第21話 警察との交渉
頑なに住所も名前も言おうとしない春香に、警察はそれでは証言にならないからと諭した。恐らくは、この事を両親に知られてしまったら面倒な事になると懸念しているのだろう。
「……俺もこの人たちに個人情報を喋る必要は無い気がするな」
雑賀が呟くように言うと、俯いていた春香が「え?」と驚きの声を発し、雑賀の顔に視線を移した。春香だけじゃない、警察官も少し不快そうな顔で雑賀を見ている。だが、雑賀の視線はその誰も見てはいない。非常に冷たい印象を覚える無味乾燥な部屋で、その雰囲気に一役買っている灰色の机、その角の丸味に視線を送っている。
「警察への捜査協力は市民の義務ですよ? 何をおっしゃられてとるんですか?」
「犯罪者を捕まえるのは警察の業務ですよね? 街にはああいった輩がどこからともなく湧いて出ています。なのにあなた方はそれを放置している。なぜですか?」
お前らが職務怠慢だからこういう事になっていると暗に雑賀は非難した。被害者である春香に対し、まるで共犯者であるかのように接し続けている警察官に、雑賀も不快感を覚えてきていたのだった。
「なぜって、我々は通報が無いうちは動かれへんからですよ」
「本当にそれが理由ですか? それだけが理由ですか? 夜ならわかりますよ、でもあの手の輩は昼夜関係無く市民に迷惑をかけています。それは少し街を歩けばすぐにわかるはずです」
露骨に不快そうな顔をして、警察が身を乗り出して威圧をしてきた。その態度に春香がビクリとして雑賀の腕にしがみ付く。相手が弱いとみればこうして平気で威圧をかけてくる。そんな内弁慶な態度の警察を、雑賀はすっかり軽蔑してしまっている。
「うちら警察が彼らと繋ごうてるて言いたいんですか?」
「その携帯電話にはっきりと録音されていますけど、奴らは『薬』と言っています。それって麻薬の事でしょ? 恐らくあのチンピラってヤクザか何かでしょ。ヤクザと揉めるのが嫌だから、裏で提携して見て見ぬふりをしてるんじゃないんですか?」
警察官がギリギリと歯を食いしばって雑賀を睨みつける。そこに缶珈琲を抱えて、先ほどの年配の警察官が戻って来た。すぐに部屋の雰囲気の悪さに気付き、何があったのかと若い警察官にたずねた。こそこそと耳打ちをする若い警察官。すると缶を抱えた年配の警察官は「珈琲でも飲んでお前も落ち着け」と指示した。さらに雑賀と春香にも珈琲を差し出し、自分も缶の蓋を開けて飲み始めた。
「なるほどね。うちらは市民からそない風に思われとんのやね。心外やな。これでも毎日市民のためや言うて勤めとんのに」
「でも、あなたにも家族がいて、やくざに手を出したら家族が報復を受けるとか、そういう事は当然考えますよね」
「考えへん言うたら嘘になるやろね。上の人らかてそれは同じや。そやけど、うちらはやれる範囲でしっかり勤めを果たしてますよ。申し訳ないけども、何が言いたいんかわからへん。はっきり言うてくれませんかね?」
非常に静かで穏やかな口調ではあるものの、珈琲を持って来た年配の警察官も内心では苛っとしているのだろう。表情には出していなが視線が鋭くなっている。
「私たちもヤクザからの報復が怖いんですよ。ここで喋った事をあなた方がヤクザに漏らしてしまうんじゃないかって感じてるんです。それで報復を受けるんじゃないかって」
「そんなわけないやろ!」とすごんだ若い警察官を年配の警察官が手で制した。
「……なるほどね。うちらとヤクザが裏でズブズブやったとしたら、十分考えられる事態やわな。口ではそんな事にはならへん言うても、それが保障とはならへんやろし」
「住所と名前を名乗りたくないって気持ち、わかりますよね。そっちがチンピラを放置し続けてるのが原因でのこの事態なわけですから、こっちにだけ義務を求めてくるのは違うと思うんですよ」
静かに目を閉じ、年配の警察官は熟考に入ってしまった。その間、若い警察官はじっと雑賀を睨んでいる。その視線に恐怖し、春香は雑賀の服の袖をぎゅっと掴んで腕に顔を付けている。
「ほな、こうしましょうか。うちらは善意の市民から情報を提供された。そんで、それによってチンピラを捕まえる事ができた。ご協力ありがとうございました言う事で」
それに若い警察官は納得がいかないらしく、年配の警察官に抗議した。
「そんなん、どうやって報告書書くんですか! 後で課長に怒られてまいますよ。ここは嫌がられても、ちゃんと住所と名前聞いて報告書を書くんが筋やと思いますけど?」
「お前、もっかいよう警察手帳読めよ。俺らの職務は市民の安全を守る事で、上司に丁寧な報告書を提出する事やないぞ? 図らずも岡田組の尻尾掴めたんやぞ? しかも証拠付きで。それに何の不満があんねん」
すると、若い警察は拳を握りしめ、ダンと机に叩きつけた。その音に春香がびくりと体を震わせる。
「岡田組言うたかて末端やないですか! あんなん捕まえたところでなんやいうんですか!」
「ドアホウ! そういう態度が、この人らの不審の種になってるいうんがお前にはわからへんのか! そんなやからヤクザとズブズブや言われんねん。これで証拠の提出まで拒まれたらどないすんねん!」
若い警察官はぐうの音も出ずに黙ってしまった。そんな若い警察官を年配の警察官が鋭い目で睨みつける。
「あの……岡田組って有名な暴力団の、あの岡田組ですか? もしそうだとしたら、俺たちかなりヤバいんじゃあ……」
最初はその雑賀の質問を聞かなかった事にしようとした年配の警察官だったが、少し考え、雑賀の言う通りだと感じたらしく、渋々捜査内容の一部を話した。
「あいつらの乗ってた車、そこに岡田組の旗が置いてあったんですわ。あいつらは例え小ちゃい事でも、威厳を傷つけられたと感じたら徹底的に反撃してくる。確かに今回の件は報復を受ける可能性が高いでしょうね」
「家や職場が襲われたりという事があるという事ですか?」
雑賀の質問に年配の警察官はすぐには答えず、じっと雑賀たちを見ていた。小さくため息を付いた後で、こくっと一回頷いた。
「そんなんなるまで、あいつらを放っておいたうちらが信用ならへん言うんはわかります。そいでも、少しでも信頼してもらえるんでしたら、何かあったらすぐに通報してください。通報には対応する義務がうちらにはありますんで」
年配の警察官は最後に「頼りないと思うかもしれへんけど」と言って、力無く笑った。
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