クリスマスには爆発しない
当作品は「ヒツゼンセイ」のアフターストーリーです。ネタバレですが、単品でも読めるはずです。それと作者に東京を持ち上げる意図も貶す意図もありませんのであらかじめ。
日本には、クリスマスの日には恋人と過ごすという不思議な風習がある。
そのため毎年この時期になるとやれ爆発しろだの中止しろだの怨嗟の声が飛び交うのだが、本家キリスト教圏では家族団欒の日となっているらしい。
一体誰がキリストの降誕祭を幸福と嫉妬の入り乱れる日に変えてしまったのだろう。当のキリスト殿も迷惑しているだろうに。
そんな風なことを俺がふざけ半分に語ると、彼女はややあって口を開いた。
「宝石業界辺りの陰謀じゃないですか」
そんな言葉が彼女から出るとは思わなかったので俺は噴き出し、彼女は顔を赤らめてそっぽを向いた。
でもまあ確かに、バレンタインデーも製菓業界の陰謀だというしな。本当かどうか確かめる気にもならんが。
早いもので、彼女と付き合って2年弱になる。途中色々とあったが、まあいい思い出だということにしておく。
去年のクリスマスは丁度その「色々あった」時期なので、彼女と一緒に迎えるクリスマスは今回が初めてだ。
かと言って特段いつもと変わったことをするわけでもないのだが。夜になったらそれぞれの家に帰ってケーキでも食べるのが健全な高校生であり、本来の過ごし方というものだ。
家にあるのはショートケーキだったはずなので、俺はレアチーズケーキを頼んだ。彼女はティラミス。普段の喫茶店とは値段が倍近く違うが、今日ばかりは財布の紐をこじ開ける。こじ開けたところで大して入っていないけどな。
「美味しいです」
「うん、美味しい。た……本に載るだけのことはある」
「大丈夫です。自分の分は払いますから」
読まれてしまった。
「い、いや、それはさすがにかっこ悪すぎる」
「私は気にしませんから」
「いや、男として、この日ばかりは奢らせてください」
先程クリスマスは宗教的行事だ何だと言ったのは誰だったのやら。ダブルスタンダードと笑うがいいさ。
……そう考えると真っ先にカズの得意気な顔が浮かぶのは何故なのか。お前は笑うな。ムカつくから。
ふと携帯を見ると、当の本人からメールが来ていた。たった1行。
『メリークリスマス! 爆発しろ!』
見なかったことにした。
結局ケーキ代は奢らせてもらい、その後は街中を歩いた。互いに互いのプレゼントを身に着けて。
俺は彼女のくれたマフラーに首をうずめる。「手編みでなくて恐縮なのですが……」と申し訳なさそうに言われたが、別に気にしない。
彼女は手先があまり器用ではない。性格とか経験の問題ではなく、病気によるものだ。
彼女が指の形を気にするからというわけでもないが、俺は手袋を送った。指の間に仕切りが無く、あまり手の形に左右されないタイプだ。
ちなみにカズには伝えてないし相談もしていない。何だかんだ言われるのは分かりきってるからな。
特に目的も無く彷徨っていると、彼女が口を開いた。
「先輩」
「ん?」
「先輩は……東京に、行くんですよね」
「ああ」
少し言いにくそうだったが、それだけで言いたいことは伝わった。俺も心なしか声が暗くなる。
早いもので、彼女と付き合って2年弱になる。それはつまり、俺の高校生活も終わりに近いということだ。
ウチの高校は進学校で、毎年そこそこの数の生徒がそこそこの大学へ進学する。俺も悩んだ末に東京の大学を志望し、悪くない判定を得た。
彼女のことを考えないわけがなかった。だが、彼女はあと1年高校に通うわけだし、その先どうなるかなんてまだ分からないだろう。
「休みには戻ってくるよ。毎日メールもする。だから……」
初春の告白とはまた違った気恥ずかしさと不安。しかしこの話題を切り出された以上、言わないわけにはいかない。
「待ってて、くれるか?」
別に向こうに永住すると決まったわけじゃない。現代はメールもネットもあるわけだし、遠距離恋愛というのも、まあ悪くない。
しかし彼女は押し黙った。即答してくれるとばかり思っていたわけでもないが、焦りがじりじりと心を苛む。
迷っている? 何故? それが意味するところは? まさか?
時間が経つにつれて大きくなる不安に押しつぶされそうになる。だからといって彼女を急かすわけにもいかない。嫌な沈黙だった。
だから視界に知り合いを認めたとき、逃げずにむしろ話しかけに行ったのも、仕方ないことだったのだと思う。
冬の日暮れは早い。仮に停電になればとても歩けないであろう中、帰途につく。
口数は少なかった。多くのカップルが当然抱える問題のはずなのに、どうすればいいのか分からない。
やはり、地元の大学に行くべきなのだろうか。しかし、地元に残るためだけに大学を選んで、後悔しないだろうか。
ここは潔く別れるべきなのだろうか。しかし、そう簡単に彼女を思い出としてしまっていいのだろうか。
遠距離恋愛は難しいという。いくら顔が見られても、声が聞けても、意思疎通ができても、存在を実感することはできない。
どんなに親しい相手でも、存在しなければ、いつしかその影は薄れていく。
それは本能としては正しい反応だ。死んだ人を、別れた人を、いつまでも追い求めるのはエネルギーの浪費というものだ。
しかし現代の俺たちは通信手段を得てしまった。
視覚と聴覚だけの情報。中途半端な存在感。
それは、俺たちをつなぎとめておくのに足るものだろうか?
この沈黙が、その答えなのかもしれない。
「先輩」
別れ際に、彼女が俺を呼び止めた。
俺は振り向く。ただでさえ読めない彼女の表情は、薄明かりの中で何も感情を伝えてはくれなかった。
「何だ?」
「……」
彼女は言い淀む。胸がざわつく。
「……私のわがまま、聞いてもらえますか」
「……大抵のことなら」
俺たちは見つめ合う。ロマンチックな響きはどこにも無い。夜風が寒かった。
「私は、先輩を待ちません」
「……」
やはり。
やはりそうなのか。
青天の霹靂と言ったら嘘になる。
俺は目を背けてきただけだ。
全てに始まりと終わりがあるという事実から。
「私……」
聞きたくない。逃げ出したい。
でも、それは恋人としてやってはいけない。
権利も義務も、双方にある。
だから――
「私も、東京に行きます」
「え?」
思いもよらない言葉に虚を突かれる。完全に理解するより先に、彼女が言葉を続けた。
「私も、卒業したら、東京の大学に行きます。最短でも先輩の1年遅れになりますけど……」
やっと言葉が脳全体に浸透する。
「……えっと、い、いや、嬉しいけど、それはどうなんだろう。別に離れていても連絡は取れるのに、それだけで将来を左右する選択をするのは……勿体無いというか……」
心にも無い、とは言わない。ただ、発せられた言葉が今の俺の感情に正直でないことも確かだった。
勿論嬉しい。だがそれは彼女の人生を歪めることにはならないだろうか。
喜びと不安の入り混じった騒がしい感情。脈が速い。
「それだけ、じゃありません。考慮する要素の1つにするだけです。行きたくないところに行くわけでもありません。同じ大学ではないと思います。住む場所もすぐ近くにはならないかもしれません。それでも…………」
彼女の顔が赤くなっているのが、薄明かりでも分かった。俺のほうは言わずもがな。
「……それでも、待っててくれますか?」
断る理由が、どこにあろうか。
帰宅して携帯を開くと、カズからのメールが残っていた。
『メリークリスマス! 爆発しろ!』
文面を読み直して、はたと思い当たる。
もしかするとこのメールは今日のことを予見していたのだろうか。
あの野郎、えらく勘がいい。交友関係の広さと頭の切れによるものなのかもしれないが、俺にすればどちらも同じだ。
まさかとは思いつつも、俺はメールを返した。
先のことは考えないようにしていた。
一人暮らしを始めて、新しい環境で新たな出会いがある。
それを前にして、俺は彼女との関係をどうすべきなのか。
未来が今になったとき、俺と彼女との関係はどうなってしまうのか。
考えたくなかった。モラトリアムを続けていた。
でも、いつかは決断をしなくてはならなくて。その「いつか」はもうすぐそこまで迫っていて。
心の底のわだかまりは、今はもう無い。
『メリークリスマス。爆弾は無事に解体した』