第23話 諏訪の決断
重賞の開催は二月で一節。最終週から次の重賞への登録を受け付けてくれる。諏訪厩舎も次節の舞台として、鈴鹿競竜場の『四日市特別』に登録を申請していた。
遠征のためには色々と準備がある。その準備を整えていた時の事。事務室の電話が鳴り響いた。
その時、たまたま高遠主任が不在で、代わりに雑賀が電話を取った。電話先の相手の名乗りは「潮騒会竜障害部」。しかも口調は若干憮然とした感じ。慌てて諏訪に電話を回した。
「あ、お世話になっております。はい。はい。……はあ。それは、ちょっと! ええ。ええ。申し訳ありません」
その諏訪の口調で、あまりの惨憺たる成績に、会派からお叱りが来たのだと雑賀は察した。何となく雑賀も一緒にお叱りを受けようと、諏訪の顔をじっと見つめている。
「え!? あ、はい。はい。……わかりました。いえ。助かります。はい、早急に。いえ、わざわざありがとうございました。失礼いたします」
受話器を置いた諏訪は、一度天井を見上げ、細く長く息を吐き出した。
「雑賀。高遠さんを呼んできてくれ。鈴鹿遠征は中止だ」
大急ぎで休憩中の高遠を呼びに行き、事務室に戻ってくると諏訪はまた誰かと電話をしていた。その顔はかなり深刻そうで、落ち込んでいる風にも見える。
「その決断を今しろって言うんですか? いや、それはその通りですけど……ですが……。はい。はい。……わかりました。そうします。はい。え? ……わかりました。では、よろしくお願いします」
受話器を置いた諏訪は両手で頭を抱えてしまった。
「あの、先生。高遠さんを呼んできましたけど」
諏訪はゆらりという感じで椅子から立ち上がり、高遠と雑賀の方に顔を向け、無言で会議室を指差した。
会議室は決して広いわけではない。五人も入れば手狭というくらいには狭い。ただ、扉が付いていて個室にはなっている。外の札を返し『使用中』にして扉を閉めた。
「鈴鹿行きが中止だと伺いましたけど、何があったんですか?」
「先ほど会派から、遠征費用は出せないと通達が来た。それよりも最終節の『倉敷特別』に向けて、四か月じっくりと調教をするようにって」
「なるほど……確かに『赤穂特別』の状況を見たら、会派からしたら無駄金以外のなにものでも無いでしょうからね」
高遠は口さがなく、はっきりと『無駄金』という言葉を使った。それが雑賀の胸にチクリと突き刺さる。
諏訪は「会派もそこまでは言ってない」と言って苦笑い。だが、高遠は至って真面目な顔。
「ですけど、競争に出なかったら、結果が出ていない原因がわからず終いになってしまいませんか? それで『倉敷特別』に出ても、やはり結果は同じという事になってしまうんではないですか?」
「だろうね。恐らくそうなると思う。そうなれば、開業から一年間、一円も稼げなかった厩舎として記録に残る事になるだろうね」
「何ともまあ、不名誉な記録ですね。厩務員たちがその状況に我慢できると良いのですが」
高遠の指摘は、諏訪も強く危惧しているところであった。「やっと集めた人員」と言ってうなだれてしまった。
「ところで先生。四か月出走させずに調教はわかりましたけど、方針ってどうされるんですか? これまで通りでいくんですか?」
「雑賀。そこはお前に任せるよ。運営に関しては高遠さんにお願いするけど、調教に関してはお前に一任する事にする」
「え? 運営も高遠さんに一任って、じゃあ先生はどうされるんですか?」
「俺は少しの間留守にする」
その諏訪の一言は、雑賀だけでなく高遠も理解するのに時間がかかってしまっているらしい。会議室に静寂が訪れた。ジイジイという蝉の音だけが染み渡る。
「……留守にするって、どこに行かれるんですか?」
やっと浮かんだ質問という感じで高遠がたずねた。
「行き先は言えない。先方から言うなと言われている。高遠さんだけでもって言ったんだけど、それも駄目だって先方に言われてしまってね」
「期限はどのくらいになるんですか?」
「わからない」
高遠が諏訪の顔をじっと見つめる。その表情は色々と言いたい事があるが、どこから言えばいいかわからないと言った風。
「ただでさえ二節丸々休みなんですよ。その間ずっと厩務員は不安に陥るんですよ。その上先生まで来ないなんて事になったら、自分たちは見捨てられたって言い出しますよ」
「それは俺もすぐに思った。だけど、先方から一時の不安とこの先の成績を天秤にかけてよく考えてみろって言われてしまってね」
「で、厩務員を見捨てる決心をしたと」
「見捨てるわけじゃない。見捨てるつもりならとっくに厩舎を畳んでる。せっかく俺を信じて集まってくれた人たちに少しでも応えたいと思うから、俺は決断したんだよ」
またこの人は一人で勝手に決めてしまったのか。竜障害に来た時と同じだ。言葉には出さなかったが、雑賀はそんな風に思っていた。正直な感想を言えばガッカリであった。せめて皆の意見を聞いてから判断を下して欲しかった。今の一言を聞いたら誰も反対などしなかっただろうから。
「明日から留守にするから、その間の事、高遠さんお願いしますね。雑賀も高遠さんをしっかり補佐してあげてね」
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