第29話 茂木競竜場
岡山競竜場のある吉備郡から毛野郡までは非常に遠い。まず岡山駅から山陽道高速鉄道で皇都駅へ。そこから東山道高速鉄道に乗り換えて最寄りの駅である前橋駅へ。
前橋駅から茂木競竜場までの道のりも長い。前橋駅で在来線である毛野鉄道の快速線に乗り宇都宮駅へ。宇都宮駅からは、準街道である常磐道の久慈駅を結ぶ路線に乗り換え、三駅目が茂木競竜場前駅となる。
朝出発し、宇都宮に到着したのは昼もかなり過ぎた頃。そこで拉麺と餃子を食べ、宿を押えていたら、茂木競竜場に着いたのは夕方近くになってしまっていた。
実に悔しい事に、主街道と準街道を結ぶ路線の駅に競竜場が作られているため、岡山と同じく山奥にあるにも関わらず非常に栄えており、駅から降りてすぐに呑み屋街がある。しかも乗竜施設が併設しており、ちょっとした運動場もあり、専用の大宿まである。さらには温泉まで。岡山競竜場と異なり、そこは完全な一大観光地であった。
受付で協会から発行されている騎手証を見せ、目的が事前見学である事を告げて厩舎棟へ入場。
建物の古さなどはあまり岡山と変わらないだろうか。入ってすぐに感じたのは、明らかに岡山より活気がある。元々競竜の厩舎棟を元に設計されているようで、ここも大きな作りはほとんど同じ。受付を出ると正面に大通りがあり、その突き当りに調教場がある。大通りの左右に厩舎が立ち並んでいる。受付近くには食堂と売店。
まずは情報収取だと食堂に顔を出す。ところが、夕飯時にはまだ少し時間があり、喫茶の時間にも少し遅いという絶妙な時間で、ほとんど人がいない。人はいるのだから、聞けば何かしら情報は得られるのだろうが、引っ込み思案の雑賀には恐ろしく難度が高い。
調教場にいってみるものの、当然人はいない。これが他の人であれば、ここで完全に手詰まりになるところ。だが雑賀は騎手。一つ奥の手がある。
その奥の手のために調整棟へと向かった。目的はその中の修練部屋。ここなら誰かしら騎手がいるだろうし、運が良ければ誰か知っている人がいるかも。期待に胸を膨らませて扉を開けたのだが、時間的なもので誰もいなかった。
これはもう出直ししかないと思い、修練部屋を出ようとした時であった。一人の騎手が首を右に左に傾けながら少し面倒そうな顔で調整室に入って来た。
「え!? あ! 多米さん!」
「ん? おお! 雑賀じゃんか! 懐かしいなあ。いつ以来だ? 何やってんだ、こんなところで」
多米は少し面長の顔をくしゃっと崩して、雑賀の肩をパンパンと叩いた。
まさか、ここで大本命に出会えるなんて思ってもみなかった。実は雑賀がこの調整棟に来た目的は、誰かそこにいた人に、まさにこの多米の居場所を聞く為だったのだ。
「多米さん、会って早々で申し訳ないんですけど、諏訪先生来てませんか?」
「ああ、来てたよ。それがどうかしたの?」
「うわあ、やっぱりここだったんだ。ずっと探してたんですよ。で、今、先生はどこに?」
「さあなあ。研修だって言って、数日前からうちの先生と一緒にどっか行っちまったよ」
その絶望的な一言に、雑賀は足の力がふわっと抜けてしまい、膝から崩れ落ちてしまった。しかも、何故か涙が出そうになってしまっている。
「おい、どうしたよ雑賀。何があったんだよ」
身を震わせ何も言わない雑賀を見て、どうやら何かあったらしいと感じた多米は、しゃがみ込んで優しく雑賀の肩を叩き、まずは話を聞かせてくれと声をかけた。
今にも泣き出しそうな雑賀に寄り添い、時折背を撫でながら、多米は厩舎へと連れて行った。
『安見厩舎』という看板のかけられた建物で足を止め、一人中に入って行く。
「湯川さん。珍しい人が来てますよ」
多米はまるで湯川主任に客人が来ているという風に報告をして、雑賀を応接椅子に座らせた。
湯川は小さな丸い老眼鏡をずらし、ちらりと雑賀を見てから、椅子から立ち上がり、お茶を淹れるために湯を沸かしに行った。
湯川がお茶を淹れている間、雑賀は無言。多米も特に声をかけずに応接椅子に腰かけていた。
「えっと……申し訳ない、歳のせいか名前が思い出せなくて。顔は確かに見覚えがあるんだが」
「あ、俺、諏訪先生の専属騎手で雑賀です。あの、これ、手土産です、どうぞ」
そう言って雑賀は岡山から持って来た『黍団子』の大きな箱を机に置いた。
「ああ、諏訪先生の! どうりで見覚えがあるはずだ。お、これ黍団子じゃん。名前は聞いた事あるけど、俺、食べるの初めてなんだよね。いただいても良いのかな?」
雑賀がどうぞと促すと、湯川は包装を丁寧に外し蓋を開けた。どうやら多米も初めて食べるらしく、ニコニコ顔で自分を指差している。
「へえ、団子というより、餅みたいだね。ちょっと固めの求肥みたいというか。へえ、こんな感じの食べ物なんだ」
「俺も岡山行って初めて食べました」
「だよね。昔話で有名だけど、なかなか食べる機会って無いよね」
小さく切られた黍団子を二つ三つと湯川が摘まむ間、多米が旨いと言って次々に頬張る。だが、雑賀は全く手を付けない。そんな雑賀の態度で、湯川も何かあると感じたらしい。お茶を飲んでから、何かあったのかとたずねた。
「あの、諏訪先生がこちらにお邪魔していたというのは本当ですか?」
「ああ、本当だよ。七月の上旬だったかな? 研修だってやって来て、つい先日まで、ここで安見先生から指導を受けてたよ」
「そうなんですね。で、諏訪先生は今、どちらにおられるのでしょう?」
「さあねえ。安見先生と二人、研修に行ってくると言って、海外に行ってしまわれたよ。残念ながらどこの国に行ったかまではわからないけどね」
やっと足取りが掴めたと思ったら、まさかの海外。絶望感で徐々に視界が黒く霞んで来るのを感じる。雑賀は、がっくりと肩を落としてしまった。
「海外研修なんて、機会が無いと中々できない事だよ。うちだって七月に『神嘗賞』に優勝したから、先生安心して海外に行ったんだから、雑賀君も先生が戻って来るのを楽しみに待っていたら良いよ」
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