第42話 出会い
男は店を出て行ていってしまったが、残された女性は泣き通し。背中合わせで座っている雑賀は、何となく居心地の悪さのようなものを感じていた。スンスンと鼻をすする音が聞こえてきたと思えば、ううという呻き声をあげる。急にその声が大きくなったりして、少しビクリとする。店員さんが苺の甘食を持ってきてくれたが、とてもではないが、そんな気分にはなれなかった。
ただ、だからといって女性に声をかけようという勇気もわかない。何となくここで声をかけてしまったら、あの男と同じになってしまうのではないかと感じてしまっている。今日俺は一人の女性を救ったんだ。それだけ良いじゃないか。そう自分を納得させ、冷めてしまった珈琲に口を付けた。
どうやら呑んだ酒が完全に抜けてきたようで、急に尿意をもよおした。ぶるっと体を震わせてから椅子を立ち、便所へ向かう。
席に戻ってくると、女性は泣き止んでおり、注文した食べ物をボソボソという感じで口にしていた。恐らく泣いたせいで腹が減ってしまったのだろう。
ふいに女性がこちらを見る。よく見ると全く化粧をしていない。泣いて化粧が剥げたとかではなく、元からしていない。ただ泣きはらしたせいで目は充血しており、鼻も真っ赤。その切ない表情と、はらりと耳から零れる長く綺麗な髪に思わずドキリとしてしまう。
席に着こうとしたところで、女性は体をこちらに向けた。
「先ほどから騒がしくしてもうて、ほんま、申し訳ありませんでした」
「いえいえ。そんな事より、さっきの男、質悪そうな感じでしたけど、大丈夫なんですか?」
その一言が、彼女の中の不安感を煽ってしまったようで、急に眉間に皺を寄せて視線を落としてしまった。
「ああいう人って、しつこくつきまとってきたりとかしはるんでしょうか?」
「何とも言えませんけど、可能性はあるかもしれませんね。もし、家の場所とか押さえられてるんなら、引っ越しした方が良いかもしれないですよ。もしかしたら今も外で待ち伏せされてるかも」
「え!?」
慌てて女性が窓の外を確認する。残念ながら雑賀の方からは窓を見ても何も確認はできなかったが、女性の側からは何かが見えてしまったらしい。両手で自分の体を抱き抱えて身を震わせた。
「ほんまや……どうしよう……」
「あの、それならこっちの椅子に座って、朝まで時間を潰しませんか? 俺も電車動かなくて暇持て余してるんで」
ここまで椅子の背もたれ越しの会話のせいか、かなりお互いぎこちない。背もたれの幅以上の厚さの壁を感じる。つい数分前まで男性から言い寄られ、変な薬を打つと脅されたのだ。気持ちは痛いほどわかる。だが、思い切って相席を誘った事で、その壁が少し薄くなったような気がした。
「ほな、お言葉に甘えて」
女性が席を立って、飲み物とつまみ、それと伝票を持って、雑賀の机の向かいに腰かける。腰を下ろすと、女性はニコッと雑賀に微笑んだ。
こうして改めて見ると、顔はかなり整っていて美形に思う。泣いていたせいで乱れてしまっているが、少し茶味かかった長い髪を左の肩の前に流している姿が、妖艶さを感じる。
「私、篠崎春香言います。お兄さんは?」
「雑賀重巳。篠崎さんは学生さん?」
「はい。岡山芸大で音楽を学んでます。雑賀さんは?」
「俺は、騎手」
騎手という単語に、春香は露骨な愛想笑いを浮かべて首を傾げた。あんな山奥でも、一応は岡山競竜場と言っているのに。岡山在住の人が騎手を知らないとか。それは客足も遠のくというものだろう。
「ごめんなさいね。私、まだあんま音楽以外の話ってようわからんくて」
「いや、良いんですよ。気にしないで。知らない方が健全ってもんだから。きっと」
「ほんま、ごめんなさい。で、どんなお仕事なんですか? 旗振って何しはるんですか? 水兵さん?」
最後の一言で、思わず飲んでいた珈琲を噴き出しそうになってしまった。もしかして西国風の冗談なのかと表情を確認したのだが、彼女の表情は至って真面目、いや、西国の人は真面目な顔で冗談を言ったりするが、これは本当にわかってなさそうな顔。
「いやいや、旗振りじゃないよ。手旗信号とかしないから。乗る方の騎手。竜障害っていう竜に乗る競技の騎手やってるの」
「竜……障、害?」
「えっと……まあ、あれだよ。とにかく竜に乗って競争する仕事なの」
「えっ、そうなんや! へえ、竜に乗るんやね。うわあ、なんや御伽噺みたいな素敵なお仕事してるんやね」
「素敵? 素敵、なのかなあ。観客はいつもドロドロのおじさんばかりだけどね」
言い方が面白かったのか、春香は顔いっぱいに笑顔を作って笑ってくれた。どうやら少し心をほぐしてくれたらしい。そう感じ、雑賀もほっと胸を撫でおろす。
そこからお互いの話を面白可笑しくし続け、気が付いたら夜が明けていた。そろそろ帰らないと。そう雑賀が話を切り出すと、春香は非常に残念そうな顔をした。
「そうや。今度、一緒にどっか遊び行きません? 私、また雑賀さんとお話がしたいな」
「そう? じゃあ、連絡先だけ教えておくよ。仕事の関係で月曜くらいしかダメだけどね。それと、もし何か身の危険を感じたら、すぐに電話して。仕事仲間と駆けつけるから」
その一言で、春香はぱっと表情を明るくした。
「うん。ありがとう。雑賀さんも、お仕事頑張ってね」
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