第10話 反省を踏まえ
「まず、一つ周知しておきたいんだけど、この節の目的は勝つ事じゃないんだよ。皆が竜交換に慣れる事だ。勝った? 負けた? そんなのはもっと先の話なんだよ」
荒れ始めた会議を一回落ち着けようと、皆をたしなめるように諏訪はゆったりと、しかし少し強い語気で喋った。
「俺は海外に研修に行って竜障害を見てきたんだけど、厩務員たちは毎日のように早装丁の訓練をしていたよ。個々人がまるで工場の機械のように正確無比に動いて竜交換を行っていたんだよ。うちらも、ゆくゆくはそうならないといけないんだ」
会議室はしんと静まり返ってしまった。
今の諏訪の話からしたら、完成を百としても、現状は一にも満たない状況だろう。これまで一年以上、独学とはいえ厩務員たちも研究を続けてきたというのに。
「まずは落ち着く事。しばらく担当は変えない。今日の担当を主に、そこに担当をもう一人加えて、それでやってもらう。各担当同士で意見交換を密にしてもらって、改善点を見出していってもらいたい」
竜を曳くのは保科と三村、それと高梨。鞍交換は仁科、土橋、それと津田。交換補助は石川、坂崎。諏訪がすらすらと背後の白板に名前を書いていく。それを皆がじっと見つめる。
「やる事はわかっているはずなんだ。もちろん落ち着いてやれば正確にやれるだろう。だけどそうじゃない。そこに早さが求められるんだよ。いかに焦らず冷静さを保てるか。そこが今は課題だと俺は見た」
諏訪が一人一人の顔を見ていく。最後に高遠で視線を止める。皆、見解にも方針にも異論は無い。白板の担当名を見つめる目がそう述べている。
「諦めるという選択肢は無いんだ。後戻りという選択肢も無い。足は前に運ぶしかないんだ。倒れる時も前のめり。やるしかないんだよ。もう一回言うけど、勝った負けたは今論じる時じゃない。今は一歩でも前に足を運ぶ事を論じる時期だ」
静かに諏訪が椅子から立ち上がる。そして最後にもう一度「前を向け」と声をかけた。
全員が顔を上げて諏訪の顔を見る。それに満足し、諏訪はにこりと微笑んで椅子に腰かけた。
◇◇◇
週末の予選第二戦を前に、篠原と雑賀は調整棟に入っていた。お互い表情はそこまで明るくはない。先週の結果を思えば、その表情も納得であろう。
「雑賀んとこはあの後どうだった?」
「めちゃくちゃ揉めました。篠原さんは?」
「うちもめちゃくちゃ揉めた。揉めたってしょうがねえのにな」
二人同時にため息を漏らす。その後でお互いの表情を確認。どうやらどちらの厩舎もまだ立ち直っていないのだと言う事を察する。
「うちらはさ、言って一人じゃん。騎乗の失敗は全て自分のせいって納得いくわけじゃん。周囲もそういう判断なわけだし。だけど竜交換の件はそうじゃないからな。厩務員たちの結束と力量が試されるんだもん」
「俺たちもその中の一人ではありますけど、厩務員さんたちの立場だったらって思うと、正直ぞっとしますね。よく考えたら、竜交換って加点は無くて減点しか無いんですから」
「言われてみればそうだな。一人一人の減点が足されていくんだよな。うわっ。俺もぞっとしたわ」
二人同時に身震いし、温かいお茶に手を伸ばす。ふうと息を吐き出し、人心地ついた。
「で、どうなの? そっちは多少は光明は見えそうなの?」
「とにかく少しでも慣れようって事になって、多少は落ち着いた感じですね。うちはほら、保科さんの指揮力が高いから。それと三村さんも。篠原さんのとこは駄目なんですか?」
「駄目だね。うちの筆頭厩務員の小国さんは残念ながらそういう感じじゃないからな。この期に及んで『皆で良い知恵を出し合おう』だもん。その前で躓いてるように俺なんかには見えるんだけどな」
「そう言ってやったら良いじゃないですか」
雑賀の指摘は至極もっともだっただろう。だが篠原はじろりと雑賀を見て、小さくため息を付き、首を傾けてしまった。
「今俺が余計な事を言っちまったら、誰かが辞めちまって、運営体制が壊れちまうよ。それくらい危うい状況って俺は見てるんだよ」
「それは……結構深刻ですね」
「だろ? だからさ、小早川さんとこみたいに、例え一節落としても、すぐに平特で残留確定できるように腕を磨かねえとって思うわけよ」
俺の腕で巻き返しができるようにならないとと呟いて、篠原は湯飲みに残ったお茶を飲み干した。
◇◇◇
翌日、予選の第二戦が行われた。
雑賀の出走は最終一つ前の第七競走、篠原の出走は最終第八競争。そのせいで二人待機の時間は非常に長い。朝からどんよりとした雲が空を覆っていたのだが、お昼前にぽたぽたと雪が降り始め、昼を過ぎた頃から本格的に降り始めてしまった。第一競争の始める夕方頃には、もう競技場には薄っすらと雪が積もってしまっていた。
「あちゃあ、やっぱ本降りになってもうたか」
そんな声が調整室のあちこちから聞こえてくる。
そこからも雪は降り続け、第七競走の頃には、すっかり周囲は白く化粧されたようになっていた。
とにかく寒い。かじかむ手をこすり合わせて下見所に並ぶ雑賀。周囲もばたばたと足踏みをし、寒い寒いと言い合っている。
「こら厩務員さんら、寒うて装丁室で震えてはんのやろな。暖房は焚いてくれとるそうやけど、底冷えする言うとったからな」
そんな事を言い出す騎手がいた。それに皆が小さく頷く。
竜の体温と羽毛で竜に跨ればそれなりに温かい。例えは変だが床暖房のような感じ。だが走り出すと冷たい風が騎手をチクチクと刺してくる。防寒で身に着けている首巻を頬のところまで上げる。それでも耳が千切れそうに痛い。
発走してすぐに感じたのは驚くほどの視界の悪さ。注意しないと知らず知らずのうちに他の竜に接触してしまいそうになる。
そんな天候のせいで、周回の速度が明らかに遅い。なんとか一周走り終え、問題の装丁室へ向かった。
この寒さを気にも留めず、厩務員たちは熱気をみなぎらせて装丁に集中している。前回失敗したところは、それなりに修正してきており、再発走は六番手。
この努力を無駄にしてはいけないと、雑賀もいつもより慎重に騎乗。最後の直線で二頭を抜き、四着で終着した。
検量室に戻ってくると、諏訪と三村が来ていて、「装丁室はまだ号泣だ」と言って笑った。まだ泣いたままの三村が鞍を外す。
検量を終え、他の騎手が体を温めようと風呂に向かう中、雑賀は休憩室で篠原が出走する最終競争をじっと見守っていた。
発走は正常。一周目は雑賀たちと同様、ゆっくりな周回であった。他の竜が発走したのを追いかけるように篠原が発走。前半はなんとか位置を上げようと、必死に前をうかがっている感じであった。四番手でつづら折りを抜け、最後の直線で二頭を抜いた篠原。装丁室に入り、二番手のまま再発走。
最初の登坂障害を下り、次の大登坂と呼ばれる登坂障害に向かう。だがその竜に篠原は乗ってはいなかった。
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