夏空と生徒会室
雲ひとつない空から降ってくるのは、夏休みが近づき、勢いを強める容赦のない日差し。それは、ジリジリと僕の周りの地面をこれでもかと照らしている。
今、僕が居るのは学校の屋上。屋根など、日差しを避けるものが一切ないため、灰色のコンクリートで作られた地面は肉でも焼けるんじゃないかと思うほどに熱い。春先は暖かくて居心地がよかった屋上も、今となっては生き地獄だ。ならば校内に入ればいいと、誰もが口をそろえるだろう。けど、僕にはサウナのような屋上よりも、校内のほうがよっぽど居心地が悪い。
原因は、髪の毛。
僕の通う私立、梅野高等学校は元々、お嬢様方の花園、格式ある女子高だった。しかし、五年ほど前に入学者数の減少などを理由に共学校になった。その後も様々な学校改革が行われ、大きく梅野高校は変化したらしいが、昔と今でまったく変わらない部分がある。
それは、厳しい校則。女子高時代から、「梅野ならウチの娘を安心して通わせられますわ」と街の奥様方は口をそろえて厳しさを褒め称えていると校長が入学式で自慢げに語っていた。県内一の進学校なのでアルバイトも基本禁止。脱色、パーマ、染髪なんて言語道断。その他もろもろと、とにかく校則の多い学校なのだ。
この校則に僕は見た目だけひっかかってしまう。僕の髪の毛は、お嬢様方とは真逆の色。
つまりは白い。何が原因なのかは今もわからないけど、ある日を境に僕の髪の毛は黒を失った。その白さを今まで生きてきて特に気にしていなかったのだけれど、この格式に満ち溢れた梅野高校では、気にせざるを得なかったのだ。僕を一瞥しておびえるように逃げ惑う女生徒。あいつ、ヤンキーではないのか、という噂話をする男子生徒などなど。家柄も良く大人しい人々が多く通うこの場所に、一見しただけでは地毛と分からない白い髪をひっさげて堂々と通うことは難しかったのだ。学校に事情は説明してあるので気にすることはないのだろうけど、教室にいてもクラスメイトに遠巻きにされるばかり。その状況が一年続いたのは結構、辛かった。
というわけで、僕は二年生の春から主に屋上で昼休みを過ごしている。学校内の整った設備と反比例するかのように屋上は過ごしにくく、僕以外の生徒がここに来ることは滅多にない。梅野高校唯一の不良、と生徒に噂されている僕が主に屋上にいるというのも客足を遠のかせているのかもしれない。そんなに僕は、いかついのだろうか。
「玉子焼き、甘いなぁ……」
僕は屋上の隅で弁当をつつきながら、すっかり慣れた独り言をつぶやく。今食べている弁当は姉のお手製だ。特徴としては、とびっきり甘い玉子焼きが挙げられる。姉は甘いものに目がないので、その余波が弁当にも表れているのだと思う。どちらかというと、塩を利かせて欲しいけど、文句は言わない。早起きして自分の分と僕の分、二つの弁当を作る姉の優しさには毎日感謝しているし、最近は、甘いのもいいかなと感じ始めたからだ。
玉子焼きを食べ終わり、赤いタコの形をしたウインナーに箸を伸ばしかけたとき、屋上に異変が起きた。ちょうど僕の居る位置から屋上入り口の鉄扉が見えるのだが、それがゆっくりと開いていく。まるで、くぐもった悲鳴のような音を辺りに響かせながら、さびで軋む古い扉が開かれると、そこに人影が見えた。屋上で人影を見たのは、久しぶりだった。その謎の人影はなぜか僕のほうへ、真っ直ぐ、ずんずんと迷いなく歩いてくる。
「君、そんな隅っこに居ると落ちるぞ」
僕の目の前に仁王立ちして、凛として澄んだ声で注意を促した人影。それは女生徒だった。学校指定である校章のワンポイントの入った白いワイシャツに、ピシッと赤いネクタイを締めている。赤は三年生のトレードカラーだ。長く綺麗な黒髪と他の高校比べ丈の長い灰色のスカートが、そよ風にゆらゆら揺れている。なんだか不思議と見覚えのある感じがした。この学校に入学してから悲鳴以外の会話を女の人と交わした記憶はないのに。
はたして悲鳴は会話にカウントされるのかとぼんやり考えていると、女生徒の表情がみるみる険しくなっていく。少しツリ目気味の鋭いまなざしが僕に、僕の髪に向けられていた。
「ウチの校則、知ってるよな?」
その言葉でなんとなく用件がわかったけど、入学して以来、初めての質問だった。ここまでの直球は受けたことがなかった。僕はこくりと、冷淡で威圧的な声にうなずく。
「夏休みが近づいて、はしゃぎたくなる気持ちはわからなくもないが……決まりは決まりだ。さぁ、特別指導だ、弁当食い終わったらついて来い」
「あ、いや、これ地毛なんです。一応、学校にも許可とってます」
特別指導室に今にも連行されそうな雰囲気だったので、僕は急いで釈明した。すると、女生徒の険しい表情が憂いを帯びて、威圧感は消え去った。さっきまで僕の顔を射抜かんばかりに見据えていた目はうつむいてしまって、前髪に隠れ、見えない。
五秒ほどの沈黙の後、うつむき顔が持ち上げられた。すると、
「そうか……白い髪の生徒の話は少し聞いていたのだが、噂だと、こう……君とは似つかない野性的かつ凶暴な感じだったから気がつけなかった。気分を悪くさせて、すまなかった」
噂で自分がどうなっているのか非常に気になる。というか、なぜか謝られてしまった。
「そんな、気分悪くなんてしてないですよ。初めてです、この髪、直視して注意した人。だから、なんか、嬉しかったですよ」
この学校に来てから避けられてばかりで、こんなに真剣に扱われたことはなかった。不良という噂にとりついた幽霊みたいに、僕は生きてきた。そこに自分が居るのかもわからなくなるほど、息を殺して。だから、やっと見つけてもらえたみたいで、嬉しかったんだ。
「……言いがかりつけられて、嬉しいなんて変わった奴だな」
僕の言葉を聞いた女生徒は目を丸くしていた。それから、ふふ、と女生徒は笑った。険しさも憂いもなくなった上品な笑みを、僕は、素直に綺麗だと思った。
「私は、南、南千鶴だ。一応、生徒会長をやってる。君は?」
女生徒は笑みを浮かべたまま、自己紹介をしてくれた。なるほど生徒会長だったのか。見覚えがあったはずだ。入学式のとき、校長のさえない話の後で見事な挨拶を披露していた気がする。
「僕は、北見です。北見宗一です」
おう、よろしくな。と南先輩は僕の肩を軽く叩いた。なんだろう、上手い言葉が見つからないけど、いい意味で男らしい人だな。
その後、南先輩は何かを考えているのか、額に手を当て、目を閉じた。そして、良いことを思いついたとつぶやいて、ぱっと目を開いた。
「北見、今日は暑いだろう。風もぬるいし、日差しもきつい。さっきの無礼のお詫びと言ってはなんだが、生徒会室で一緒に弁当食わないか? クーラーあるし、ここより涼しいぞ」
生徒会室へのお誘いの言葉だった。学校で、お昼を誰かと一緒に食べるなんて、万に一つとない奇跡だ。飛び跳ねたくなるほど嬉しいけど……。
「いいんですか? お邪魔に、なるんじゃ」
「ならない、ならない。昼休みは仕事してないし。しかも今日は私しか役員が居ないからさ、全然気にしないでいい」
初対面の人と二人きりは緊張してしまうな、とか自分なんかが申し訳ないなとか色々考えたけど、嬉しさがそれらの思案を吹き飛ばしていった。高校で初めての意思疎通ができてる会話。一緒のお昼。下手したら涙が出てきてしまいそうだ。鼻の奥がツンとする。全身に鳥肌が立っている。返事する声が震えてしまわないか気を張り詰めながら、僕は、ご一緒させてくださいと、返事をした。
「ありがとう。うれしいよ、一人は寂しかったからな」
それは僕の台詞だと、口にしてしまいそうだった。
生徒会室は、校舎の二階にあるとのこと。高校に通って二年目だが、恥ずかしながら生徒会室があるなんて今日まで知らなかった。屋上の見慣れた鉄扉を開けて、階段を下りていく。屋上は五階にあたるので三階分、階段を下りる。まだ昼休みは始まったばかりだったので、午後の授業まではだいぶ余裕がある。一年は一階、二年は三階で授業が行われるので、二階に行くのは初めてだ。
二階に着き、案内するという南先輩の言葉に甘えて、僕は先輩の後ろを歩く。入り組んだ、僕にとっては未知の空間である校舎の二階を、南先輩は慣れた様子ですいすい進んでいく。
そして、授業が毎日行われているらしい教室とは離れた場所にある生徒会室にたどり着いた。さび知らずの真新しく見える白いドアには出っ張った丸く赤いマグネットがついていて、それに『生徒会室』と書かれたプレートが紐でぶら下がっていた。先輩がドアを開け、僕を手招きする。
「さ、入って。ちょっと今は蒸してるけど、すぐに涼しくなる」
緊張に包まれながら足を踏み入れた生徒会室は、ちょっとした会議室のようだった。長机が大きな長方形を作るように並べられている。部屋の隅にはコピー機。はさみ、カッターなど用具の名前の書かれたラベルが貼られた引き出しが沢山の棚。それから学校関係の資料と思わしき本が詰まった本棚が置いてあった。どこに座っていいか分からなかったので、とりあえず並べられた長机の隅の席に座る。
「なんだ、北見は隅っこが好きなのか?」
ためらいながら、うなずいた僕の隣にクーラーを操作し終わった南先輩が座った。距離が近い。机をくっつけてお昼を食べている生徒の感覚を久方ぶりに思い出した。中学以来だ。
「私も隅は好きだ、落ち着く。あ、けどほんとに屋上の隅は危ないぞ、フェンスぼろいし」
苦笑いをする先輩。机の上にはオレンジ色の弁当箱。どうやらこの部屋に置いておいたらしい先輩の鞄から、さっき取り出していた。僕も一度鞄にしまっていた弁当箱を取り出す。
今の屋上の話で思い出したことがあった。
「あの、なんで屋上に来たんですか?」
今日まで僕の姿を見て逃げた人は居たと思うが、話しかけられたのは初めてだったので尋ねてみる。口に運んだご飯を飲み込んで、先輩が口を開く。
「ん、完全にたまたま。一人で暇だったからさ、時間つぶしに校内を散歩してたんだよ。そしたら、特別指導対象と思わしき生徒を見つけたから声をかけた。それは私の勘違いだったけど」
それから互いに弁当をつつきながら、色々話した。おかずを交換したりもした。そして、話題は僕の噂の話になった。
とんでもない話なのだけど、僕は、巷では〝百人切り伝説を持つ最強の不良〟で、その喧嘩の強さは天下無双。見るもの全ての血の気を引かす睨みをきかし、もしも目をつけられたら最後、決して無事には卒業できない……など、みもふたもない話が飛び交っていることを先輩から聞いたときには開いた口がふさがらなかった。
「オカルト研究部の間では、学校の七不思議として扱われているらしい」
「うわ、怪奇現象と肩を並べるのは遠慮したいです」
だよなぁ、と眉をハの字にして先輩が笑う。つられて僕も笑った。
「話してみると北見は噂とは正反対って感じだ。なんかこう……実家の柴犬を思い出す」
「柴犬ですか」
「ああ、コジロウっていうんだ。利口ないい犬だぞ。北見の髪みたいに綺麗な白い犬なんだ」
「い、いやコジロウはきっと綺麗だと思いますけど、僕は違うんじゃ?」
コジロウとの思い出を振り返っているのか、腕を組み、目を閉じている先輩。
「なにをいう。北見も綺麗だ。雪みたいでさ」
なんだろう、ここまでベタ褒めされると、顔が熱くなる。それを冷ますために、急いでペットボトルのお茶を喉に流し込んだ。少し沈黙が続いた。ちょっと気まずい。
「北見、暇ならいつでも毎日でも弁当食いに生徒会室に来ていいからな」
オレンジ色の弁当箱に詰められた色とりどりの料理に目を落としながら、先輩がささやく。
なんで、この人は、ここまで言ってくれるんだろうか。
「おせっかいだとは思うんだが、屋上、人が寄り付かないだろ。だから、もし君が暑さで倒れても、見つけてくれる人が居ないかもしれない。それを考えるとな、心配なんだ」
心配。僕なんかに心を配ってくれるというのか。
どんな生徒にも心を配る。それが生徒会長なのかもしれない。みんなに心を配っているのだと思う。目の前の、どこまでも真っ直ぐな視線を見て、僕は息が詰まりそうになった。うれしさと、申し訳なさが入り混じる。原因不明の動悸が激しい。クーラーで涼しいはずなのに、僕は、屋上よりも暑さを感じている。
でもここは屋上みたいな生き地獄じゃない。校内で初めて、居たいと思えた場所だった。
「……明日も、来て、いいですか」
「ああ、もちろんだ。どんとこい」
目の前の真剣なまなざしは、明るい微笑をたたえながら、優しげな瞳に変わった。その瞬間、幽霊のようにおぼろげだった自分が、少しだけハッキリと存在できた気がした。このまま、僕は人間になれるだろうか。学校の七不思議からの脱出を当分の目標にしようか。そんなことを考えながら、僕は先輩に、お礼を述べ、甘い玉子焼きを食べる。
いつもと変わらないはずなのに、今日の玉子焼きは、一等、おいしく感じた。
お読みいただき、ありがとうございました!