第4話 噂は真
「ほう、ずいぶんと耳が早いんだな。まだ誰にも話してないはずだが」
「えっ? じゃあ……」
「ああ、本当だよ。今年一杯で俺は競竜を辞める事にした。厩舎も一旦解散だ」
飲み会の翌日、諏訪が一人になったのを見計らって、こっそりという感じでたずねたところ、あっけらかんとした感じで言われてしまった。
競竜学校で初めて出会った時から、何事にも動じない人ではあった。感情の起伏に乏しいのか、勝っても負けてもあまり顔に出ない。時にそんな態度が物足りなく感じる事もある。
だが、さすがに今回のような件の時はもう少し悲壮感のようなものを醸して欲しかった。諏訪が今言った事は、一般の会社で言えば倒産なのだから。
「やっぱり成績不振が原因なのでしょうか?」
「それは……どうなんだろうな。伊級にまで行けそうかと言われれば、そこまでの自信は無いけど、普通に呂級まではいける気はするけどな」
「じゃあ、どうして?」
雑賀がそのつぶらな瞳で諏訪をじっと見つめる。純真さがにじみ出ているその視線に耐えきれず、諏訪はそっと顔を背けた。
「お前は競竜学校に在籍していた時、仁級だけじゃなく、八級にも呂級にも伊級にも騎乗ってしたんだよな。どれが一番好きだった?」
「俺はやっぱり、大空を飛ぶ伊級でしょうか。いずれはあれに乗って競争がしたいなって思っています」
「そっか。俺はこの八級なんだよ。できればずっと八級にいたいって思ってる。だけどさ、八級ってのは賞金が少なすぎてな」
一体この人は何の話をしているのだろう?
不思議そうな顔で雑賀は諏訪を見ている。競竜は昇級制なのだから、下の級の賞金が安いのは当たり前なのに。より高い賞金が得たければ、良い成績を挙げて一つでも上の級に昇級する。競竜界にいる者なら誰でも承知している話なのに。
「あの、諏訪先生って、確か出身厩舎って呂級でしたよね。だったら呂級の賞金がいくらとかご存知ですよね?」
「馬鹿にしてんのか? 騎手やってたんだから知ってるに決まってるだろ」
「呂級の調教師って、世間一般からしたらそれなりに高給取りですよ? そもそも、八級と呂級じゃあ条件戦の賞金ですら大きな差があるんですから」
「いや、だから知ってるって」
少しだけむっとした顔をする諏訪を、雑賀が困り顔で見つめる。
「これまでやってきた事がやっと結果として出てきて、『菊花杯』優勝したんじゃないですか。何も諦める事なんて無いですよ。もう一度考え直して、みんなで呂級を目指しましょうよ。ね?」
「いや、もう決めちまった事だから。今さら変更は効かねえよ」
「そんなぁ。じゃあ俺たちはどうなるんですか?」
若干涙目になっている雑賀を、今度は逆に諏訪が困り顔で見る。
「俺だってそこまで無責任じゃねえよ。ちゃんと会派と協議して、いくつかの話を貰ってる。というか、俺のこの話も会派からの話なんだよ」
「え? 会派?」
「そうだよ。今年の夏頃だったかな、会派の方から連絡があってな。厩舎を閉めてくれないかって言ってきたんだよ。会派の誘いだからなあ。まあ、誘いって言うよりこの場合勧告だよな。で、俺も受ける事にしたんだよ」
会派の意向と言われれば、雑賀も少しだけ納得できる部分はある。
競竜はただ竜の速さを競うだけでなく、結果に応じて賞金が貰える。そうなると、竜の値段というものはその賞金額に応じて高額になる。
ただ、そうなると竜は生産生物となって、大量に生産して大量に破棄されるという事になりかねない。そこで竜の所有者である竜主たちは会派というものを設立した。
現在、二十四の会派が競竜に参加しており、生まれてから死ぬまで、しっかりと竜の面倒をみていく体制を整えた。
全ての調教師はその会派に所属して活動している。諏訪も二十四の会派の中の潮騒会という会派に所属している。
調教師になる場合、試験を受け、それに合格すると競竜学校に研修に行く。研修終了後は既に開業している厩舎で実地研修を受けさせてもらい、晴れて開業となる。その間、調教師は会派から生活費を受給している。
そんな状況なので、調教師からしたら会派の意向というのは最大限尊重する必要がある。
「で、会派は何て言ってきたんですか? 引退して何をやれって言ってきたんです?」
「引退? 俺は引退なんてしないよ」
「え? だってさっき厩舎解散するって言ってましたよね?」
どうにも話が見えてこない。困惑顔の雑賀に諏訪が鼻を鳴らす。
執務机の横の引出しを開け、一通の茶封筒を取り出した。周囲をきょろきょろと見回してから、封筒を雑賀に差し出した。
「まだ他の者には内緒だぞ。うちでは高遠さんしか知らないんだから」
茶封筒は厳重に紐によって封がされており、潮騒会の名と『大白波に富士山』という会旗が印刷されている。くるくると紐を回して封を解いていく。中には複数の書面。一番手前の紙を取り出してみると『貴下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます』の文字。その先は読むまでもなく単なる送り状である事がわかり中に戻す。
一際目を引く厚い冊子の手前に綺麗に印刷された小冊子があり、それを取り出してみる。
そこに書かれていたのは『竜障害開幕』の文字であった。
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