第13話 新たな職場
翌日、朝早くの列車に乗り込んで岡山競竜場前駅に向かった。
かなりどうでも良い事だが、競竜場ができるまでは、駅名は『英田』と言っていたらしい。競竜場ができた事で今の名前に変更になったのだとか。
駅に降り立った一行は、想像していた通りの光景に、もはや何の感情も無かった。とにかく周囲をぐるりと山に囲まれており、駅の周辺は競竜場以外何も無い。民家すら無く、当然商店街も無い。唯一の店が駅の売店というのだから目も当てられない。
そんな岡山競竜場なのだが、建物自体はそれなりに新しい。竜障害の競竜場はどこも放置されていた古い競竜場を改修したと聞いている。それにしては事務棟はまだ建ってそこまで経っていないという印象を受ける。もしかしたら、完全に潰して新しいものを建てたのかもしれない。
その事務棟に、分厚い封筒を持って諏訪と大熊は二人で入って行った。その間、他の面々は事務棟の前で待ちぼうけ。
「……長いですね。思った以上に。何をそんなに説明受けるような事があるんでしょうね」
透けるような青空を仰ぎ見て雑賀が言った。
仁科や高梨は雑賀に「ほんとだよな」と声をかけているが、高遠と柿崎はある程度、何が長引いているのか見当が付いているらしい。
「恐らく人事関連の説明があるんだよ。どう考えても今いる人だけじゃ足らないだろ。諏訪さんたちも調教助手がいないんでしょ? うちの方は騎手もいないんだもん」
「でも柿崎さん、こんな環境で求人募集したところで人なんて来るんでしょうか?」
「来ないよね、普通。そもそも山陽道を少し東に行くと福原競竜場があるんだから、なおさらだよね。だから中途半端な妥協をしないで、ちゃんと吟味するようにって言われているんじゃないかな」
高遠と柿崎の会話に、思わず厩務員の一人がため息を漏らす。選択を誤ったかもという呟きも漏れ聞こえる。
「嘆くな、嘆くな。住めば都って昔から言うだろ。もしかしたら、今後色々と発展してくれるかもしれんじゃないか」
「いや、柿崎さん、さすがにそれは希望を持ちすぎなんじゃ?」
「高遠さん、よく考えてみてよ。この競竜場が本格稼働したのって三年前だよ。この山奥がわずか三年で栄えると思う? たった三年でどうこうなるような問題じゃないって」
「せめて競竜場前に居酒屋の一件くらいできないとな」
そんな話をする主任二人を保科が笑い飛ばした。
「ここに居酒屋ができたって、終電五時じゃあ誰も呑まないんじゃねえか?」
柿崎と高遠が同時にため息を付いた。
そこにやっと説明会を終えた諏訪と大熊が戻って来た。
◇◇◇
競竜場は大きく四つの区画からなっている。
一つは現在雑賀たちのいる事務棟。事務員たちのいる建物には、面接室、大小の会議室、記者会見室、貴賓室、救護室などがある。その建物の隣に大食堂があり、その隣に購買がある。
その事務棟の前にもう一つの区画、厩舎棟がある。厩舎棟には各調教師の厩舎と調教場がある。
その厩舎棟と事務棟の隣に三つ目の区画、競技場がある。
競技場に隣接している大きな建物が調整棟。ここは公正競争のために、出走の前日に騎手が宿泊する。寝室、食堂、風呂、談話室の他に修練部屋もある。
この辺りの作りは盛岡競竜場と全く同じ。
事務棟を出て、一行は中央の通りを進んで行った。最初の左右の通りを右へ。その一番奥の方の厩舎が諏訪厩舎。一つ手前が大熊厩舎であった。
「調教場から一番遠いところなんですね」
事務室の鍵を開けている諏訪の背に向かって高遠が呟いた。
「さっき事務棟で言われたんだけどさ、通路に近い方から埋めて行ったんだって。だから後の参加になるほど遠い厩舎になってるそうだよ」
「昇級等が無いって事は、じゃあ、ずっとここって事なんですか?」
「どうなんだろうね。事務棟はまだ仮だって言ってたけどね。でももう稼働して五年だよ。仮も何も無いよねえ」
テキパキと『諏訪厩舎』と書かれた看板を設置し、事務室の窓を開けていく諏訪。恐らく五年前の稼働の際に修繕したのだろう。扉を開けると新築の家のような接着剤の臭いがふわっと香った。
流し台で桶に水を張ろうと蛇口をひねった諏訪が、思わず「うわっ」と声をあげた。皆が何事かと流し台を見る。すると、水道から鮮血のように真っ赤な水が流れていたのだった。
全く使っていなかった事で、水道管の一部が錆びているらしい。しばらく水を出しっ放しにしておくと、徐々に水は透明になってきた。赤みの消えた水を桶に溜め、持って来た雑巾で軽く拭いて行く。そんな諏訪を見て高遠は保科たちに竜房の方の掃除を命じた。雑賀も保科たちに付いて行き、竜房の掃除に参加。
竜房は事務室に比べ非常に年季が入っている。漆喰で四方の壁を固めているのだが、明らかにひび割れたところだけ後から塗り直して補修している。トタンの波板を屋根としているのだが、恐らくは改装の時点でボロボロだったのだろう。真新しい物に張り替えられている。
竜独特の何とも言えない、強いてあげるなら強い日向のような匂いが、竜房に入った瞬間にむわっと鼻を突く。そこに長年の竜糞の臭いが混ざる。
「これは、珈琲の殻を置いて消臭しねえと、この匂いで竜が負担になっちまうな」
「うわっ! 保科さん、これ見てくださいよ。トカゲの卵がびっしり」
「いつ修繕したかは知らねえが、この大自然に二年以上放置だろうからな。こりゃあ、竜を入厩させる前に徹底して掃除しねえと。竜が食べちまって、すぐに体調不良起こしちまうぞ」
そんな話を保科と高梨がしていると、掃除用の水を持ってこようと、竜房の外に向かった仁科が「うわっ」と声をあげた。何事かと様子を見に行くと、こちらも蛇口から真っ赤な水が流れている。すると今度は、隣から同様に「うわっ」という声が聞こえてきた。視線を移すと大熊厩舎の蛇口からも赤い水が流れていたのだった。
それでも簡単な掃除を終えたところで、大熊が事務室から顔を出した。
「なあ、食堂に何か飲みにいかない? 流し台、真っ赤な水が出てきちまってさ、使う気になれんのよ」
げんなりしている保科の顔で、どうやら諏訪厩舎も同じ状況らしいと感じたようで、大熊は呆れ顔で頭を掻いた。
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