第7話 次走に向けて
「次節から地一級に上がるんだけど、『山陽賞』に出るか『安濃津特別』に出るかでまだ迷ってるんだ。皆はどう思うかな?」
昨年末、最後の定例会議で諏訪はそう切り出した。地一級へ昇級すると、これまで出られなかった準特、特三に出走できるようになる。だが、これまで出走してきた平特と異なり、準特も特三も途中で竜の交換が発生する。諏訪の言う『山陽賞』は岡山競竜場で行われる準特。『安濃津特別』は鈴鹿競竜場で行われる平特。もちろん準特の方が賞金額は高い。だが、それはあくまでそれなりの成績が出せた場合の話。ろくな成績が残せないなら当然平特に出た方が稼げる。
会議に出ているのは高遠主任、保科、雑賀、本多助手。だが四人とも無言。堪りかねて諏訪は高遠に「どう思うか?」と個別にたずねた。
「現状でどの程度やれるかを見るというだけなら、捨てる覚悟で『山陽賞』に出るというのはありかなとは思います。今の雑賀君なら、残り二節を平特に出して地一残留は十分できるでしょうから」
「それは、竜の交換が入ったら全く歯が立たないんじゃないかって事?」
「有体に言えば。ですけど、やらなかったら、いつまでたっても厩務員たちは慣れません。それでは延々に上には上がれません。全く手を出さないというのも違うとは思いますね」
出ても確実に通用しないと言い切った高遠に、諏訪の表情が少し強張る。その後、視線は雑賀の方に向けられた。
「えっと、篠原さんに聞いたんですけど、大熊厩舎は八戦全敗全て八着で絶望的な感じだったそうです。で、大熊先生はそこから準特挑戦を控えているんだそうです」
「全て八着……その単語には、嫌な記憶が蘇っちまうな」
「それは俺もっす。ですけど、大熊先生も厩務員さんたちに定期的に早装丁の練習をさせて研究しているんだそうです。まずは出てみない事には、課題も何もわからないんじゃないでしょうか?」
「それは、その通りなんだが……でも、また会派から苦情が来るのも嫌だな」
次に諏訪は保科に視線を移した。おほんと咳払いをしてから保科は話し始めた。
「『安濃津特別』、『姫路特別』と出て、残留できそうであれば『東海賞』に出るという手もありそうですよね」
「多くの厩舎がそういう判断だから、『東海賞』の質って高いらしいんだよね。だから、出るなら『山陽賞』かなって思うんだよ」
「それで地二級に落ちたら目も当てられませんけど?」
それも一理あると高遠、雑賀が頷く。諏訪も困り顔で本多に視線を移した。
「厩務員さんたちは、先生が雲隠れした時から早装丁の研究を行ってますよ」
「俺は雲隠れなんてしてねえよ! 研修に行ってただけじゃねえか。人聞きの悪い事言うんじゃねえ」
「連絡してかへんかったんですから、雲隠れみたいなもんでしょ。まあ、それは置いておくとして、厩務員さんたちも、自分らの早装丁がどこまで通用するんか見たいんとちゃいますかね?」
五人共腕を組んで悩み始める。唸り声だけが会議室に響きわたる。実に空気が重い。こうなったら最後、あとは諏訪の決断のみという事になる。
諏訪がふうと細く息を吐き出した。
「おし、決めた。『山陽賞』に出てみよう! 全て八着も覚悟の上で」
◇◇◇
昨年末の級分けで鮎川厩舎も地一級に昇級した。大熊厩舎も地一級に残留している。当然、鮎川厩舎も大熊厩舎も諏訪厩舎と同じ内容で会議をしている。大熊厩舎は諏訪厩舎と同じく『山陽賞』出走を決め、鮎川厩舎は長井の状態から時期尚早と判断し、上期は三節とも平特への出走を決めたらしく鈴鹿に向かった。
年が明け、『山陽賞』に出る諏訪厩舎では、ついに自分たちも競争に参加できると厩務員たちが俄に活気づいていた。大熊厩舎もやっと再戦の機会がやってきたと士気が高い。
八級の竜は大きなダチョウのような見た目をしている。ダチョウと大きく異なるのは足の部分。腿肉がパンパンに発達しており、膝から下のふくらはぎも発達している。さらに首も太く発達しており、顔も大きく嘴も長い。翼は無く、申し訳程度に胸の前に小さな手が生えている。
ただ、胴回りはそれほどではなく、馬に似ている呂級と同程度の太さ。そのせいで、装鞍の仕方もかなり呂級の竜に似ている。まず背に緩衝となる羊毛の毛布のようなものを敷き、その上に指定された番号布をかけ、その上に鞍を置く。そして鞍に付けられた帯を締め全てを固定。外す時はその逆で、まず帯を外し、鞍を外し、番号布を取り、緩衝布を外す。
競争で指定されている斤量というのは、騎手本人と騎手が巻いている重り、それと鞍、それらの重量を全て足した重さとなる。
昨年一年、厩務員たちは暇さえあれば鞍を早く外し、早く付けるという早装丁の練習をしており、ついにこの日が来たという感じらしい。初回は俺だ、いいや私だと言い合っている。時間を計ったりもしているようで、今のところは仁科と土橋が早いらしい。
そこで保科と三村で竜を宥めながら、仁科と土橋で装丁を行い、石川は雑賀が乗る台を用意したりといった細々した事を行うという具合に担当をきっちり決めた。
では一通り通しでやってみようと言う事になり、大熊厩舎とその早さを競う事にした。
柿崎主任の合図で篠原と雑賀が同時に竜から下ろされる。その後、鞍を外し、その竜を移動させて次の竜を連れて来る。そこにテキパキと鞍を装丁し、最後に騎手が乗り、台を片付けて終了。
「ほぅ! 早いな! 初めてとは思えない早さだ」
諏訪は感心しきりであった。大熊も「早い!」と思わず声を漏らした。
だが、突然篠原が竜から飛び降りた。飛び降りた直後に竜が暴れ出す。「締めすぎ!」と篠原が指摘。厩務員が慌てて腹帯を緩める。
一方の雑賀も首を横に振った。こちらは反対に腹帯が緩い。これでは本番では落竜してしまうだろう。そうなればもちろんそこで失格。
「早さと正確性か、これは難問だな」
諏訪がボソッと呟くと、大熊は頭を抱えてしまった。
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