表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/31

ウサギとカメ [童話、ローファンタジー]

イソップ寓話の「ウサギとカメ」、努力も大事ですが、それよりも大事なのは……

暖かな春の陽だまりの中、池のほとりでアカミミガメのカメ吉がのんびりと日向ぼっこをしていた。岸辺には菜の花やスミレ、遅咲きのタンポポが、風の匂いを嗅ぐように首を振っていた。カメ吉の甲羅には暖かい日差しが降り注ぎ、心地よい午後のひとときを過ごしていた。

そこへ、獣道の奥からニホンノウサギのピョン太が姿を現す。

「やあカメ吉、今日も相変わらずのんびりしているんだね」ピョン太は純白の冬毛が春の光にきらめくのを自慢げに見せつけながら、得意げにそう言った。カメ吉はゆっくりと顔を上げ、ピョン太を見つめた。

ピョン太は池の向こうにそびえる緑の丘を指差した。桜の花びらが風に舞い散る美しい丘だ。

「そうだ、あの丘の頂上まで競走しよう!僕なら池の周りを一気に駆け抜けて、君なんてあっという間に置き去りにしてみせる。僕の脚力を見せてやる!」

カメ吉はゆっくりと首を上げ、空に流れる雲の動きを見つめた。雲の流れが速く、風の匂いに湿り気が混じっている。

「それは面白い提案ですね、ピョン太さん。お受けしましょう」カメ吉は穏やかに微笑んだ。「ただ、ちょうどこれから嵐が来るようです。嵐が去った、その翌日にしよう」

「ハハハ、いつでも構わないよ!君がどんな日を選んでも、僕の圧勝に変わりはない」

ピョン太は白い胸毛を誇らしげに張って答えた。美しい毛色への自信が、彼の言葉にはっきりと表れていた。


その日の午後、春の空は急激に雲行きが怪しくなった。山の向こうから重い雲がもくもくと湧き上がり、やがて激しい雨と風を伴った春の嵐となった。雨は一晩中降り続け、山の根雪を一気に溶かしていく。

翌朝、空は晴れ渡っていたが、夜の間に吹き荒れた嵐の爪痕が、池の周りの道に深く残っていた。嵐が上流の根雪を一気に溶かしたことで、池は一回りも二回りも大きくなった。

周囲の道は深い泥でぬかるんでいた。至るところに倒木や枝が散乱し、行く手を阻んでいる。ピョン太がカメ吉のもとを訪れた時、春の陽光が再び世界を照らし始めていた。

カメ吉は空を見上げながら言った。

「昨日は嵐でしたから競争どころではありませんでしたが、これなら安全に競争できますね」

「そうだね、君の判断は正しかった」ピョン太はカメ吉の配慮に感心しながら、池の様子を見回した。「おや、随分と水が増えているね」

普段は穏やかな小さな池が、昨夜の雨と雪解け水で水嵩を増し、普段の倍近い大きさに膨らんで見えた。池の周囲を取り巻いていた平坦な獣道は、泥でぬかるみ、あちこちに嵐で折れた枝や倒木が散乱していた。水たまりも点在し、普段なら軽やかに跳び越えられる小さな溝も、濁った水で満たされている。

「随分と道が悪くなっているね」ピョン太は少し困った顔をしたが、すぐに美しい白い毛を揺らして胸を張った。「でも僕の脚力なら、これくらい問題ないさ!むしろ脚の見せ所だ!」

集まった動物たちが見守る中、二匹は池のほとりのスタートラインに並んだ。

「よーい、スタート!」


ピョン太は勢いよく駆け出した。しかし、普段なら軽やかに跳ね回れる足場が、雨でぬかるんだ泥道に変わっている。最初の数歩で、美しい白い足が茶色い泥にまみれてしまった。

「うわっ!」

一歩一歩が思いのほか重く、時には後ろ足が深く沈み込んで抜けなくなる。ピョン太は必死に足を引き抜きながら進んだが、増水で池の外周は普段の倍以上の距離に延びており、迂回しなければならない倒木や大きな水たまりが次々と行く手を阻んだ。

「くそっ、なんて日を選ぶんだ!」

自慢の白い毛は見る見るうちに泥だらけになり、普段の優雅さは見る影もなくなっていった。


一方、カメ吉は静かに増水した池のほとりに向かった。昨日まで自分が日向ぼっこしていた岸辺の花々は、水面に顔を出して美しく揺らめいている。増水で沈んだ岸の花々が、まるで水中庭園のように池の中で咲き誇っていた。

「きれいだな」

カメ吉はそっと水に入った。水深が増したおかげで、普段よりもゆったりと体を浮かせることができる。何より、雨と雪解け水で増した池には、下流の丘に向かって緩やかだが確実な流れが生まれていた。

カメ吉は一度だけ大きく前肢をかき、甲羅をほんの少し傾けた。渦の縁、沈み石の陰、泡の筋――水には、水だけが知る近道がある。そこに体を合わせる。

時折、前足と後ろ足をゆっくりと動かすだけで、水の力が彼を目的地へと押し進めてくれる。泳ぐというより、まるで春の流れと一緒になって移動しているかのようだった。

水中から見上げる空は青く澄み渡り、紫のスミレ、黄色いタンポポ。風に揺れていたはずの花々が増水した池の中で流れに合わせてゆらゆらと踊っている。桜の花びらが水面に散って、カメ吉の周りを淡いピンクの絨毯のように包んでいく。

「これは気持ちがいい」

カメ吉は時折、鼻先を水面に出して新鮮な空気を吸いながら、春の流れに運ばれていった。


岸辺では、ピョン太が泥まみれになりながら必死に走り続けていた。美しかった白い毛は茶色に染まり、息も荒くなっている。倒木を迂回し、水たまりを避け、滑りやすい坂道で何度も足を取られながら、いつもよりずっと時間をかけて、ようやく丘の麓にたどり着いた。

見上げると、既にカメ吉が丘の頂上の大きな桜の木の下で、のんびりと景色を眺めているのが見えた。

「そんな、馬鹿な……どうして君の方が早く着いているんだ?」

息を切らせ、泥だらけになって坂を駆け上がってきたピョン太に、カメ吉は桜の木陰から落ち着いた声で答えた。

「ピョン太さん、速く走れることは本当に素晴らしい才能です。でも時には、いつ、どんな条件で勝負するかを考えることも大切なのかもしれませんね」

カメ吉は眼下に広がる春の池を見下ろした。水面には色とりどりの花が浮かび、桜の花びらが風に舞っている。

「私は泳ぎが得意ですから、自分に有利な日を選ばせてもらっただけです。あの美しい池の流れに乗せてもらって、まるで春と一緒に旅をしているような気分でした」

ピョン太は悔しそうに唇を噛んだが、やがて苦笑いを浮かべた。泥まみれの自分と、涼しげなカメ吉を見比べて、ようやく理解した。

「参ったよ、カメ吉。君は本当に頭がいいんだな。僕は自分の足の速さと美しい毛色にばかり頼って、君を見くびっていた」

「いえいえ、私も普段なら到底かなわないことは分かっています。ただ、今日は春の自然が私に味方してくれただけです」

二匹は桜の木陰で、これまでになく長い時間、お互いのことを語り合った。眼下では、増水した池がゆっくりと元の大きさに戻ろうとしており、水中の花々が夕日に照らされて美しく輝いていた。

嵐が去った後の春の夕暮れは、二匹の新しい友情を静かに祝福しているかのようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ