スイート・ホットケーキ・メモリー
佐藤楓は食堂の席に着く。トレイの上には、カラフルなペースト。
スプーンで口にすくい、漠然と「これじゃない」と感じながら咀嚼する。
「もっと別のもん食いたいよなぁ」
向かいの席で、佐藤葵はぼやいた。
「例えば?」
「アップルパイ!」
指で虚空に円を描き、
「サクサクのパイ生地と、トロトロのリンゴ。バターとリンゴの香りは最高だぜ!」
「古代の遺物を、よくそこまで妄想出来るわね」
「妄想じゃねーよ! これは、記憶だ。きっと俺の中の遺伝子が、アップルパイの記憶を覚えているのさ」
得意気に言う葵から、楓は目を背けた。
葵が処理されてから数日が経った。
多目的人類・佐藤シリーズの耐用年数から、葵は数年早く処理された。
アップルパイ発言が引っ掛かったのだろう。不必要な記憶バグとして、次回生産からその記憶は削除されるはずだ。
食堂で手を止め、向かいを見る。
「佐藤楓さん」
そこに座ったのは、佐藤シリーズ・紅葉モデル。
「なにか?」
紅葉は笑みを浮かべ食事を始める。楓から話す事もなく、かちゃかちゃとスプーンの音が響く。
かちゃかちゃ、かちゃん、かちゃかちゃ。
「ちいず、けえき?」
紅葉は口許に指を立て、スプーンでモールス信号を続けた。
多目的人類の中に、経験した事が無い記憶を持つ者が居る。それは食べ物や風景、音楽や物語。この月軌道上のプラントでは知り得ない記憶。
楓も、ホットケーキを食べた記憶があると、過去に話していた。
「わたしはなにも知らない」
「君の記憶が知っているか、だ」
紅葉は席を立つ。テーブルには水滴で描いた地図が残されていた。
「わたしは……」
監視の無い廃棄区画。
「楓さん」
紅葉は、数人の少年少女を従えていた。
「僕達は、いつかこの記憶にあるものを、実際に知る事が目的だ。君も一緒にーー」
両手を広げて迎える紅葉の胸に、コードの付いた針が突き刺さり、電気ショックを与えた。
他も皆、保安要員に電気銃を撃たれ、倒れていく。
「言ったでしょ。わたしはなにも知らない」
楓の肩に針が刺さる。
「なんでーー」
そして、記憶はそこで途切れた。
「本日のメモリーは、ホットケーキでございます」
サーブされたピンク色のそれを頬張る。
ふわふわの生地とバターの香ばしい香り。メープルシロップの芳醇な甘みの、記憶。
「うむ、良いメモリーだ」
多目的人類は過酷な環境での危険作業などを行うために遺伝子操作されたクローンで、二十年ほどで記憶を一部引き継ぎながら再生産されます。
多目的なので支配階級の食用にもなります。
で、さらに記憶を培養、熟成させて、それを支配階級に食われます。
SFディストピアなので救いは無いです。
まぁ、記憶は一部継承していくので、いつかどうにかなるかも。




