第8話 昇級初戦
てっきり小早川も『山陽賞』に出走するものだと思っていた。だが、岡山競竜場に小早川の姿は無かった。もしかしてと思い、鈴鹿の方の竜柱を見たが、そこにも小早川の名は無い。
一月、二月の開催は、十勝が特二の『生産監査会賞』。名取、茂木は平特で、それぞれ『岩沼特別』『真岡特別』。富士が準特の『金杯』。鈴鹿が平特の『安濃津特別』。阿蘇が特三の『新春杯』で、大鵬湾が平特『林辺特別』。順に見ていって、小早川の名は阿蘇で見つけた。
「小早川さん、特三からの始動だって。特三って天一、天二級の人たちも出るんだよな。何だか遠くに行かれちまったような気になっちまうな」
「コバさんだと、一節を丸々落としたとしても、残り二節に平特に出て、余裕で残留できるでしょうからね。うちらとは余裕が違いますよね」
「だな。そこからするとさ、準特で順調にやれるようになれば、天二昇級も見えてくるって事だよな? 天二級かあ。賞金も全然違ってくるから、娘に気軽に玩具を買ってあげたりできるんだろうな」
そう言って篠原は少し遠い目標に思いを馳せた。
――篠原は岡山に来た時点で既婚者であった。しかもその時点で幼い娘がいた。競竜に席を置いていた頃は、最下層の仁級、小田原競竜場の所属であった。競竜では、調教師と騎手は一緒に開業する。その為、調教師と騎手は二人三脚などと言われる。雑賀も諏訪と一緒に競竜学校で研修を受けており、仁級時代を共に歩んできた。
だが雑賀と違って、篠原は調教師に成績不振で廃業されてしまっている。仁級は最下層の級なので、そこで歯が立たないとなると、早々に見切りをつけて廃業を選択する調教師というのはそれなりに多い。調教師は元々厩舎の重鎮だった人である事が多く、廃業したら元の厩舎に帰れば良い。だが騎手はそういうわけにはいかない。
厩舎が解散となると騎手は路頭に迷う事になる。運よく別の厩舎に拾われたり、上の級で調教助手として雇ってもらえれば良いが、そうでなければ、会派からの生活保障だけでやりくりしないといけなくなる。
篠原も一人取り残され、自由騎手として鞭一本を手に、同じ会派の調教師に挨拶に伺いながら細々と生計をたてていた。
妻の紗菜も働きに出て何とか生活していたのだが、娘ができてしまった。困った篠原は会派に借入ができないかと相談。会派の福利厚生で子供の養育費というのはかなりまで補助して貰える。だが妻が身重の間は医療費しか出ない。その間のお金を借りようとしたのだった。
するとそんな篠原に、会派の総務部人事課の担当は一枚の案内資料を差し出した。
「篠原騎手、そういう事であれば、この竜障害に新天地を求めてみてはいかがですか? ちょうど来年から開業予定の調教師がいるんですよ」
その時点では持ち帰って検討しますという事にしたのだが、妻との相談の結果、今の生活では生まれて来る娘が不憫という事で、竜障害への移籍を決意する事になった――
「娘さんって、正月の呑み会で奥さんが抱っこしてたあの娘ですよね。名前なんていうんでしたっけ?」
「佳穂だよ。三歳になったんだけど、これがまあ、最近全く言う事を聞かないんだよ。あれも嫌、これも嫌って。妻も本当に手を焼いていて、あの時、『おかみさん』に相談してたんだよ」
大熊調教師の奥さんは大熊よりも年上らしい。少し恰幅の良い女性で、とにかくよく呑み、よく笑い、よく喋る。そして非常に面倒見が良い。雑賀も何度か洗濯や食事の事で助言をもらっている。『おかみさん』と大熊厩舎だけでなく、諏訪厩舎でも、鮎川厩舎でも呼んでいるという人物である。
「へえ。可愛らしい娘にしか見えませんでしたけど、家では大変なんですね。それってあれですか? いやいや期とかいうやつですか?」
「らしいな。おかみさんの話では、好き嫌いが出る時期なんだと。だから嫌いという事を好きに変えさせてやれば、徐々に落ち着いてくるんだそうだ。口で言うのは簡単なんだけどなあ」
寮には厩務員たちの家族も多数住んでおり、中には新婚の家庭もあれば、幼子のいる家庭もいる。そのせいか、夜泣きをした子をあやす母親が毎晩のように寮の外にいる。
そこに外に遊びに行っていた新婚夫婦が戻って来る。さらに外に呑みに行った人たちが帰ってくる。新婚夫婦も赤ちゃんを気にかけてくれるし、酔っぱらったおじさんも赤ちゃんの前でお道化る。そんな感じなので、夜の寮の外は意味不明な賑やかさがある。
雑賀はそれを温かい雰囲気、人情味があると感じているのだが、厩務員の中には早く引っ越したいと言っている人もそれなりにいる。高遠の奥さんがその典型で、数日で逃げ出してしまった。
「そうなったら寮を出るんですか?」
「どうだろ? 俺も妻も田舎育ちだから、あの寮の雰囲気を気に入っているからなあ。というより、そんな事よりまずは少しでも点数取る事考えねえとな」
「……ごもっとも」
◇◇◇
翌日、いよいよ『山陽賞』の予選初戦が行われた。『山陽賞』は夕方開催のため、日中開催が終わってからの開催となる。
準特は平特と違い競技場を二周する。二頭の竜で一周づつ周るため、途中で竜の交換が発生する。規定によって、騎手は競争の間、地面に体の一部を付けてはいけない事になっている。それは装丁場でも同様で、竜から降りる時には競竜場の用意した各枠の色の台の上に乗っていないといけない。もし何かあって、その台から落ちたら落竜扱いとなる。
まず先に出番が来たのは篠原。
一周目、篠原の順位は八頭中三番手。発走も良かった。道中の騎乗もちゃんと竜との折り合いが付いていた。篠原からしたら納得の行くものだったのだろう。装丁室に入った段階でかなり満足そうな顔をしていた。だが装丁室から出る時には、険しいものとなっていた。腹帯の締め具合にもたついて、再発走は最下位だったのだ。
結局、そこから巻き返しができずに、七着から半竜身差の最下位に終わった。
次いで雑賀たちの番。
篠原たちはそれでもこの竜の交換を一節経験している。だが諏訪厩舎は初めての経験。その差が如実に出た。
台に乗ろうとしたら場所がずれていて、危うく落竜しそうになるし、焦っているのか腹帯がなかなか外せないし、途中で鞍を落とすし、おまけに腹帯が緩く、一旦降りて、締め直しとなってしまった。
再発走した時には、もう他の竜は遥か先。なんとか追い上げはしたものの、九竜身差という大敗であった。
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