は感じていた。