第38話 復帰初戦
十か月ぶりに競竜場に足を踏み入れた。長井は第一競争に出走して五着。篠原は第五競走に出走して三着。二人とも確実に点数を獲得している。
何で復帰初戦が最終競争なんだ。竜柱に思わず恨み節が口を突きそうになる。
二つ前の第六競走で福間騎手が出走取消になったという放送がされた。控室では皆が口々に「自業自得」「アホの所業」「これで少しは空気が綺麗になる」などと言い合っていた。
第七競走が発走になる少し前、下見所に竜が曳かれて来た。今回の竜は栗毛の『キキョウオニダマリ』。三頭の中では最も筋肉に張りがあり、もしこの竜でそれなりの競争ができるようであれば、他の二頭はかなり期待ができるというのが諏訪の説明であった。
周回している『オニダマリ』を見ていると、緊張でどこかから大太鼓を叩くような音が鳴る。その音がまるで徐々に近づいて来るかのように大きな音に変わっていく。どんどん周囲の音が遠くかき消されていく。
パンと誰かが背を叩いた。
「あれから今日まで諦めんと色々とやってきたんやろ。それを信じろ」
横に立っていたのは小早川騎手であった。雑賀の方は見ずに助言してくれた。恐らくは八百長を疑われないためであろう。
気合いを入れ直すために、自分で両の頬をパンパンと叩く。大きく深呼吸を一つ。いつの間にか大太鼓の音が聞こえなくなっている。
係員の合図で走って『オニダマリ』の下へと向かった。
「復帰初戦だ。気楽に乗ってこい。俺たちはどんな結果だろうが受け入れるから」
そう言って保科が優しく微笑んだ。この笑みに応えたい。そんな気持ちが心の奥底から吹き出してくる。
竜に合図をし、ゆっくりと競技場へと竜を歩かせる。パスンパスンという独特な足音をたて、『オニダマリ』が歩を進める。
観客席からは悲しいくらいに歓声が聞こえない。見るとまるで平日の体育祭程度しか観衆がいない。
「緊張して損した」
思わず雑賀の口からそんな呟きが飛び出す。そんな雑賀をたしなめるように『オニダマリ』がクェェと嘶いた。
発走機に収まると、どうしても緊張はぶり返す。それを感じてしまったのか、『オニダマリ』が少し暴れようとする。そんな『オニダマリ』の首をポンポンと叩いて落ち着かせる。
自分も落ち着かないと。一つ短く息を吐く。
グポン
発走機の前扉が開き、各竜が一斉に飛び出していく。十か月の空白は単に雑賀の体重を落としただけでなく、確実に雑賀の競争感覚を鈍らせていたらしい。一頭だけ明らかに出遅れてしまった。
残りの七頭を見る形で最初の鉤角を曲がる。何とか付いて行かねば。雑賀の頭の中はその事で一杯であった。離されたらもう追いつけないと感じてしまい、どうしても焦ってしまう。
二つ目の鉤角を曲がると岡山名物の大登坂となる。他の競竜場を走った事が無いのでよくわからないのだが、岡山の登坂障害は一際高く大きく盛られているらしい。
一つ目の登坂障害の頂上で雑賀は奇妙な感覚に襲われた。自分は坂の上、他は皆坂の下。どういうわけか自分が優位に立ったような気がしたのだ。出遅れて最下位なのに。
二つ目の登坂障害でも同じような気分となった。根拠はない。でもどういうわけか行ける気がする。
坂を下り、反転角を曲がり、向正面の三連の飛越障害がやってくる。十分加速しながら竹柵、生垣、水濠の順で飛び越えていく。この時点で出遅れは完全に取り戻し、七番手の竜に並んでいる。
ここから競争路は複雑なつづら折りとなる。他の竜に比べ『オニダマリ』は一歩が大きい。いわゆる『大跳び』という竜である。そのせいで、つづら折りのような小回りを苦手としている。せっかく追い付いたのに、そのせいで少し引き剥がされてしまった。
やっとつづら折りを抜け、残すは二つの鉤角のみ。ここからが勝負所。
雑賀は早くも鞭を手に取り、それまで少し浮かし気味だった腰をぐっと鞍に下げた。もうここからは障害は無いよ。それをちゃんと竜に伝えた。
それが伝わったのか、『オニダマリ』が状態をぐっと前に傾ける。雑賀もそれに合わせて体を前に傾ける。
最終角を回って最後の直線。各竜が一斉に最後の力を振り絞って加速を開始。最後方から『オニダマリ』もぐんぐんと加速を開始。
加速を始めてくれた!
それだけでここまでの十か月が無駄では無かった事を実感する。思わず胸が熱くなり目から雫が零れる。
ただ、残念ながら最後の直線と言っても、決して長くはない。ここからごぼう抜きして勝つというのは少し難しいだろう。だが、点数のために一つでも順位を上げておきたい。
一頭を抜き、二頭を抜き。大外から一気に『オニダマリ』が上がっていく。
三頭目を抜く。 『オニダマリ』はさらに加速。
だが直線は残りわずか。四頭目に並びかける。
観客席からの歓声が聞こえてくる。
あと少し! あと少しで抜ける!
そこで終着板を迎えてしまった。
着順掲示板は一着に小早川騎手の『四』を表示。三着は写真判定となっている。その隣に倍率が出ており、雑賀の『六』は九九・九と表示されている。圧倒的最低人気。もしかしたら誰も買ってくれていないかもしれない。もしこれで雑賀が三着に入っていたら、明日の競技新聞は大騒ぎだろう。
そんな事を思いながら『オニダマリ』をゆっくりと走らせ、検量室へと向かった。
「惜しかったな。もう少しだったのに」
保科のその一言で、届いて無かったのだという事を知った。でも今日はそれで良い。大差シンガリ負けで無かったのだから。ちゃんと最後の直線で加速してくれたのだから。
安堵感から、雑賀の目からはポロポロと大粒の涙が零れていた。
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