第16話 篠原初勝利
「詩織ちゃんから聞いたんですけど、雑賀さん、春香ちゃんと別れちゃったんだそうですね。なんでなんですか? あんなに仲良かったのに」
「彼女の両親の猛反対を受けたんだよ。賭場で働くような奴は駄目だって」
「そんなん、本人の話なんだから、両親なんて関係無いんじゃないですか」
「彼女はそう言ってたんだけどな。あまりにも死ぬ死ぬ言われるもんだから、俺の方が心が折れちまったんだよ」
長井が憐みの目で雑賀の顔をじっと見つめる。そんな長井から顔を背ける雑賀。そんな二人を篠原が横目で見ている。
「久々に三人揃っての調整棟だというに、こいつらは何をそんなに牽制しあっているのやら」
ぼそっと篠原が呟いた。逃げ場の無い雑賀がついに顔を上に向けてしまう。そんな雑賀に長井がさらに畳みかける。
「春香ちゃん、あれからずっと情緒不安定らしいですよ。元々ちょっと精神的に弱いからって、詩織ちゃんもかなり心配してましたよ」
「ああ、もう! もうきっぱり別れたんだよ! 彼女の話はするなよ!」
「ほんとにそれで良いんですか?」
「その方が彼女のためなんだよ。元々住む世界が違ったんだよ。俺と彼女じゃあ」
ここまでの会話で、何となく色々と察した篠原が、長井に「もうやめてやれ」と忠告した。それに不満を覚えた長井が「でも」と食い下がる。それを篠原が左手を前に出して遮った
「俺の所はさ、奥さん中流家庭の人だけど、それでも結婚って話の時は揉めたよ。雑賀の彼女って、凄いお嬢さんなんだろ? 雑賀が心が折れたのもわからんでもないよ」
「でもですよ。俺たち別に人様に恥ずべき仕事をしているわけじゃないですよ」
「恥ずかしくは無いけど、危険な仕事をしているのは確かだろ。それも死と隣り合わせの。それについては長井だって否定はしないだろ? そりゃあ、両親からしたら、娘の末永い幸せを考えたら、うんとは言いづらいわな」
篠原は皆まで言わなかったが、金持ちのお嬢さんならなおさらだろう。それは長井もわかる。だが、理解はするが納得はいかないらしい。何かを言いたげな顔で、じっと雑賀を見ている。
「次は、もっと分相応な相手を見つける事にするよ。出会った時はわからなかったけど、いくらなんでも高嶺の花すぎた」
そう呟いた雑賀に長井が不快感を露わにする。だが篠原は長井の方をたしなめた。
「長井。分相応ってのはお前が考えている以上に重要な事なんだぞ。結婚して子供ができるだろ、そうなるとな、お互いの両親が何だかんだと買ってくれるんだけど、両家で金額に差が出るんだよ」
「他所は他所、家は家でしょ」
「俺のとこはそこまで貧富に差は無いけど、それでも嫁の実家が奮発するもんだから、気後れするよ。いや、お前がそんなの気にしないってんなら良いんだよ。でも気にする人は気にするんだよ。そういうもんだ」
そういうものと言い切られれると、個人差の問題となってしまい、長井としてもそれ以上の反論がしづらい。やるせないという気持ちを顔に出し、お茶をすすった。
「詩織ちゃんはどうなんだ? 実家が富豪だったりしないの?」
「どうなんでしょうね。俺は雑賀さんと違って、そういうの気にしないんで。逆に向こうから短期就労の給金しかないから、今日はお金がかからなそうなとこに行こうって言われるし」
「そっか。俺は上手くいかなかったけど、長井は上手くいくと良いな」
どうにも納得いかないという顔を長井はし続けたが、これ以上は平行線だと思って雑賀はそこで話を止めてしまった。
◇◇◇
翌日、『姫路特別』の予選の第一戦が行われた。
最初は第二競争の長井。
相変わらずの逃げ一辺倒ではあるが、その逃げにかなり磨きがかかってきている。道中、他の七頭を引き連れるように流れの早さを落とし、ゆっくりめに走行。つづら折りを過ぎたところで徐々に加速を開始。最終角を過ぎてから、さらにもう一段変速を上げた。
このまま勝てるかというところで、大外から一気に上がって来た竜に差されてしまい、惜しい二着で終わってしまった。
次は第五競走の雑賀の番。
悪天候に助けられたとは言え、準特で好走した経験のある雑賀は、平特では頭一つ抜けている感じだった。
いつも通り発走は平凡。そこからも六番手くらいを保持し続ける。つづら折りで少し後退するも、抜けてからはじりじりと順位を上げて行った。最終角を回ってから貯めていた何かを放出するかのように一気に加速。
前の竜を次から次へと抜き去って行き、終着板の少し手前で先頭に躍り出て、そのまま一着で終着。
最後は第七競走の篠原。
怪我からの復帰初戦だから不安だと、朝から篠原は口にしていた。だが、雑賀は篠原が復帰してから毎日調整棟で体力作りをしていたのを知っている。何なら雑賀も付き合っていた。「自分を信じるしかない」と雑賀は助言している。
雑賀もそうだったが、長期離脱するとどうしても反応速度のようなものが鈍るものらしい。完全に発走が遅れてしまった。だが、篠原は元々どんな競争にも対応できる器用さを持っている。焦る事無く、いつもより少し後ろ目で道中を追走。
つづら折りを抜け、勝負所に差し掛かっても、いつものように無理に先頭を奪おうとせず、じっと我慢。最終角を抜けると一気に加速を開始した。
いつもと異なり竜はぐんぐんと加速。直線半ばを過ぎたところで早くも先頭に躍り出た。そこからも必死に追い、後続の追い上げを凌ぎ、何とか一着で終着。
ついに竜障害に来てから初勝利をあげる事ができたのだった。
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