第50話 事故の経緯
目が覚めたら病院の病床の上であった。周囲には誰もいない。ただピコピコと無機質な音が定期的に流れている。
どうやら時刻は夜らしい。窓の外は真っ暗な夜空。周囲からは何の声も聞こえないし、そもそも灯りが消されている。
確か、こういう病床には看護師さんを呼ぶボタンがあったはず。そう考えて布団から左腕を出そうとするも、背中に激痛が走り動かせない。右手には点滴が刺さっているのが見えるので、そもそも動かせない。
片目づつ閉じてみて、視力が無事なのを確認。右足を動かすと背中に激痛が走るものの、動くのは動く。左足も同様。どうやら騎手生命に別条があるという状況では無いらしい。
一体何でこんな事になっているのだろう?
確か自分は竜障害の競争に出ていたはず。そこで両側に竜がいて、その状態で登坂障害を下りた。前の竜が下がってきて……そこで記憶が途絶えてしまっている。
竜が故障したのか、はたまた着地の際に体制を崩して落竜してしまったのか。いや、着地した時にはしっかりと靴は鐙にかかっていたはず。では一体何が?
そんな事を考えていると、徐々にまた意識が遠のいてしまった。
次に目が覚めた時はすでに窓の外は明るくなっており、チュンチュンという小鳥のさえずりが聞こえてきていた。
「あ、雑賀さん、目ぇ覚めてるやないの」
声のした方に顔を動かしてみると、病室の入口に石川が立っていた。いつもの動きやすい恰好ではなく、余所行きのワンピースで。
もう看護師は呼んだのかと聞かれ、まだだと答えると、すぐに看護師を呼びに行ってくれた。
その後、看護師がやってきて、さらに医師もやってきた。手足を掴まれ、触っているのがわかるか、痺れは無いかと聞かれた。記憶障害が起きていないか、視覚はどうかと言って本を見せられ、嗅覚はどうかと言って変な匂いを嗅がされ、さらに舌に何か苦いものやら酸いものを塗られた。どうやら五感に異常は無いらしいと医師は安堵。
もしかして頭に何か損傷を受けたという事だろうかと思い、点滴の取れた左手で頭をさすると、網が巻かれている。
午後から精密検査をすると通告し、医師と看護師は病室から出て行った。
医師と入れ違うように石川が病室に戻ってきた。手に携帯電話を持っている。どうやら厩舎に連絡を入れていたらしい。
「昨日、事故の後、ずっと明日香さんが付き添ってたんやけど、雑賀さん、目ぇ覚まさへんかったらしくてね。今日は私に交代。厩舎に電話したらね、後で先生来る言うてはったよ」
「いまいち何があったのかわからないんだけど、一体何があったの? 競争中に事故が起きたんだよね?」
「え? それは何、記憶が飛んでもうてるって事?」
「どうなんだろう。二つ目の登坂障害から飛び降りたところまでは覚えているんだ。その時、前の竜が急に下がってきて、慌てて手綱を引いて、そこから何があったかわからないんだよ」
雑賀の話に、石川はいちいち頷いて沈痛な表情で俯いてしまった。普段は良く喋る姉ちゃんだくらいにしか思っていなかったが、こうして改めて見てみると、意外と鼻立ちがすっきりしていて、睫毛が長くて美形。そんな石川が伏し目がちな表情をしていて、少しドキリとしてしまう。
「雑賀さんね、後ろから来た竜に突き飛ばされたんよ。それを見ていた篠原さんたち一部の騎手の抗議で、半日以上審議が行われて、雑賀さんの前にいた竜の騎手と、後ろから突き飛ばした竜の騎手の二人が処分される事になったの」
「え? どういう事? 前の竜の騎手はわかるよ。発走からずっと妨害してきてたの気付いてたから。後ろの騎手って?」
「ごめんなさいね。私、まだそういうん、ようわからへんくて。保科さんや津田さんから、めっちゃ説明してもろたんやけど。映像も見せてもろたんやけど、私、もう途中から見てられへんくて……」
石川が言葉を途切れさせてしまった事で、病室内に静寂が訪れた。厩務員の中でも一、二を争う賑やかな石川が黙ってしまっている。それほどに、その時の映像は見るに堪えないものだったという事なのだろう。
石川の話によると、雑賀を三人の騎手が妨害していたらしい。いずれも鈴鹿競竜場所属の騎手たちで、うち二人は地二級、一人が地一級。道中ずっと雑賀を挟むように走っていたのは地二級の騎手たちだった。
実はその後ろ、少し離れたところで梅津という地一級の騎手が雑賀の事をずっと狙っていたのだそうだ。梅津の乗っていた竜は普段は先団に付けている竜なのに、今回、出遅れたわけでもないのに後方待機しており、それが妨害の為だという指摘をされているらしい。雑賀からは少し距離をとっており、恐らく死角になっていたのだと思われる。
登坂障害になったら梅津は不自然に加速を開始。地二級の騎手たちによって、走行妨害を受けた雑賀目がけて登坂障害から飛び降りている。
「楓ちゃんが見ていられないくらい酷い事故だったんだね……よく俺、生きていられたなあ」
「……そやないのよ」
「どういう事?」
「雑賀さんを突き飛ばした梅津って騎手、雑賀さんが竜から跳ね飛ばされるんを見て、にやって笑うんよ。その顔が、ほんまに気色悪うて気色悪うて」
審議の際にもそれが決め手となって、事故では無く故意だという判断を下され、騎乗停止処分が下される事になったらしい。篠原たち一部の騎手がこれは殺人未遂だと騒ぎ立てており、今後も審議を継続するという発表がなされたのだとか。
「前走一着やったから、この勢いで準決勝に残って来年から地一級やって、厩舎では盛り上がってたんやけど、来年の夏におあずけかな?」
そう言って微笑む石川の顔はちっとも残念そうな感じでは無かった。少し悪戯っぽい、若干煽るような表情であった。
「こんな妨害ごとに負けるもんか。すぐに復帰して地一に上がってやる! 見とけよ鈴鹿の奴らめ!」
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