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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

腐敗天使シリーズ

少女は悪魔に転生し、腐敗天使と呼ばれる。

作者: 森野 乃子

初、転生モノです。異世界トリップが一番好きなのですが、最近転生モノにはまりました。

ただし、お試し作品なので短編で……実は短編も初だったり。

「うっわ」


 ぬめった狭い暗闇を通り抜け、ボトリと落ちた。体には粘着質の何かがまとわりついている――……少女はそのように感じた。

 落ちたと思われる瞬間、少女は全身に鈍い痛みが走り、辺りに手をはわせて自分が地面に寝転んでいるのだと認識した。そしてゆっくり顔を上げれば、ぼんやりとした視界に誰かが映っているのに気づく。よく見ようと目を細めたその瞬間、少女の頭をギシリと強烈な圧迫感が襲う。

 一瞬遅れて何かに頭をつかまれていると気づいた少女は、痛みから逃れるために自らの頭に手を回した。そうして気づいたのは、誰かが自分の頭を握りこんでいるということだ。それは凄まじい力で握りこまれており、振りほどくのは無理だと悟った。


「なんだこれ。クソ忌々しい天人族のイロじゃねぇか」


 男の声。

 少女にはボンヤリとしか見えなかったが、そこには般若の顔をしたガタイのいい綺麗な男と、真っ青な顔色をした美女がいた。

 男は黒く長めの髪に黒服をまとい、頭には二本の立派な角が生えている。その角は時折赤く光り、まるで感情に連動しているかのようにその存在を主張した。

 女の方も黒い髪をしているが、角は額の中央に一本あるだけだ。男のように光ってはいない。長く腰ほどもある髪は、床に散らばっている。黒いワンピースから覗く白い足の間からは、血の混ざった大量の水分が流れ出ていた。


「ナターシャ。お前、誰とヤった?」

「あ、あた、あたしは、知らないわよ……! まさか天人族とヤったとでも思っているわけ!? そんなことあるわけないでしょ!! だいたいハムナがあたしのこと一日中独占してたんだから、そんなことありえないのはアンタが一番知ってるじゃないの!」


 金切り声を上げる女、ナターシャ。その声量に思わず顔をしかめながらも、ハムナと呼ばれた男は「だよなあ」と不思議そうにつぶやく。

 頭をつかまれたままの少女は痛みに顔をしかめながら何度か瞬きをする。すると、そのうちに周りの景色が見えるようになってきた。そして気づいたのは、ここが森の中であるということ。さらに言えば、今まで見たことも無い森の中であると言うことだ。

 木々は紫で統一され地面は苔が生えたように緑色をしている。見たことも無いような大きなキノコに、見たことも無いような人面花。どれをとっても映画の中のような森だった。

 そして自分の下には疲れきった表情の女と、掘られた地面。その地面は血や水で濡れている。それに、ぬるりと何か生臭い血の塊が落ちていた。


「……あ、もしかして私産まれた? あなたお母さん? ああ、私、赤ちゃん設定の夢か! 何それ全然楽しめない……というか、あなた地面を掘って穴の中に私を生んだの? どんだけ原始的なわけ? アハハハ! 体調、大丈夫?」


 少女がそう言った瞬間、男は目を見開いて少女を投げ捨てた。地面にボトリと落ちた少女は、痛みに顔をゆがめる。


「いった!! 何これ痛みを感じるタイプの夢だ……! 赤ちゃん投げ捨てるとか鬼か……うざっ」

「お前、なぜ話せる」

「あれ、あなた角生えてる? それ本物? 悪魔みたい。ん……? あなた、お父さん?」


 お父さん、と少女が呼びかけたとき、ハムナはわずかに顔をゆがめた。しかしすぐにその表情を消すと、眉間にシワを寄せて少女に視線を合わせると低い声を出した。


「なぜ、話せるのかと聞いている。答えなければ殺すぞ」


 ハムナは産まれた瞬間から話す赤ん坊を見たことがなかった。ナターシャも同じく見たことがなかった。二人は変なものを見たような顔をしながら少女を見つめる。


「夢だから? それに話せなかったら困るでしょ」

「夢だぁ……?」


 ハムナは怪訝そうな顔をするものの、足先で少女の顎を上げさせながら首をかしげた。


「魔力が強い……ってわけじゃあ、なさそうだな。こんだけ話せるならあるいは、と思ったが……随分と力のない。これじゃあ連れて帰っても仲間に殺されるだけってとこか」

「殺される!? 冗談でしょう! それだけで殺すってどんな思考回路をしてたらそうなるの……!? というか、一応連れて帰ってよ……! ここで放置されたら死ぬでしょうが!!」

「冗談じゃないわよ。こんなの連れて帰って馬鹿にされるくらいなら、ここに捨てていった方がマシ。それとも殺す? ああ、でも生かしておいて魔物にでも食われれば、私の気もおさまるかもしれないけど」


 早くも立ち直ったナターシャは、フンっと鼻を鳴らしながらそう言うと髪や服を整えて立ち上がった。

 信じられない言葉を聞いた、とばかりに少女がナターシャを見上げれば、そこには母の情など微塵も無い眼差しを向けるナターシャがいた。その表情に「この女は本気でそう思っている」と感じた少女は、それ以上何も言わなかった。そしてそれを見ていたハムナが、ポツリと口を開く。


「これは夢だと言っていたな。夢であれば、お前はどこの誰で、なんと言う名前だ」

「今回限りの夢なんだから、知らなくてもいいでしょ。どうも私は捨てられるようだし」

「へぇ?」


 片眉を上げて少し面白そうに笑うハムナ。それを横目に、少女はナターシャの方を見上げてにらみつけた。


「あと、そこの……えーと、一応私のお母さん? まあ、さっき死ぬとか言ったけども、これ夢だから私の本体は死なないと思うし、いらないなら捨てていけば? 私は適当にやるから。でも母親ならその根性はどうかと思うけど」


 嫌味をこめて少女がそう言えば、ナターシャは忌々しげな顔をして少女を睨みつける。そして急激に距離をつめて少女の首を締め上げた。


「そう? アンタみたいな腐敗物を連れて帰るよりマシよ。天人族もどきなんか連れて帰ったら、あたしの品格が疑われるわ。忌々しい子。殺す? 魔族にも天人族にもなりきれない腐敗物。腐敗天使とでも呼んであげましょうか?」


 子を産んだばかりの母親が、その産んだ子の首を絞めているというのに、ハムナはそれをただジッと見つめるだけで何も言わない。やがてナターシャは背中から大きな紫色の翼を出すと、少女を放り投げて飛び去って行った。地面に転がされた少女はむせながらうずくまる。


「ゲホッ……ゲホッ……うえ……痛っ……何あれ……悪魔か……」

「どう見てもそうだろ」

「……そうだろって……この世界はどういうところなの……?」

「“知らなくていい”だろ?」


 ニヤリと笑ったハムナは、先ほどの少女の言葉を繰り返して赤黒い翼を出す。そして立ち上がって何度か羽ばたかせると、少し迷って少女を見た。


「お前は今から“カムナ”だ」


 それだけ言うと、ハムナは満足げに口角を上げて飛び去っていった。

 少女――カムナは、なぜ自分を捨てていく親が自分に名をやったのか不思議だった。それに、どうして自分とよく似た名を付けたのかも不思議であった。まるで愛着がわいたかのようなその行動。ただ、それを問うべき相手はすでにいない。


「……お父さん、からは……思ったよりも嫌われてはいないみたい……? まあ、置いていく時点で愛着なんてないんだろうけど」


 ポツリとつぶやいたカムナは、大きなため息をついて空を見上げた。その空は真っ赤な色が広がり、黒い雲が浮いている。


「……ああ! 魔界か! きっとそうだ!」


 突如閃いた考えに、カムナは手を打って納得する。そして急に不安になってきた。

 なぜなら自分の姿が赤ん坊だからだ。魔界と言えば血も涙も無い輩のはびこるところ、というイメージがあったので、たった今自分を捨てていった両親など、殺さなかっただけマシなのかもしれないとすら思えてきた。

 夢であればたとえ死んでも構わないとは思ったものの、痛みがあるのなら別だ。


「困ったなあ。なんかやたらとリアルな夢だから、この夢を楽しむためには超人的な能力がないと無理かも……でもお父さんは私に魔力が無いって言ってたし……それに天人族の色って言ってたっけ? どんな色かわからないけど、あの調子じゃあ魔界でそんな色を持っていたら直ぐに殺されそう」


 どうしたものかと思いながらしばらくボーっと空を見ていると、すぐ横にドンと何かが落ちる大きな音がした。

 大きな音に驚いて飛び跳ねながらそちらの方を見れば、先ほどまでここにいたナターシャの首が落ちていた。


「……おかあ……さん……」


 一体誰が殺したのか、なぜここに首が落ちてきたのか。

 カムナには全くわからなかったものの、ここにいたら自分もこうなるのだと思い、すぐに場所を移動することにした。


「うわ、歩きにく!」


 よろけながらも何とか歩く。

 両親のように翼が出せれば、と背中に意識を集中させるも、肩甲骨の辺りがムズムズするだけで何も出なかった。


「夢なのに気が利かないなあ……」


 仕方なく森の中を歩く。獣道に沿ってトボトボと一人で歩いていく。そして時折獣の声が聞こえてビクリと身を震わせるはめになった。


「……疲れた」


 カムナはどれほど歩いたかわからない。

 赤ん坊なので実際数十メートルも進んだかわからなかったものの、ふと横を見たときに水音がすることに気づいた。その途端に喉が乾いていることを自覚し、水音のする方へ行く。

 やがて見つけたのは、この環境に似合わず綺麗な透明の水を持つ川であることがわかった。


「綺麗……」


 川には魚はおろか生物の気配すらしないものの、何かうごめくものがいるよりはマシだと思った。魔界であれば、ただの魚のように見えてもピラニアのように凶暴かもしれないと思ったのだ。

 そして川を覗き込み、自分の容姿が両親の言うように全く両親と色が違うと知った。

 短い髪の毛は淡い金色で、目は子供のときに見たような濃く深い空の色である。肌は雪のように白く、自分本体の面影は微塵も無い。どちらかと言えばハムナの顔に似ていると気づき、カムナはナターシャじゃなくて良かったと思った。


「これ、飲めるのかなあ?」


 手にそれをすくってニオイをかぐ。特に変なニオイはしなかったので飲んでみようと口に近づけたとき、後ろから声をかけられた。


「死にますよ。それを飲むと」


 ボタボタと口をつけなかった水が手の隙間からこぼれていく。水は全て川に戻り、カムナはひきつる顔のままゆっくり後ろを振り返った。

 そこには自分と同じような色彩を持つ恐ろしく綺麗な男がいて、手を後ろで組みながら胸を張り、カムナを見下ろして偉そうに立っていた。男は自分で話しかけておきながら、カムナと目が合った瞬間わずかに目を見開いて驚いたような顔になる。一体何に驚いたのだろうとカムナが不思議そうな顔をすれば、男はすぐにその表情を消して口を引き結び、眉間にシワを寄せた。


「死ぬ……ありがとうございます……あの、あなた綺麗ですね」


 そう言ってさらに男の眉間にシワがよったのを見て、カムナは失言であったことに気づく。

 しかし男は本当に綺麗であった。両親も非常に綺麗であったものの、これはそれを遥にしのぐ美しさである。中性的な顔立ちなのでカムナは一瞬迷ったものの、体系が男であるのを見てようやく「この人は男か」と気づいたくらいに美しい。

 黄みがかった銀色の髪はおかっぱに切りそろえられており、片側の耳が出るように髪の毛をかけている。その耳には濃い赤のピアスが下がっていた。ハムナと違って白を基調とした服を着ており、カムナは悪魔と言うより天使だと思った。


「喉が渇いているのですか? あなたは天人族ですか? それとも魔族? なぜここに一人で? 両親はどうしたのです」


 男は矢継ぎ早にそう言い、怪訝な顔でカムナを見つめる。


「言葉が話せるようですが、もしかして魔族の新種ですか? 天人族に擬態しているとか。だとしたら悪趣味としか言いようがありませんが。それに我が王に報告しなければなりません」

「あの……」

「あなたからは神力が感じられませんね。同じように魔力も感じられませんが、それを隠しているのだとしたら脅威です。我が天人族は慈愛深い一族ですから、情けをかけようと近寄ったところをやられてしまうのでしょう」

「疑いすぎじゃないですか……?」


 淡々と話す男にかろうじてそう言えば、男は一瞬言葉に詰まって視線をそらした。

 カムナが苦々しげな表情になった男を見ながら「天人族……慈愛深いってことは、やっぱり悪魔じゃなくて天使だよなあ」と思っていると、男はチラリと視線をカムナに戻して口を開く。


「……本当は私だって心が痛いのです。他者を疑うなど魔族の所業。ですが、私達の同胞を守るのが私の仕事です。疑わずには始まらないので、私は断腸の思いであなたを疑うのです。それにあなたが魔族であった場合、私はあなたに情けをかける必要がありません。だって魔族は我が天人族が唯一殺し、疑い、憎く思う種族なのですから」


 最後の一言を聞いて、カムナは自分が魔族の女から産まれたかもしれないということを黙っておこうと決意した。


「それで……」


 男は鋭い目つきでカムナを見つめる。


「あなたはいったい何なんですか?」


 カムナはごくりと唾を飲み込んで、ゆっくり口を開いた。


「私は、カムナです」

「名ではありませんよ。種族は?」

「わかりません。気づいたらここに。そういうあなたは?」


 男に質問させないようカムナが質問すれば、男は一瞬迷って小さくため息をついた。


「あなたからは全く魔の気配がしませんね。本当に新種の魔族だとしたら恐ろしいのですが、それに万が一あなたが我々の仲間だとしたら、あらゆる点において非常に困ったことになりそうだ」

「……私の質問には答えてもらえないんでしょうね」

「ですがその色は魔族には出せるはずが無い。となればやはり天人族としか言いようがないですが……我々の一族が魔界に子を捨てるなどありえない。ああ、盗まれた可能性もあるのか。だとしたら、魔界調査担当の私はあなたを急いで国に連れて帰る必要がありますね」


 男はひたすらカムナを無視して、一人何か納得すると、筒を取り出してそれをあおった。そしてカムナの口に自らの唇をつけると、そこから水を口移しする。一瞬戸惑ったカムナも、「まあ夢だし相手はイケメンだし役得役得」と自分を納得させると、ありがたく水を頂戴する。男はカムナの口の端から流れる水を拭いながら、これを何度か繰り返した。


「もう水はいいですか?」

「はい、ありがとうございます」

「……あなたはよく話すわりに神力が全く無いのですね。てっきり能力が高いのかと思いました。いったいどういった進化を遂げればそのような子が産まれるのやら。魔族と天人族の混血などはありえないし……ああ、それでも我が一族が子供を見捨てることは無いので、やはりあなたは誘拐されたという説が濃厚でしょう。まあ、いいです。私に拾われたからには、きちんと両親の元へ送り届けますよ」


 そう言って男は自分のマントでカムナを包んで抱き上げる。そして何かを思い出したように「そうでした」とつぶやいた。その背から純白の翼を出しながら、綺麗な笑みを浮かべる。


「言い忘れていましたが、私は天人族で、魔界区域の調査を任されている者です。名はウルバラ。我々の国へ参りましょうか、カムナ」


 こうしてカムナはウルバラにより天人族の住む天界へと連れて行かれることになった。

 これがウルバラとカムナの出会いである――……




* * * * * *




「もう今日はこの辺にしましょう」


 天界へ連れてこられて早六年が経っていた。裸の赤ん坊だったカムナは身長が百二十八センチまで伸び、髪をウルバラと同じおかっぱに切りそろえている。それから翼も生えた。天人族と同じ、純白の翼だ。

 ところで「この辺にしましょう」と言いながらわずかに顔をしかめたのは、教育係のペルサという天人族・天使種の女だった。ウルバラのつけた教育係で、勉強をすれば神力も芽生えるだろうということで、全く神力がないカムナのためにつけられた。

 そして当然のことながら親が見つからなかったため、普段はウルバラと生活を共にしている。


「ありがとうございました」

「いいえ。あなたに必要なことです。素晴らしい徳と知識を積めば、あなたもいずれ素晴らしい天使になりますよ。そうしたら一族に受け入れられるでしょう」


 口ではそう言っているものの、その顔に浮かんだ笑顔が作り物であることは、その笑顔を向けられているカムナが一番良くわかっていた。

 そしてそれ以外にも、わかったことがある。それは自分が“お優しい天使様”の一族間でも疎ましがられているということ。

 ウルバラがつれてきたのは天人族の中の天使種であり、彼らは人が言うところの天使であった。みな慈愛に満ちた人ばかりである。本当に優しく、彼らの間には悪が無い。

 しかし、そんな彼らですらカムナを見て顔をしかめるのである。それは本能的に魔族であると気付いていたからだ。カムナから全く神力が感じらず、その代わりに魔の臭いがするところにも理由があった。

 ところが、魔力を持っていないのと天人族の色を持っているのとで一応は天人族である、という認識に落ち着いた。だが中途半端なカムナを、一族の者たちは影で“腐敗天使”と呼んでいた。天使として腐敗しているという意味をこめて――


「天使も悪魔からすれば悪党……ってね」


 去っていくペルサ。遠くの方で同僚につかまり、何かを話している。その口が確かに“腐敗天使の相手をしていた”と動いたのを見て、カムナはわずかに口角を上げた。


「……天使なのに、悪魔のお母さんと同じ言い方をするんだ」


 ポツリと言った言葉は、誰にも届かない。

 自分が受け入れられていないのはわかっている。自分が悪魔の子であるがゆえに、天使たちが本能的に避けていることも。そして天人族の上の人間が、ようやく「やはりあの子は魔族の子ではないか」と言い始めたことも。

 それでもカムナは悲しくなかった。これが夢だと信じているから。いずれ終わる夢に、心をかき乱されることなど無い。


「今日の勉強は終わったのですか?」


 そう言いながら入ってきたのは、ウルバラであった。

 相変わらずの無表情であったが、カムナはウルバラが好きだった。ウルバラは裏表がない。仕事となれば眉間にシワを寄せたりするものの、プライベートともなるとほとんど表情が動かないのだ。悪いとも良いとも言わないものの、熱心にカムナの面倒を見ている。一度仲間が「なぜ腐敗天使を熱心に育てているのか」と聞いたとき、ウルバラは珍しく同族に向けて忌々しいものを見る目で顔をしかめ、「天使が同族にそのような差別的な発言をするとは」とつぶやいたのだった。

 これを聞いたカムナは、ウルバラは自分の味方であると確信した。


「うん」


 にっこり笑って言えば、ウルバラはわずかに口角を上げる。

 最初は何を考えているのかわからなかったカムナも、長くウルバラと過ごすうちにこういった微妙な変化に気づくようになった。怒っている時は大抵眉間にシワがよる。それも極々わずかで、同族にはほとんどそれがわからない。でも、カムナにはわかったのだ。

 そしてカムナは思う。

 この人は人間くさい天使だと。


「来なさい、カムナ」


 ソファに腰掛け、カムナを呼び寄せる。そして自らの膝の上にカムナを乗せると、ギュッと抱きしめてその頭に鼻を埋めた。

 ウルバラはカムナと生活をするようになって、スキンシップが増えていった。例えばこうして一日に一度は、必ずカムナを抱き寄せて話す時間を取るのだ。そしてカムナはこの時間が好きだった。


「……ウルバラ? 大丈夫?」


 そんな無表情のくせに心優しいウルバラが、今日は少し暗い。

 それに気づいていたカムナは、きっと自分のことで悩んでいるに違いないと思った。なぜなら、自分の存在のせいでウルバラが同種から色々と言われているのを知ったからだ。


「カムナ……今、あなたの立場は非常に微妙です」

「そうだろうね。私は、天人族っぽくないもの」


 ケロッとしてそう言うカムナに、ウルバラは顔をしかめる。


「相変わらず子供らしくない子ですね」


 ウルバラはしばらく考え事をして、小さくため息をつくとカムナを抱きかかえてマントを取った。そしてそのマントを身にまといながら、その中にカムナを包み込む。


「私、今日はもう仕事がないんです。散歩にでも行きましょうか」

「うん」


 嬉しそうにそう言うカムナに、ウルバラは再びわずかばかり口角を上げた。

 玄関を出れば、外は綺麗に晴れており風一つ無い。時折鳥のさえずりが聞こえ、花の香りがふんわりと漂ってくる。カムナはいつもこの光景を見ると「ここが天国か」と思う。


「散歩、久しぶりだね」


 楽しそうにそう言うカムナを見て、ウルバラは短く「そうでしたっけね」と返す。

 周囲の視線が、ヒソヒソ話す声が、ウルバラの神経を逆なでしていく。

 ウルバラが散歩になんか来なければ良かったと思い始めたとき、カムナがウルバラの服を引っ張った。


「……どうしましたか?」

「ウルバラ、あっち。あっち行きたい」


 そう言って指をさしたのは、“最果ての森”だった。ここは魔界とつながっている森で、これを越えて狭間の渦へ入れば魔界に行けるのだ。ウルバラは仕事でよくここえ来る。

 そしてウルバラはここが嫌いだった。天人族であれば誰でも嫌いだが、その中でもウルバラは特にここが嫌いだった。この先はカムナと出会った場所だからだ。ウルバラはカムナと出会えたことは幸福だと思っていたが、その反対の思いも感じていた。すなわち、不幸であると。


「いけませんよ。ここは恐ろしい魔族が住む場所に近いのですから」

「お願い、ウルバラ。ちょっとだけ」


 熱心にそう言ってウルバラの顔を覗き込むカムナ。

 しばらく二人で見つめ合ったあと、ウルバラは大きくため息をついて最果ての森へと歩き出した。


「……少し、だけですからね」

「ありがとう」


 楽しそうに笑うカムナに、ウルバラの目も和らいでいく。

 しかし、ウルバラはこの決断を大いに後悔することとなったのだった。




* * * * * *




「やっぱり、お父さんだ」


 一人の不機嫌そうな表情を浮かべる魔族に向かって、カムナがポツリとつぶやく。

 その手には惨殺された天人族の遺体があった。

 カムナがつぶやいたことによって、その魔族――ハムナの視線がカムナたちに集中する。


「…………」


 背まで髪の伸びたハムナ。しかし、他は何も変わっていない。

 ハムナはしばらく顔をしかめてカムナを見つめ、一瞬視線をそらしてから何かに気づいたような顔になる。


「……ああ、カムナか。お前、生きていたんだなあ。しかもこんなところで」


 特に感情もなくそう言う。

 すると、カムナを抱くウルバラの手に力がこめられた。


「どういうことですか」


 ポツリとつぶやいたウルバラには誰も答えない。

 しかし、ハムナはウルバラを見てニヤリと笑うと、意地悪そうにこう言った。


「カムナ。可哀相になあ。天人族なんかに盗まれて。俺はお前がどこにいったのか心配してたンだ。本当だぜ?」


 両手を広げてみせる。手に持っていた天人族の遺体はどしゃりと落ちて血を跳ねさせるものの、全く気にしたふうでもなく、ハムナは数歩だけカムナへと歩み寄った。


「さあ、来いよ」


 カムナは答えない。

 それにつまらなそうな顔をしたのはハムナだ。


「嫌なのか? お前に名をつけてやったのは誰だ?」

「お父さん」

「だろう? 俺と一字違いだ。魔族がそんな愛情深い名づけをすることなんざ、滅多にねぇんだぞ? 見てみろよ、その天人族の驚いた顔」


 その言葉通り、ウルバラは名づけの経緯を知って、そしてそれをカムナが否定しないのを見て、非常に驚いていた。

 ハムナは滅多に無いと言ったものの、どちらかと言えば“ありえない”の方が正しかった。だいたいは適当に名前をつけたり、そもそも名前付けなかったりするのが魔族である。

 そして急に不安になった。

 ――もしかしたら、カムナは目の前の魔族と帰りたいのではないかと。


「……カムナ」


 ウルバラの呟きがあたりに響く。


「どうすんだよ、カムナ。俺と来るだろ?」


 ニヤニヤと意地悪そうに笑うハムナを見て、カムナは薄っすら笑った。


「行かないよ」


 それを聞いたハムナはさらに笑みを濃くすると、フンッと鼻を鳴らす。


「そうか」


 二度ほど手を振り、ハムナは一人去っていく。

 その後姿が見えなくなるまで、二人はジッとその後ろ姿を見送っていた。

 いや、正確に言えば、ウルバラは動くことができなかった。




* * * * * *




「ねぇ、カムナ」


 夜、真っ暗の家の中。

 散歩から帰ったあと、急に仕事が入ったと消えたウルバラは、夜中に戻ってきてカムナの前にボウッと立っていた。

 電気もつけず、お互い黙って見詰め合っている。

 たった一言発せられた「ねぇ、カムナ」から、だいぶ時間が経った。それでも、ウルバラはなかなか口を開かない。


「ウルバラ――」

「あなたはどうして、あの魔族と帰らなかったので――」


 ウルバラがカムナの言葉をさえぎる。しかしカムナもウルバラの言葉をさえぎった。


「天人族は――私を殺すんでしょう。殺せって、言われたんでしょ?」


 カムナがそう言えば、ウルバラはビクリと肩を跳ねさせた。それを見て、カムナは当たりであることを確信する。

 そもそも、昼間、あの場所にハムナがいるという確信があって、カムナはわざとそこへウルバラを導いたのだ。いるような気がした。気配を感じた。

 あの時、なぜハムナがそこにいたのかなんて知らなかったものの、それでもそこにハムナが来ているということが重要だったのだ。

 カムナには、これ以上ウルバラが同族に白い目で見られないために、自分の擁護しようがない“罪”を作る必要があった。そして天人族の掟に比較的忠実であるウルバラが、絶対にそのことを報告しに行くと知っていてそうした。

 しかし、カムナは気づいていなかった。ウルバラが“カムナの正体に気づいていながら、六年もカムナを育てていた”だなんてことは。しかし、今回の件は言い逃れできそうもないことで、さすがのウルバラも報告せざるを得なかったのだ。そういう意味で言えば、カムナの作戦は成功であったと言える。

 ウルバラはそんな自分の本能が非常に憎かった。


「あなたは意地悪ですね。さすが、魔族と言いますか」

「ごめんなさい」

「私があなたを殺したくないと知っていて、そう言うことをするんですから」

「ごめんなさい……」


 困ったように笑うカムナを見て、ウルバラはどちらが大人なのか分からなくなっていた。

 まるで「困った子ね」と言われているようで。


「私が同族に色々と言われているのを、知っていたのですか」

「うん」

「私があなたをどんなに庇っていたのか、知らないのですか」

「ううん」

「私があなたをどれほど家族だと思っているのか、知らないのですか」

「知ってる」


 部屋に、静寂が訪れた。


「長い……夢だったなあ。ちょっと寂しいと思っちゃうくらいには、ウルバラのことが好きだよ」

「……ねぇ、カムナ」

「ん?」

「私は、残念でなりませんよ」


 その一言に、カムナは色んな意味が集約されていることに気づいた。

 しかし次の瞬間には、カムナの首にウルバラの手がかけられ、その首は一瞬にしてボキリと折られた。

 ウルバラの目からは、涙が一筋落ちていく。




* * * * * *




「カムナ」


 ウルバラがポツリとつぶやく。

 手に持った肉塊。そして骨。

 生の血が滴る肉をもぐもぐと食べながら、ウルバラはただ静かに泣いていた。


「カムナ」


 黙って口を動かしているウルバラの目には、何もうつっていない。


「カムナ」


 やがて全ての血肉をとったウルバラは、その骨を丁寧に舌で舐めあげた。


「ああ、カムナ……」


 鼻を寄せ、その匂いをかぎ、骨に舌をはわせる。体の中心が熱くなっていく感覚におちいり、ウルバラはため息をついた。


「とても、良い匂いがする――……」


 大きく息を吸い込んで、ウルバラはポトリと涙を零す。


「カムナ……私のカムナ……」


 骨に吸い付くようにキスをして、頬ずりをする。


「可愛いカムナ」


 ウルバラが初めてカムナを見たとき、とても美しい“魔族”だと思った。それと同時に信じられないくらいの衝撃が体を襲い、心臓が早鐘を打つように暴れ始めた。

 ウルバラは、カムナが魔族だと知っていて、連れて帰ってきたのだ。見た目が天人族とかわらないので、もしかしたら同族を騙せるかもしれないと思って。必死に自分に言い訳をしながら、長々と魔族の前で話し続けた。

 本来であれば気配を悟らせる前に殺すというのにだ。


「私の……私だけの……カムナ……もう誰にも邪魔されない……」


 堕ちていった。

 常々、何故堕天使が産まれるのかと不思議に思っていたウルバラであったものの、ウルバラはカムナを見た瞬間から、自分は堕天使になるのだと確信した。元々自分は天使らしくない性格だとは思っていたものの、それがこうも容易く崩れ去っていくとは思いもしなかった。


「……カムナ……?」


 しばらくカムナの骨を舐めていたウルバラは、その骨が冷たいことに気づく。


「どうしてそんなに冷たいのでしょうね。さっきまで、とても温かかったのに。寒いですか?」


 どこから、おかしくなってしまったのか。

 何が、おかしくさせたのか。

 ウルバラには全くわからなかったものの、知ろうとも思わなかった。


「ねぇ、知っていますか? 天人族には家族の絆を結ぶ“セフィロトの木”があるのですよ。そこにあなたの骨を埋めてあげましょう。そうしたらあなたはまた私と出会うことができますから」


 ウルバラは骨を抱え、大事そうに頬を寄せる。


「大丈夫ですよ。毎日会いに行きますから、寂しいだなんて思わないで下さい」


 血肉を喰らった天使は堕ちた。

 悪魔に魅了された天使は堕ちた。


「さあ、行きましょうか――私のカムナ」


 ゆらりと立ち上がったウルバラの目は、いつもと変わらない綺麗な目をしている。

母、ナターシャを殺したのは誰なのか……

続編もありますので、お気に召しましたら。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読んみてこの続きがとても気になります。
[一言] 返信ありがとうございました! ウルバラがそれを知っていて、尚且つ黙っていたと伺い、なんとも切なくなりましたが、もう一度読み込んでみたいと思いました。 前の感想でよりにもよって、主人公の名前…
[良い点] もともと私は残酷描写が苦手なのですが、シバさんの作品にはグロさを感じさせない何か惹き付けられるものがありますね。 じんわりと後に何か残るような感じで、何度も読み返しては余韻に浸っています。…
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