第52話 お見舞い
競争中の事故から一週間。雑賀は毎日暇を持て余していた。やる事といったら新聞を見るくらい。思い出したかのように騎手仲間や厩務員たちが来てくれるが、それにしても圧倒的に暇。
そんな緩い空気が流れる病室にとある人物がやって来た。
「ほんまに入院してる……」
その声だけでそれが誰かわかった雑賀は、なかなか声の主の方を見れなかった。
「何で連絡してくれへんかったん? 急に連絡途絶えてもうたもんやから、私、ごっつい心配したんよ」
「いや、ここ病院だから電話使えなくって……」
「それやったら、長井さん経由で教えてくれたら良かったやないの」
それを病床にいる雑賀に言うのも、いささか酷というものだろう。どんな顔で言ってるのだろうと春香の方を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。その表情から心底心配してくれたであろろう事が察せられる。
「じゃあ、どうやって俺が入院した事を知ったの?」
「詩織ちゃんに相談したら教えてくれたんよ。競争中の事故で入院したらしいって。長井さんに連絡してもろたら、ほんまよって言われて。そんで、詩織ちゃんと二人で慌ててやって来たんよ」
「で、詩織ちゃんは?」
「今、お花買うてきてくれてる」
雑賀の顔が見れてほっとしたのか、はたまた思ったほどの怪我じゃないと感じて安堵したのか、春香はへたり込むように椅子に腰かけた。
布団から手が出ている事に気付いたようで、その手を両手で包み込むように握る。
「どんな感じなん? どこを怪我したん?」
「肋骨が折れちゃっただけだよ。うちの先生は一瞬死んだって思ったらしいけどね。落竜で死んじゃう人はそれなりにいるから、そういう意味では不幸中の幸いだったよ」
「騎手ってそないに危ない仕事なんやね……」
「みんな命がけだよ。なんせ自分だけじゃなく、厩舎の皆の生活がかかっているからね」
『生活がかかっている』。その言葉は、まだ学生である春香には、酷く眩いものに感じたらしい。急に雑賀を見る目が憧憬の眼差しに変わった。左手を包んでいる両手にも力が込められる。
二人無言で見つめ合い、何とも淡い空気が病室に漂った。
「あ、えっと、言われたように花買うてきたんやけど、もしかして私、お邪魔やったかな?」
詩織の言葉で春香がパッと手を離した。
「な、何言うてんのよ。嫌やなあ、詩織ちゃんたら」
「いや、何や良え雰囲気やったもんやからね」
「……そう思うんやったら、外でこっそり待っててくれたら良かったやないの」
「はあ? 花買うて来い言うたんはそっちやろが!」
急に口喧嘩を始めた二人を雑賀がまあまあと宥める。それでも牽制しあう二人。「ここは病室、俺は怪我人」と冷静に指摘すると、やっと二人は矛を収めた。
「あれ? 花瓶に花刺さってるやないの。誰か持ってきてくれたみたいやね。ご家族の方?」
「いや、厩舎の厩務員さんが持ってきてくれたみたい」
「ふうん。そやけどこれ、持って来たん女の人やろ。どんな人なん?」
詩織の鋭い洞察力に雑賀が無意識に生唾を飲み込んだ。それを見逃さなかった春香が鋭い目で雑賀を見る。
「いやいやいや。仕事仲間だよ。単なる。何言ってるんだよ詩織ちゃん。嫌だなあ。あはは」
「なんでそんな笑いが渇いてはんの? なんや後ろめたい事でもあんの?」
「無い無い無い! あるわけないじゃんか。そんな尋問みたいな事されたら、誰だって動揺するだろ」
「……その反応、若い娘やね。どんな人なん? なんぼくらいの人なん?」
詩織の聞き方は問いかけ程度であったが、春香の聞き方は完全に尋問であった。助けを求めるように詩織の方を見ると、何故か詩織も責めるような目で雑賀を見ていた。
「歳は、確か三十代中半だったかな? 結婚して子供もいる方だよ。何を考えているのか知らないけど、そんな人と何かあるわけないでしょ」
実際には恐らく花を持って来たのは石川だろう。だがここは三村という事にした。そもそもこの状況で独身、それも絶賛恋人募集中の石川の話をしたら、話がこじれるに決まっている。ここは既婚の三村が持ってきたという事で押し通すに限る。
「……まさか、その人と不倫してるとか?」
「んなわけあるか!」
変に大声を出してしまったせいで、折れた肋骨にズキンと痛みが走った。顔をしかめて黙ってしまった雑賀に、春香が「大丈夫?」と言っていたわる。
少し安静にしていたら、徐々に痛みは和らいでいった。苦悶の表情が徐々に安らいでいったのを見て、春香の顔も安堵したものに変わる。
春香と詩織が申し訳なさそうな顔でお互いの顔をチラチラと見ている。
「ほんま、ごめんなさい。私、重さんが怪我してるいうの、頭から飛んでもうてた……」
「っていうかさ、春香ちゃんって俺の事そんな目で見てるの? ちょっと心外だなあ」
「もちろん信じてるよ。信じてるけど……一緒におれるわけや無いもんやからね。不安になってまうんよ」
急にしおらしい態度をとる春香に、雑賀は何とも気恥ずかしいものを覚えた。上目遣いで雑賀を見る春香から、思わず目を背けてしまう。
そんな二人の雰囲気に当てられて、詩織はパタパタと手で顔を扇いでいる。
「前も言ったけど、十一月になったら岡山に戻るから。その時にまた一緒に遊びに行こうよ。だからさ、それまで大人しく待っててよ。退院したらまた連絡するから」
春香はその言葉に安堵し、「絶対に連絡してね」と言って雑賀の手を優しく両手で挟み込んだ。
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。




