表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

いつもの人

作者: 向こうの人
掲載日:2026/06/18

初投稿です温かい目で見てください;;

最初に気づいたのは、夜のコンビニだった。

雑誌コーナーの前に、ひとりの男が立っていた。グレーのジャンパーを着た、四十くらいの男。背が高いわけでも、低いわけでもない。太ってもいないし、痩せてもいない。どこにでもいそうな——というより、特徴が何ひとつなさすぎて、かえって記憶に焼きついた。男は雑誌を手に取るでも、棚を眺めるでもなく、ただ、レジに並ぶ僕のほうを、ぼんやりと見ているようだった。

目が合った気がして、慌てて視線をそらした。会計を終えて振り返ると、男はもう、いなかった。

気のせいだ。その時は、本気でそう思っていた。次に見たのは、三日後の駅のホームだった。反対側の、いちばん端。同じグレーのジャンパー。同じ、のっぺりとした無表情。電車がホームに滑りこんで、視界が一瞬さえぎられる。通り過ぎたあとには、もう、誰もいなかった。

それからだった。あの男は、僕の行く先々に、いつもいた。学校の正門の、向かいの歩道。土曜に寄った本屋の、ガラスの向こう。日曜の河川敷。塾帰りの、人気のない交差点。決して近づいてはこない。話しかけてもこない。ただ、視界のいちばん端に、いつも静かに、こちらを向いて立っている。

一度だけ、勇気を出して、近づいてみたことがある。男のほうへ、まっすぐ歩いた。あと十メートル。五メートル。——瞬きをした、その一瞬で、男は消えていた。あとには、ぬるい夜の風が残っているだけだった。

電車の窓に映った自分の、すぐ後ろに、男が立っていたこともある。振り返ると、車内には、僕のほかに、誰もいない。窓の中の男だけが、まだ、そこにいた。

友達に話しても、「気にしすぎだろ」と笑われるだけだった。並んで歩いているときに「ほら、あそこ」と指をさしても、友達には、何も、誰も、見えていなかった。

僕は、だんだん、まともに眠れなくなっていった。

そんなある朝のことだ。駅の階段を急いで駆け下りようとして、足がもつれた。落ちる、と思った。頭から、コンクリートの段に。——けれど次の瞬間、僕の手は、手すりをしっかりと掴んでいた。自分が、どうやってそれを掴んだのか、まるで思い出せない。荒い息のまま顔を上げると、ホームの端に、あの男が立って、こちらを見ていた。別の日には、青信号を渡ろうとした足が、地面に貼りついたように、動かなかった。なぜ、と思う間もなく、信号を無視した一台の車が、僕の鼻先を、猛スピードで走り抜けていった。風圧で、体がよろけた。心臓が、喉から飛び出しそうだった。向かいの歩道に、あの男が、やはり、こちらを見て、立っていた。

怖くなって、僕は押し入れの奥から、古いアルバムを引っぱり出した。確かめずには、いられなかった。あの男が、本当に、ただの知らない他人なのかを。

小学校の入学式。家族で行った、夏の海。七五三の、神社の前。——いた。どの写真にも。ずっと後ろの、にじむような人混みのなかに。少しもぼやけず、少しも歳をとらず、僕の知っている、あのグレーの服を着て。まっすぐに、カメラの——いや、その向こうの、僕のほうを、見ている男が。

僕が物心つくよりも、ずっと前から。あの男は、僕のすぐそばに、いた。

アルバムを閉じた手が、震えていた。そして、その時になって、ようやく気づいたのだ。あの男が姿を現すのは、決まって、僕が死にかけた、まさにその瞬間だった、ということに。階段。信号。思い返せば、もっと、いくつもあった。幼い頃、川でおぼれかけた夏。高い熱で、三日三晩うなされた冬。気づかなかっただけで、僕の人生は、数えきれないほどの「もう少しで、死ぬところだった」で、できていた。そして、そのすべての場面に、あの男は、いた。

男は、僕を見張っていたんじゃない。守っていたのだ。——何のために、誰のために守っていたのかは、わからない。考えると、背筋が冷たくなった。それでも、ひとつだけ、確かなことがあった。あの男がそばにいるかぎり、僕は、絶対に、死ねなかった。

そう気づいて、ほんの少しだけ、ほっとしている自分がいた。

今朝も、いつものように、家を出た。コンビニの前を、通り過ぎる。——いない。駅のホーム。学校の、向かいの歩道。どこを探しても、あの男は、どこにも、いなかった。生まれてはじめて、僕は、ひとりきりだった。

横断歩道の信号が、青に変わる。僕は、一歩、踏み出した。

今度は、足は、止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ