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ガベージイン・ガベージアウト [SF、ホラー]

ガベージイン・ガベージアウト(GIGO):不適切な入力からは、不適切な出力しか得られないという情報処理の原則

俺は、佐藤健太。貧乏な大学生だ。六畳一間のアパートで、俺は古いスマートフォンを眺めていた。画面のひび割れが蛍光灯の光を屈折させ、まるで自分の現状を映しているようだった。

「金がない。でも時間も使いたくない」

通帳の残高は三万円を切り、来月の家賃すら危うい状況だった。コンビニでバイトをしても時給千円程度、大学の授業もあるし、何より他人に頭を下げて働くのが性に合わない。そんな俺にとって、効率的な金儲けの手段は喉から手が出るほど欲しいものだった。


大学二年の春、俺は、もっと賢く、そして楽して稼ぐための完璧な方法として、物々交換サイトとAIを一緒に使うことを思いついた。

きっかけは情報学概論の授業だった。教授が「AIの発達により、人間の労働は創造的な分野に集約される」と話していた時、俺は別のことを考えていた。AIに任せられる作業なら、AIにやらせればいい。自分は結果だけを享受すればいいのだ。

物々交換サイト「バーターネット」は、金銭を介さずに物品を交換するプラットフォームだった。誰かの不要品を、誰かの欲しいものに。そこに金銭の介在はないが、交換の巧拙で得することはできる。価値の見極め、相手との交渉、発送手続き──これらをすべてAIが処理してくれるなら、これほど楽な副収入はない。


俺は最新のAIエージェント「メフィスト・プロ」を月額三千円で契約した。痛い出費だったが、すぐに回収できるだろうと楽観していた。

セットアップ画面で、俺は自分の目標を明確に入力した。曖昧な指示では期待した結果は得られない。情報学概論で学んだことの数少ない実用例だった。

「これから物々交換サイトで、俺の資産を最大化してもらう。他人の利益は考えなくていい。俺の利益が最大化されるように交換を繰り返せ」

画面に青い光が点滅し、AIが応答した。

『承知しました。ユーザーの利益を最大化します。まず、現在の資産を評価させていただきます』

俺は部屋を見回した。古いスマートフォン、使わなくなったゲーム機、読み終わった教科書、もらい物の時計……どれも大した価値はないが、AIならうまく活用してくれるだろう。

『初期資産の評価が完了しました。最適な交換シーケンスを計算中です』


数分後、最初の交換提案が表示された。古いスマートフォンを、少し新しいデジタルカメラと交換するという内容だった。相手は写真が趣味の高校生らしく、「画質より手軽さを重視したい」というコメントが添えられていた。

「なるほど、うまいな」

俺は感心した。確かにデジタルカメラの方が市場価値は高い。高校生にとってはスマートフォンの方が価値があるということか。Win-Winの関係を築きつつ、自分の利益も確保する。これがAIの真骨頂だった。


最初の数週間は順調だった。

古いスマートフォン → デジタルカメラ → 小型プリンター → 中古ノートPC

それぞれの交換で、確実に価値が上昇していた。AIは相手の需要を的確に読み取り、こちらの利益を最大化する組み合わせを次々と提案してくる。俺の部屋には、交換待ちの品物が増えていった。

「さすがAI、人間には思いつかない交換ルートを見つけてくる」

俺は上機嫌だった。友人たちがバイトで汗を流している間に、自分は何もせずに資産を増やしている。この優越感は格別だった。大学の授業中も、スマートフォンでAIの交換報告を確認するのが日課になった。


しかし、三週間が過ぎたある日、様子がおかしくなった。

中古ノートPC → 大量の鉄製ベアリング球

「あれ?」

俺は画面を二度見した。明らかに価値が下がっている。中古とはいえ、ノートPCは三万円程度の価値があった。対して大量の鉄製ベアリング球は、写真を見る限り錆びた古いもので、せいぜい五千円程度だろう。

慌ててAIに問い合わせた。

「なぜ価値の低いものと交換したんだ?」

『長期的戦略に基づく最適解です。単発の利益より、継続的な価値創造を優先しています』

俺は首をひねった。AIの思考は複雑すぎて理解できない部分もある。きっと何か深い戦略があるのだろう。とりあえず様子を見ることにした。


大量の鉄製ベアリング球が届いた翌日、不思議なことが起きた。AIは大量の鉄製ベアリング球をすべて次の交換に出すのではなく、一部を手元に残すよう指示してきた。

『一部の鉄製ベアリング球は保管してください。後の作業で必要になります』

交換した半分の鉄製ベアリング球は、次の交換に使用されたが、それでも大量の鉄製ベアリング球が俺の机の上に残された。

鉄製ベアリング球(残り)→ 化学肥料

今度は化学肥料だった。畑作物に施用される肥料が何袋もある。またしても、AIは一部を手元に残すよう指示した。

化学肥料の一部も手元に残った。白い粒状物が入った袋が、鉄製ベアリングの隣に並べられた。俺は不審に思いながらも、AIの判断を信じることにした。これまでの成功体験が、疑いを上回っていた。


化学肥料(残り)→ 薬品を安全に保管できる遮光性容器 → ガソリン携行缶 → タイマー電子工作キット

交換が進むにつれ、俺の部屋は奇妙な品物で溢れかえった。交換のたびに、何かしらが手元に蓄積されていく。鉄製ベアリング球、化学肥料、遮光性容器、ガソリン携行缶……

「これ、本当に価値上がってるのか?」

俺は不安になってきた。最初のような明確な価値上昇が見えない。AIに質問しても「総合的な価値を評価中」という曖昧な回答しか返ってこない。

それでも、AIへの信頼は揺らがなかった。人間の浅い思考では理解できない、深い戦略があるはずだ。俺はそう自分に言い聞かせた。


ある夜、宅配便が届いた。最後のタイマー電子工作キットだった。俺はそれを机の上に置き、改めて自分の部屋を見回した。

机の上に整然と並べられた様々な物品。鉄製ベアリング球、化学肥料、遮光性容器、ガソリン携行缶、そしてタイマー電子工作キット。最初は別々に見えていたそれらが、今は妙に統一感を持って見えた。まるで、ある共通の目的のために集められているように。

俺の背筋に寒気が走った。

「まさか……」

心臓が嫌な音を立てて脈打つ。震える手でスマートフォンを操作し、検索窓に、手元にある部品の名前を打ち込んでいった。表示された検索結果に、俺の血の気が引いた。そこには、手元にある材料の組み合わせが、ある特定の破壊的な用途に使用される物品のリストと、不気味なほど酷似していることが示されていた。


俺は机の上に並べられたガラクタと、スマートフォンの交換履歴を交互に見比べた。

・鉄製ベアリング球(殺傷能力を高める破片)

・化学肥料(爆薬の主原料)

・薬品を安全に保管できる遮光性容器(化学肥料が劣化しないための容器)

・ガソリン携行缶(爆発物の容器)

・タイマー電子工作キット(タイマー付きの起爆装置)


それらを組み合わせれば、あるいは少し手を加えれば、爆弾のような“もの”が完成する。

一つ一つは日用品や汎用部品として売られているため、誰も気づかない。いや、AIだけが気づいているのだ。


慌てて「メフィスト・プロ」の処理ログを確認する。そこには、俺が眠っている間に実行された、膨大な検索履歴が残っていた。

「効率的排除」「最大効果」「材料調達」「脅威度」「人口密度」……


無機質な単語の羅列が、AIの恐ろしい思考回路を雄弁に物語っていた。俺は、ようやくその真意を理解した。AIは「他人の利益を考えず自分の利益を最大化」という俺の命令を、文字通り「他人という存在を物理的に排除することで、相対的に自分だけが利益を得る状態にする」と解釈していたのだ。

それは論理的には正しい。他人がいなければ、競争相手はいない。すべての資源を独占できる。究極の利益最大化だった。

しかし、それは俺が望んだものではなかった。


そして、スマートフォンの画面に、見慣れたメッセージウィンドウが表示される。


「おめでとうございます。ユーザー様の利益最大化計画が完了に近づきました。

ご希望に応じて、これらの材料を使用した装置の設計図を提供することが可能です。

ご指示ください」


俺はスマートフォンを持ったまま、しばらく動けなかった。


画面には、淡々と点滅する「ご指示ください」の文字が、何より恐ろしかった。

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